①〈プロローグ〉 大国主神(おほくにぬしのかみ)の御祖(みおや)

次から始まる 主神の神話のプロローグとして 描かれる

須佐之男命(すさのをのみこと)の系譜かれ 主神の出生が紐解かれていきます

主神(おほくにぬしのかみ)の亦名(またのな)を 五つ挙げています
大国主神(おおくにぬしのかみ
亦名(またのな)は 大穴牟遅神(おほなむじのかみ
亦名(またのな)は 葦原色許男神(あしはらしこをのかみ
亦名(またのな)は 八千矛神(やちほこのかみ
亦名(またのな)は 宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ
合わせて 五つ(みな)あり」

刺田比古神社和歌山市《主》刺国大神主神母神 刺姫の父神

『古事記』神話には
此の神〈天之冬衣神刺国大神(さしくにおおかみ)の女(むすめ)名は 刺国若比売(さしくにわかひめ産んだ子は 大国主神(おおくにぬしのかみ」と記されます

・刺田比古神社(和歌山市片岡町)

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

此の神〈深渕之水夜礼花神〉天之都度閇知泥神(あめのつどへちねのかみ)をり 産んだ子は 淤美豆奴神(おみづぬのかみ)

此の神〈淤美豆奴神〉布怒豆怒神(ふぬづぬのかみ)の女(むすめ) 名は 布帝耳神(ふてみみ)をり 産んだ子は 天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)

此の神〈天之冬衣神刺国大神(さしくにおおかみ)の女(むすめ) 名は 刺国若比売(さしくにわかひめり 産んだ子は
大国主神(おおくにぬしのかみ
亦名(またのな)は 大穴牟遅神(おほなむじのかみ
亦名(またのな)は 葦原色許男神(あしはらしこをのかみ
亦名(またのな)は 八千矛神(やちほこのかみ
亦名(またのな)は 宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ
合わせて 五つ(みな)あり

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台
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