静岡県

人穴富士講遺跡〈人穴浅間神社(富士宮市人穴)〉

人穴富士講遺跡(ひとあなふじこういせき)は 人穴浅間神社(ひとあなせんげんじんじゃ)の境内にある遺跡です 約7000年前の富士山の噴火による溶岩で誕生した全長83mの溶岩洞穴で「浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)の御在所」と伝えられ 富士講の開祖 長谷川角行が 修行の末に入滅した人穴とされ 富士講信者の碑塔群〈約230基〉が残存しています

村山浅間神社(富士宮市村山)

村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は 富士山 村山登山道の起点となった場所で かつては 富士山興法寺(ふじさんこうほうじ)と呼ばれ 富士山信仰の修験者の修行の場でした 現在も境内には神仏習合の名残りとして浅間神社とともに冨士山興法寺大日堂が祀られています

須山浅間神社(裾野市須山)

須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ)は 古くより「富士山」を御神体として仰ぎ 度重なる噴火とも関連して 山麓に浅間神社を祀り 岳神の霊を慰め奉ったのが始まりとされます 遅くても 大永4年(1524)には存在していたことが 現在残る棟札から確認されています

富士山 世界文化遺産 構成資産 と 浅間神社について

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

富士山東口本宮・須走口登山道 冨士浅間神社〈須走浅間神社〉

富士山東口本宮 冨士浅間神社(ふじさんひがしぐちほんぐう ふじせんげんじんじゃ)は 富士山須走口(東口)登山道の起点となる〈須走浅間神社〉で 富士山 世界文化遺産 構成資産の一つです 大同2(807)年創建で 富士山噴火〈延暦21年(802)〉時の鎮火祭の斎場であった跡地(現在の社地)に祀られた東口(須走口)本宮として 古来より崇敬を集めます

富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります

富知神社(富士宮市朝日町)

富知神社(ふくちじんじゃ)は 第五代 孝昭天皇二年〈BC474年〉の御世 富士山の神〈水神・農耕神〉が祀られたのが始まりとされ 当初の社地は 現在の富士山本宮浅間大社の鎮座地 大宮であったが 大同元年(806)平城天皇の勅命で坂上田村麻呂が社殿を造営し 浅間大神〈火神〉が遷座し祀られた為 富知神社は 現在地 立宿の地に遷し奉られたと伝えます

倭文神社(富士宮市星山)

倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が 祖神 健羽雷神(たけはつちのかみ)〈織物の神〉を祀った『延喜式神名帳927 AD.』所載の 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされます 又 鎮座地の星山は 星神として君臨して居た香々背男との関連も示唆し 常世国神(とこよのかみ)を奉じて大和朝廷に反した大生部 多(おおうべ の おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じています

富士山頂上 浅間大社 奥宮 & 富士山頂上 久須志神社

富士山頂上 浅間大社 奥宮(ふじさんちょうじょう せんげんたいしゃ おくみや)は 元は富士山興法寺〈現 村山浅間神社〉の大日堂「表大日」・富士山頂上 久須志神社は(ふじさんちょうじょう くすしじんじゃ)は 元は須走浅間神社の薬師堂「裏薬師」でした どちらも明治の神仏分離令により仏像が取り除かれ 富士山浅間大社の奥宮として管理されることになりました

山宮浅間神社(富士宮市山宮)

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時 山足の地〈山麓全体〉に祀られた浅間大神を 第12代 景行天皇の時 日本武尊が 当地 山宮の地に 磐境を設けて大神を祀り 大同元年(806)坂上田村麿が勅命により 現在の富士山本宮浅間大社の地に社殿を造営し 遷座した富士山の山宮斎場の元宮です 今でも本殿はなく 溶岩を用いた石列が原始的な祭祀形態を留めています

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