朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)

定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です

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荻原神社(大台町江馬)

荻原神社(おぎはらじんじゃ)は 明治40年(1907)合祀令により 荻原村に鎮座する81社を現在地〈宮川の上流域の大台町江馬〉に合祀したもので 中心となった神社〈江馬八柱神社(創建月日不詳)〉は 今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていた゛延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)゛であると伝わります

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堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています 

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宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)

宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています

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國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)

國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)

大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

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月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉

葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました

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全国 一之宮

嚴島神社(宮島)・摂社・末社などについて

嚴島神社(いつくしまじんじゃ)の境内・境外の要所 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)を記載しています

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嚴島神社(廿日市市宮島町)〈安芸国一之宮〉

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 推古天皇元年(593)佐伯鞍職(さえきのくらもと)によって創建された 延喜式内名神大社(927)安囈国 佐伯郡 伊都伎嶋神社(いつきしまの かみのやしろ)です 平成八年(1996)世界文化遺産に登録された社殿群〈国宝及び重要文化財に指定〉は 仁安三年(1168)太政大臣 平清盛公によって造営された寝殿造りの様式が礎となっています

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雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)

雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)は 海抜一万尺(3003m)北アルプス立山の主峰雄山の岩頭に鎮座します 古来・富士山・白山と共に信仰される日本三霊山です 延喜式内社 越中國 新川郡 雄山神社(をやまの かみのやしろ)の峯本社です

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雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐう きがんでん)は 社伝に 文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山と伝わります 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺)

雄山神社 前立社壇(おやまじんじゃ まえたてしゃだん)は 平安初期に開山造営され立山信仰の拠点となった霊山 立山寺(岩峅寺)で 立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い 道中の無事を祈願した神仏習合の地です 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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延喜式神名帳

朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)

定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です

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荻原神社(大台町江馬)

荻原神社(おぎはらじんじゃ)は 明治40年(1907)合祀令により 荻原村に鎮座する81社を現在地〈宮川の上流域の大台町江馬〉に合祀したもので 中心となった神社〈江馬八柱神社(創建月日不詳)〉は 今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていた゛延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)゛であると伝わります

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堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています 

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出雲國風土記神名帳

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その他の古社

浮幣神社〈浮鯛神社〉(三原市幸崎能地)

浮幣神社(うっぺいじんじゃ)は 浮鯛神社(うきだいじんじゃ)とも呼ばれます これは『日本書紀』に記される 神功皇后が 三韓征伐に向かわれた時 お召船の周囲に集まった鯛(タイ)に酒を注いだところ 鯛が酔って浮いた「浮ダイ」となった故事に由来します それ以後 能地(のうじ)の海には毎年春になれば鯛(タイ)が浮かぶようになったと云われていました

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豊功神社(下関市長府宮崎町)

豊功神社(とよことじんじゃ)は 神話伝説の島として知られる゛満珠・干珠島゛の2島を展望する絶景の宮崎の地に鎮座します 元々は 忌宮神社の境内にあった゛豊功社〈長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀る〉゛をここに遷し 祀られていた串崎若宮〈櫛崎八幡宮〉・宮崎八幡宮・松崎八幡宮を〈大正6年(1917)6月〉合祀して 社号を豊功神社と改称したものです

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善女龍王神社・雷電神社(皆野町皆野)

善女龍王神社・雷電神社(ぜんにょりゅうおうじんじゃ・らいでんじんじゃ)は 平安時代 この地方に長く日照りが続いた時 真言僧の歓喜坊(かんぎぼう)が 古来湧水の絶えない池〈竜神池〉の辺に神籬を立て竜神を招魂祈念したところ 慈雨があり 社〈善女竜王社〉を建て厚く信仰したのが始まりです

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香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)

香取神宮 要石(かなめいし)は 香取・鹿島の二柱の大神が 葦原中國を平定し 香取ヶ浦に至った時 地震を起こす大鯰(おおなまず)を鎮めるため 地中深くに石棒を差し込み 鯰の頭尾をさし通した霊石だと古くから伝えらます 押手神社(おしてじんじゃ)は この要石を向いて 宇迦之御魂神〈農耕の神〉を祀ります

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鹿島神宮 跡宮(鹿嶋市神野)

鹿島神宮(かしまじんぐう)跡宮(あとのみや)は 鹿島の大神が初めて天降(あまくだ)り給いし所とされ 鹿島大神に仕える物忌(ものいみ)〈高い位の女性(巫女)祭主〉が傍らに居住していました 社伝には 天種子命〈神武天皇の御世〉又は国摩大鹿島命〈第11代垂仁天皇〉により宮柱を建てたとあり 鹿島神宮と同じく2000年以上の古い歴史を持ちます

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

新着記事

鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は 朝熊神社の御前神゛御神鏡゛〈岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)〉を鎮祭する皇大神宮(内宮)の末社です かつて二面の神鏡は 二つの川の合流点にある神聖な岩の上に祀られていた〈虎石(とらいし)〉(神域内〈朝熊川の岸〉木柵の中にある)とも〈潮干石(しほひいし)(五十鈴川の川中にある)とも伝わります

朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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荻原神社(大台町江馬)

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堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

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宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)

宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています

倭姫宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

倭姫宮(やまとひめのみや)は 倭姫命(やまとひめのみこと)を祀るために 大正12年(1923)新しく創建された皇大神宮〈内宮〉別宮です 倭姫命は 2000年以上前に天照大御神の御鎮座の地を求め各地を巡幸された時 御神託を受けて伊勢に来られ 現在の五十鈴川のほとりに皇大神宮(内宮)を創建された 第11代 垂仁天皇の第二皇女です 伝説の初代 斎王(さいおう)でもあります

國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)

國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)

大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります

土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します

風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します

風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

風日祈宮(かざひのみのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 豊受大神宮(外宮)の風宮(かぜのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)皇大神宮(内宮)別宮に昇格し゛風日祈宮゛と号します

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉

葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました

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