国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚〉

国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚は 〈第10代 崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉知知夫国(チチブノクニ)の初代 国造(クニノミヤツコ)に任命された「知々夫彦命」「知々夫姫命」の墳墓であったといわれています かつて周囲に 数基の古墳があったと伝えられ 今は 墳形はありません 「国神の大イチョウ」は 知知夫彦命Chichibuhiko no mikoto)墳墓のほとりに植えられた木 といい伝えられています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚Kunikami no oicho)
(くにかみのおおいちょう)チチブヒコノミコト

 [通称名(Common name)]

国神塚古墳趾(クニカミコフンアト)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県秩父郡皆野町大字国神577

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

 祠「妙見宮」
《主》知知夫彦命Chichibuhiko no mikoto)

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・初代 知知夫国の国造(クニノミヤツコ)の墳墓を祀る

【創  (Beginning of history)】

国神の大イチョウ

長言寺を背にして右手と左手に大イチョウが見えます、
特に右手の大イチョウは、主幹の大部分が枯れた後、根際から族生、数幹繁茂し、樹齢八百年になろうと推定される巨樹巨木となっています。

 祟神天皇(すじんてんのう)の御代に秩父国造(ちちぶのくにのみやつこ)として派遣された八思兼命(やごころおもいかねのみこと)十世の孫 知知父彦命(ちちぶひこのみこと)、知知父姫命(ちちぶひめのみこと)の墳墓のほとりに植えられたものと伝えられ、国神の地名もそれに由来しております。

 右手の大イチョウは 大正15 埼玉県指定天然記念物、樹下には 妙見社が、左手の樹下には石祠が祀られております、
この付近から東京国立博物館に展示されている直刀(ちょくとう)をはじめ、勾玉(まがたま)、堤瓶(ていびん)、土器片(どきへん)等が出土しております。

 ここの台地は、北に山を背負い南が開け、極めて居住性の優れた地形で、秩父盆地でも指折りの一つといわれており、古い時代から人々の生活の営みがあったのも宣(むべ)なるかなとおもわれます。

ぽっくり観音

 長言寺境内左側に安置されております。
この観音さまは正しくは聖(しょう)(正)観音菩薩(かんぜおんぼさつ)と称(とな)えます、観世音とは「世の中のあるべき姿を、すきとおった温かい眼で奥底まで明らかによく観る」ということです。
 頭部に化仏(けふつ)の阿弥陀如来(あみだにょらい)をいただいておりますつまり観音さまは阿弥陀さまの化身(けしん)なので、その阿弥陀さまの変わりになって六道に彷徨(さまよ)っている大衆を救済する役目を持っておられます。
 観音様は私たちをよく観ておられます一心に念ずれば、除災招福(じょさいしょうふく)といって必らず苦しみは取れて災難から逃(のが)れ、福を招くという諸々(もろもろ)の願い事を適(かな)えてくれるありがたい仏さまです。
 信仰を怠らず常に参詣すれば「長患(ながわずら)いして人様(ひとさま)のお世話になることなく、ぽっくり大往生(だいおうじょう)すること疑(うたが)いなし」という御利益(ごりやく)があるので、ぽっくり観音と申します。

平成101010日 国神 第四,五,六区

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【由  (History)】

国神の大イチョウ

国神の大イチョウは、宝登山の麓、皆野町の中心部を一望する妙見平の地に位置している。樹齢700年を越えるといわれるイチョウの大樹は、目通り8.2m、高さ22.7m、枝張りは南北16.3m、東西12.7mを計る。

 大イチョウの周辺には、かつて数基の古墳が所在したといわれており、このイチョウも知々父の、国造 知々父彦命の墓の脇に植えられたものといわれている。

東に40m程の地点には、一回り小ぶりなイチョウの木があり、こちらは、知々父姫命の墓の脇に植えられたという伝説が在る。

実際にこの周辺の古墳から出土したといわれる土器や直刀が残されており、中でも国立東京博物館に所蔵されている環頭太刀の柄頭は、鳳凰の意匠が施され、銀象嵌も認められる非常に精巧な遺物である。

この場所は、毛の国(現在の群馬県)から児玉郡を通じて古墳文化が秩父盆地に流入する経路の一つと考えられる地点である。
知々父へ赴任を命ぜられた知々父彦命が、当時の主要道である東山道を経て、毛の国から秩父盆地へ入国すると、最初に展望が開ける「国見の丘」と呼べる場所に当たっている。

イチョウの現況は、主幹の大部分が枯れた後、根際から新しく萌芽したものが、幹化し、一大株としてて繁茂したものである。

皆野町役場 公式HPより
https://www.town.minano.saitama.jp/bunkazai/kenshitei/cat103/253/

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この祠は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

