近津神社(町付)

町付近津神社は 大子町にある 3つの近津神社の「中之宮」にあたります 上野宮の近津神社周辺が稲村という地名でしたので稲村三社(inamura sansha)」とも云われていて その総称として「近津三社Chikatsu Sansha)とも呼ばれています 水戸藩(徳川御三家)の初代藩主石鳥居を奉納するなど 篤く崇敬されている神社です

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

近津神社(町付)(Chikatsu Shrine)
 (ちかつじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

町付近津神社Machitsuki Chikatsu Shrine)中之宮(nakano miya)

【鎮座地 (location) 

茨城県久慈郡大子町大字大子町付1218

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》級長津彦命Shinatsuhiko no mikoto)
   面足尊Omotaru no mikoto)
   惶根尊Kashikone no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

身体健全 Pray to God for a healthy life
産業繁栄 Industrial prosperity

【格  (Rules of dignity)

旧郷社

【創  (Beginning of history)】

近津神社 大子町付1218

   級長津彦命面足尊・惶根尊

寛永11年水戸中納言頼房公寄進の石鳥居が建ている。
三社参り 一上野宮・中野宮(町付)・下野宮の近津神社に大晦日の夜から元旦の朝にかけて巡拝する風習がある。
身体健全、産業繁栄を守護する信仰がある。

大子町鎮座神社マップ 発行 大子町氏子総代会より

【由  (history)】

慶長七年(1602)佐竹氏が秋田へ国替えになり、やがて水戸藩が成立すると、寛文年間には、八溝嶺を源とする八溝川をさかのぼるように新たに、町付に近津中の宮、上野宮に近津上の宮を分祀(ぶんし)創建した。


下野宮近津神社(Shimono miya Chikatsu Shrine) 由緒抜粋

【境内社 (Other deities within the precincts)】

天満宮(Tenman Shrine)
 《主》菅原道真(sugawara no michizane ko)
稲荷神社(Inari Shrine)
 《主》倉稲魂命(ukanomitama no mikoto)
貴船神社(Kifune Shrine)
 《主》高龗神(takaokami no kami)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

稲村三社(inamura sansha)」の総称として
 「近津三社Chikatsu Sansha)とも呼ばれています

〈下野宮〉の由緒によると 水戸藩の治世で 寛文年間(16611673年)の頃
八溝嶺山
Yamizomine yama)を源とする八溝川をさかのぼるように新たに 町付に「近津中の宮」上野宮に「近津上の宮」を分祀(ぶんし)創建しました

近津三所大明神と呼ばれていた・上野宮・下野宮の近津神社とを区別する意味で 「中野宮」「中之宮」「中の宮」「中宮」とも呼ばれていまし 当時 除地3石9斗2升7合と伝わります

・〈上野宮〉上野宮近津神社(Ueno miya Chikatsu Shrine)
・〈中野宮〉町附近津神社(Machitsuki Chikatsu Shrine)〈当社〉
・〈下野宮〉下野宮近津神社(Shimono miya Chikatsu Shrine)

この3社を
近津神社の分祀なので「近津三社Chikatsu Sansha)とも
〈上野宮〉の鎮座地周辺が「稲村」と呼ばれた地名のため稲村三社(inamura sansha)」とも 呼ばれていました

スポンサーリンク

「近津三社八溝川沿いに並鎮座それぞれの記事をご覧ください

・〈上野宮〉上野宮近津神社(Ueno miya Chikatsu Shrine)

 

・〈中野宮〉町附近津神社(Machitsuki Chikatsu Shrine)

 

・〈下野宮〉下野宮近津神社(Shimono miya Chikatsu Shrine)〈当社〉

 

スポンサーリンク

八溝嶺山Yamizomine yama)を源とする八溝川

・八溝嶺神社Yamizomine Shrine)の記事をご覧ください

 

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

下野宮駅から 北へ県道28号経由 約4.5km 車10分程度

町付近津神社Machitsuki Chikatsu Shrine)到着

街道沿いの参道入り口に一の鳥居が建ちます

一礼して 白い一の鳥居をくぐります

石灯篭に挟まれた参道の先に 水戸藩初代藩主 徳川頼房公の奉納「二の鳥居」が建ちます

「二の鳥居」の右横には 社号標が2基建っています
「近津神社」&「稲村神社」です
稲村神社の社号標の上部には 薄いですが文字が刻まれています
「常陸国二十八社 久慈郡七座之一」この意味は 延喜式内社の所載社であると刻んでいる訳です

鳥居をくぐり抜けると 景色が一変します
緑の絨毯の中を濃いグレーの絨毯(参道)が 真っ直ぐに社殿に敷かれて 延びているかのようです

 

良く見ると小川が流れていて 湿地帯のようにも見えます

シダのような植物が生えていますが 棚田やワサビ田の跡地のような気がしてきました

少し歩くと左手が開けて来て 明らかに棚田の跡です もしかすると近津神社の「神田」なのかもしれません 兎に角 荒れているように見えず美しいのです

参道右手の山裾に「天満宮(Tenman Shrine)」の参道が見えます
帰りに立ち寄るつもりでしたがうっかりしてしまいお詣りできませんでした

目前の正面に隋神門が近づいてきました 右手前には手水舎があり 清めます

隋神門の手前で参道を振り返ります 美しいです

狛犬の構える参道の正面に注連縄のかかる隋神門が建ち 一礼してくぐり抜けます

参道の階段を登れば社殿です

この階段には 正直 驚きました

大きな「サワガ二」です シャッターを押すも近づくと素早く動きます

成程 水が綺麗なのだなと感心しつつ 今度は以前 三森 都々古山都々古別神社」で見かけたのと同じヤマアカガエル」がお出迎えです こちらは逃げません

すっかり生き物に堪能してしまいました 階段を上がります 社殿が見えてきました

拝殿にすすみます 見事な龍の彫り物があります

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿周囲が修復中で 宮大工さんが仕事中でした 向かって右側は仕事場になっていまして近づくのは遠慮しました

向かって左側から社殿を眺めます

すぐ脇に境内社があり お詣りをします

一礼して 階段を下がると先程のヤマアカガエル」が まだいてお見送りしてくれました

参道をもどり 鳥居を抜けて 振り返り一礼します

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

近津神社(中宮)の石鳥居 について

水戸藩(徳川御三家)初代藩主石鳥居を奉納しています
御影石(花崗岩)製の明神鳥居」高さ:29m 笠木の長さ:34m 東西柱間:23mとあります

当地が、水戸藩領となって間もない寛永11年(1634)に、水戸藩初代藩主 徳川頼房公の奉納によるものです。
石鳥居の柱に刻まれた銘文は、ほとんど風化して判読し難いですが、西柱の「大旦那源朝臣中納言頼房公」の銘文については、歴然としていて今でも判読可能です。

大子町文化遺産ホームページ
大子町教育委員会事務局 生涯学習担当 HPより

町付近津神社Machitsuki Chikatsu Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

「近津三社八溝川沿いに並鎮座それぞれの記事をご覧ください

・〈上野宮〉上野宮近津神社(Ueno miya Chikatsu Shrine)

 

・〈中野宮〉町附近津神社(Machitsuki Chikatsu Shrine)

 

・〈下野宮〉下野宮近津神社(Shimono miya Chikatsu Shrine)〈当社〉

 

八溝嶺山Yamizomine yama)を源とする八溝川

・八溝嶺神社Yamizomine Shrine)の記事をご覧ください

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-その他の神社
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.