壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について

壱岐島(いきのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 壹岐嶋 24座(大7座・小17座)の神社です

壱岐島(いきのしま)について

壱岐島Ikinoshimaは  令制国の一つ〈西海に属する
現在の・長崎県壱岐

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壱岐国(いきのくに) 「島」という行政単位として壱岐島(いきのしま)とも呼ばれ 国司は島司とも呼ばれた

中国の史書魏志倭人伝中国三国時代について書かれた歴史書で 成立時期は西晋による中国統一後の280年以降に「一大(支)(いきのくに)」として記されるのが 文献の初見

もと伊吉島造 壱岐県主があり のちに独立して壱岐国(いきのくに)となる

壹岐嶋(いきのしま) 24座(大7座・小17座)

大社7は7
小社17は17
 24は24

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
壹岐郡(いきの こおり) 12座(大4座・小8座)
石田郡(いしたの こおり) 12座(大3座・小9座)

目次

郡(いきの こおり) 12座(大4座・小8座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

水神社(みつの かみのやしろ)

・水神社(壱岐市勝本町布気触)

河原神社(壱岐市郷ノ浦町半城本村触)〈水神社古社地 ※祭神が共通の為の誤認との説あり

阿多弥神社(あたみの かみのやしろ)

・阿多彌神社(壱岐市勝本町立石東触)

・熊野神社(壱岐市勝本町立石南触)

住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)

・住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触)

兵主神社(名神大)(つはものぬしの かみのやしろ)

・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

・本宮八幡神社(壱岐市勝本町本宮西触)

月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)〈(月讀宮)箱崎八幡神社旧鎮座地〉

國片主神社(くにかたぬしの かみのやしろ)

・國片主神社(壱岐市芦辺町)

〈大正五年八月 爾自神社合祀された 國像社〉爾自神社(壱岐市郷ノ浦町有安触)

長峰天満神社(壱岐市郷ノ浦町長峰本村触)〈安村にあった國片大明神を相殿に合祀

髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)

・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

手長比賣神社(てなかひめの かみのやしろ)

・手長比賣神社(壱岐市勝本町本宮)

・聖母宮(壱岐市勝本町)

・天手長比売神社跡(壱岐市郷ノ浦町)

・國片主神社(壱岐市芦辺町)

佐肆布都神社(さしふつの かみのやしろ)

・佐肆布都神社〈旧 鎮座地〉(壱岐市勝本町)

・中津神社(壱岐市勝本町)明治41(1908)佐肆布智明神を合祀

同 佐肆布都神社(おなじき さしふつの かみのやしろ)

・佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

・金刀比羅神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

中津神社(貞・名神大)(なかつの かみのやしろ)

・聖母宮(壱岐市勝本町)

一緒に読む
聖母宮(壱岐市勝本町勝本浦)

聖母宮(しょうもぐう)は 神功皇后〈仲哀天皇9年(200)10月〉が壱岐に着き 順風を待たれたこの地を「風本・かざもと」と名付けられ三韓へ出兵された 三韓からの帰路再び立ち寄られ〈同12月〉出兵の勝利を祝い「勝本・かつもと」と改められたと社伝にあります 壹岐郡の二つの式内社〈・中津神社(名神大)・手長比賣神社〉の論社となっています

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・中津神社(壱岐市勝本町)

一緒に読む
中津神社(壱岐市勝本町北触)

中津神社(なかつじんじゃ)は 社記によれば 弘仁2年(811)10月1日に鎮座と伝え 延寶4年(1676)の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉によって 中津神社(なかつの かみのやしろ)(名神大)と査定とされ 明治41年(1908)に佐肆布智明神〈式内社 佐肆布都神社〉を合祀して 二つの式内社の論社となっています

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角上神社(貞)(つのへの かみのやしろ)

・角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)

・覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)

一緒に読む
覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)

覩上神社(とかみじんじゃ)は 由緒には諸説あり創建年代不詳ですが 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 式内社とされていました 式内社 角上神社(つのへの かみのやし ...

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・津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)

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石田郡(いしたの こおり) 12座(大3座・小9座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

天手長男神社(名神大)(あめのたなかをの かみのやしろ)

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)

天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃し その後廃絶し 所在も不明となっていた天手長男神社を 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たながお(たなかを)」から推定し比定したものです それ以前は 櫻江村 若宮と云って式外社で 天手長男神社の由緒を存するものではないとされていました

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・興神社(壱岐市芦辺町)

天手長比賣神社(名神大)(あめのたなかひめの かみのやしろ)

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)

天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃し その後廃絶し 所在も不明となっていた天手長男神社を 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たながお(たなかを)」から推定し比定したものです それ以前は 櫻江村 若宮と云って式外社で 天手長男神社の由緒を存するものではないとされていました

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・天手長比売神社跡(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
天手長比売神社跡(壱岐市郷ノ浦町)

天手長比賣神社跡(あまのたながひめじんじゃあと)は 延宝4年(1676)平戸藩命で式内社調査を国学者の橘三喜が行い 鎌倉時代の元寇により荒廃し その後廃絶 所在不明だった天手長比賣神社を 物部邑の五所姫大明神幡宮・姫大明神と呼ばれていた当社に推定し比定したもので〈昭和40年(1965)天手長男神社に合祀〉され 現在は跡地です

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・國片主神社(壱岐市芦辺町)

一緒に読む
國片主神社(壱岐市芦辺町)

國片主神社(くにかたぬしじんじゃ)は 古来 唐土から石舟に乗り来た唐田天神を祀り 国分天神と呼ばれ 式内社 天手長比賣神社に比定されます 又 延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉では 証拠は何処にもありませんでしたが 式内社 國主片神社に比定されました 国分天神の呼び名は 天満宮との混同により国分天満宮となりました

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彌佐支刀神社(みさきとの かみのやしろ)

・彌佐支刀神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)

・比賣神社(壱岐市芦辺町深江鶴亀触)

國津神社(くにつかみのやしろ)

・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)

國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります

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・津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)

・志々岐神社(壱岐市石田町南触)〈参考〉

海神社(大)(あまの かみのやしろ)

・海神社(壱岐市石田町筒城西触)

・白沙八幡神社(壱岐市石田町筒城仲触)

津神社(つの かみのやしろ)

・津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)

・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)

國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります

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・津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)

與神社(よの かみのやしろ)

・興神社(壱岐市芦辺町)

・深江神社(壱岐市芦辺町)

大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)

・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)

爾自神社(にしの かみのやしろ)

・爾自神社(壱岐市郷ノ浦町有安触)

・西八幡神社壱岐市郷ノ浦町初山西触

・志々岐神社(壱岐市石田町南触)〈参考〉

見上神社(みのへの かみのやしろ)

・見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)

・覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)

一緒に読む
覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)

覩上神社(とかみじんじゃ)は 由緒には諸説あり創建年代不詳ですが 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 式内社とされていました 式内社 角上神社(つのへの かみのやし ...

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國津意加美神社(くについかみの かみのやしろ)

・國津意加美神社(壱岐市郷ノ浦町本村触)

物部布都神社(貞)(もののへのふつの かみのやしろ)

物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉

・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉

・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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