大イチョウの根元には 祠「妙見宮」が祀られていて
元々は 
知知夫彦命Chichibuhiko no mikoto)墳墓を祀り そのほとりに植えられた木だといい伝えられています

地名の「国神(クニカミ)」は 新たな国を造った「国造(クニノミヤツコ)」を指すとされています

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埼玉県指定天然記念物 国神の大イチョウ
大正15331日指定
所在地 皆野町大字国神字国神577

 イチョウの樹齢は約700年と推定され、幹周は8.2m、樹22.7m、枝張り南北16.3m 東西12.7mです。環境庁の巨樹・巨木調査(1991年)によれば、埼玉県内の巨樹では第9位、樹種をイチョウに限れば第4位の大きさです。県内において老大木として優位の地位を占め、地方的に見て保存の価値があるものです。

 幹は大部分枯損しましたが、樹皮に原木の姿が見られます。中から多くの幹を出し、また根元から多くの枝目を伸ばし、一大株となっています。

 このイチョウの周囲には、数基の古墳があったと伝えられ、秩父郡誌にも「古き公孫樹の枯朽せし根より族生し数枝繁茂し、宛として一森林の観をなす。此の所に両墓あり、墓の面積 各々二十坪 知知父彦命、知知父姫命の墳墓と伝えられども今は墳形を認めず」とあるように、もと知知父彦命の墓のほとりに植えられた木だといい伝えられています。

 また 知知父姫命の墓のほとりに植えられたというイチョウは、このイチョウの南南東約150mのところにあり、やはり大木です。

ともに郷土の宝として、末永く保存しましょう。
平成8331日 埼玉県教育委員会 皆野町教育委員会

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すぐ近くには 知知夫姫命Chichibuhime no mikoto)の墳墓を祀り そのほとりに植えられた木だといい伝えられる「国神の姫イチョウ 」もあります

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

初代 知知夫(チチブ)国造(クニノミヤツコ)
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)が祖神(オヤガミ)を祀った 秩父神社(知知夫国新一之宮)

 

初代 知知夫(チチブ)国造(クニノミヤツコ)
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命(Chichibuhimeno mikoto)」の居住した地域と伝わる 金崎神社(皆野町)

 

初代 国造(クニノミヤツコ)の夫婦神
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命(Chichibuhimeno mikoto)」の墳墓と伝わる
国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚

国神の姫イチョウ(知知父姫命(Chichibuhimeno mikoto)」

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 知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)にまつわる その他の神社

三峯神社 境内 秩父神社 埼玉県秩父市三峰

椋神社 境内 秩父彦之大神 埼玉県秩父郡皆野町皆野

楡山神社境内 知々夫神社 埼玉県深谷市原郷

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

秩父鉄道「皆野駅」から県道37号を北西へ約2.3km 車5分程度
長言寺の前に駐車場があります
畑道を歩くと見えてきます

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国神の大イチョウ〈知知夫彦命〉Kunigami no oicho)に参着

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イチョウの葉が黄色く染まっています

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大イチョウの根元には 祠「妙見宮」が祀られていて 
にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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裏手に廻ると その地は高台になっていることがわかります

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再度 正面に戻り 一礼をして 

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「国神(知知父姫命(Chichibuhimeno mikoto)のイチョウ」へと向かいます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

秩父郡の巻7 金崎村の条に
国神として 記されています

意訳

金崎村

金崎村は郡の東寄りにあり・・・・・云々

〇国神塚 
小名 国神といえる所は 村の西 塚の上に銀杏古木あり 塚の廻り9尺4方あまり 樹木下に小祠を安し 祭神も伝えす 地のともなれば 旧き塚なること知らる 国津神を祀れるならん 村民の持ち

〇塚二ヶ所
一は 村の東 荒川によれり 高さ2間半あまり 廻り30間あまり その中に沖口あり 入口 高さ5尺余 幅4尺5寸程 奥行1間半 幅1丈あまり 行当り平石の大なるを横にかさね 上も 又 大なる平石を以って蓋とし その上へ土 或いは砂石を盛り上げて営築せしものなり 村民の屋敷内にあり その伝えも失いけれど 上世の聖域なるへし
一は 往来の西脇 これも 村民の屋敷内にあり その様 相同じように窟中より 古刀 2振り 鐡鐸2枚 出たるを村民が家に運び その時勾玉の如きものと矢鏃(ヤジリ)多く出しが これは失いけると云う

・・・・
・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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国神の大イチョウ〈知知夫彦命〉Kunigami no oicho) (hai)」(90度のお辞儀)

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