飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)

飯王子神社「安寧子」酒王子神社「満寧子」は 『三宅記(miyakeki)』に記される「大蛇退治」三宅島の大蛇の伝説伝承にまつわる神を祀る神社です 伝説によれば 三宅島の「天地今垢(伊古奈比咩命)」の御子神「安寧子」・「満寧子」の二神が 酒と飯を大蛇に与えむらせます そして新島の二人の王子と後見の「剣の御子が 大蛇を切退治したとされています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

飯王子神社Iioji Shrine)
酒王子神社Shuoji Shrine)
 (いいおうじじんじゃ・しゅおうじじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

浜宮(hamamiya)

【鎮座地 (Location) 

東京都三宅島 三宅村 神着

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

飯王子神社Iioji Shrine)
《主》安寧子(anneiko)

酒王子神社Shuoji Shrine)
《主》満寧子(manneiko)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

御笏神社Oshaku Shrine)の境外社

【創  (Beginning of history)】

不詳

【由  (history)】

飯王子酒王子神社

祭神 弐 阿米都和気命(あんねいご)
神名 弐 穂都佐和気命(まんねいご)

昭和42年 大久保浜より(東電発電所の煤煙被害)神着船主 漁民一同 の意志で旧現在地へ遷移

『図説 三宅島の神々を訪ねて』 島崎広光 著より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

社殿向かって 右に小さな石祠

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

御祭神「安寧子(anneiko)」「満寧子(manneiko)」について

御祭神は『三宅記(miyakeki)』に記されて 由緒(格式ある歴史)があります
三島大明神 と 三宅島の「天地今垢(伊古奈比咩命)」の御子神です

御祭神の 1柱を安寧子(anneiko)「あんねいこ」
安寧(あんねい)とは 無事でやすらかなこと
     特に世の中が穏やかで安定していることの意味です

御祭神の 1柱を満寧子(manneiko)「まんねいこ」
満寧(まんねい)とは 安らかさに満ちていることの意味です

伊古奈比咩命(Ikonahime no mikoto)は 伊豆下田の白浜神社の御祭神となっています
白浜神社の記事をご覧ください

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

社殿の向きは 北北西です 「新島(niijima)」を向いています

社殿と鳥居の先は「新島(niijima)」が見えています

これは『三宅記(miyakeki)』に記される「大蛇退治」の伝承によれば

この一大事を見物しようと 島々の王子たち 后たちもおいでになりました
新島の「大宮の王子劍の御子」を従えておいでになりました

三宅島の「天地今垢」子神「安寧子」・「満寧子」の二神が 酒と飯を与えると 大蛇は鱗を立てて眠りこんでしまいまし

これを一番に「劍の御子(三島大明神の随神)」が斬り 二番に宮の王子(新島を拓いた神)」が斬り 三番にていさんの王子(大宮の王子の弟)」が斬りました
大蛇が斬られて 尻尾を振り回したので 岩陰から見ていた「みとくちの大(新島の泊大后大明神)」左の御目に当たり 打ちつぶれてしまいました

とあり 新島の二人の王子と後見の「剣の御子が 大蛇を切退治して さらに「みとくちの大(新島の泊大后大明神)」が失明したとされていることに関連して 新島を遥拝しているかのようです

しかし それに留まらず に 「新島(niijima)」の その海上の はるか先には 伊豆半島の下田「白浜海岸」があります

この白浜海岸には
父神「三島大明神(Mishima daimyojin)」
母神「伊古奈比咩命(Ikonahime no mikoto)」を祀る白浜神社があります 実は こちらを遥拝していることになります

「社殿の向いている方向」の地図を作成しましたので ご覧ください

Please do not reproduce without prior permission.

白浜神社の記事をご覧ください

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三池港から北上約8.1km 車15分程度
三宅一周道路から神着の「湯の浜漁港」へと下ります

道沿いに下ると磯場の案内板があり 位置が良くわかります

坂道からは島々(左から 式根島 新島 利島 大島)と伊豆半島が遠く見えています

そのすぐ先に浜に降りる旧道の脇に溶岩で垣を築いて鎮座します

飯王子神社Iioji Shrine)
酒王子神社Shuoji Shrine)に参着

昭和42年(1967)に再建されていますので 整備された神社となっています

鳥居は 旧道の側に建っています 鳥居の手前には自然石をくり抜いた手水鉢があります

一礼をして 鳥居をくぐり抜けます 扁額には「飯王子神社 酒王子神社」とあります 朝陽が鳥居に昇ってきています

社殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿向かって右側に 小さな石の祠があり お詣りをします

参道を戻ると 
ちょうど本殿から参道を通り鳥居の先の洋上に鳥居の先には「新島(niijima)」が見えていて 新島と伊豆下田白浜を向いて建っている事がわかります

鳥居の真下から海を見るとこんな感じです

鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される御祭神の伝承

三島大明神が 島々に后を1人づつ置かれた際に
三宅島に置かれた后を「天地今宮后」と呼び
その御子が 御祭神の
「安寧子」・「満寧子」の2神と記されています

意訳

又 三宅島に置かれた后を「天地今宮后」と申されました その御腹にも王子が2人おられました
1人を「あんねいこ」
1人を「まんねいこ」と申されました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

『三宅記(miyakeki)』に記される「大蛇退治」の伝承

三島大明神が 箱根の湖辺に住む老翁媼の娘3人を大蛇(龍神)から救い そして娘3人を后として三宅島に迎える話が記されます

二つの大穴を掘り 一つの穴に飯を盛ってあんねいこ」お預けください これを飯の王子といたします
もう一つの穴には 酒を満たしてまんねいこ」お預けください これを酒の王子といたします 

御祭神の活躍が記されています

意訳

ここに一つの不思議があります
箱根の湖のほとり 翁と姥がおりました 夫婦は370になっておりましたが 三人の娘がいまし
明け暮れと湖で釣りをして暮していました あるとき 一日中釣りをしていたが 一匹も魚がなかった 

舟の舳先に伏してお願いをしました
「この湖に主(ヌシ)居られるならば あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に3人娘の中から 誰でもお気に召すまま 一人を与えいたしましょう」言い 居眠りをしてしまいました
すると16..7程の男が何処から現われて「先程の話は聞き届けました」と言いかき消すように失せました
そして その通りに 小さな魚たちが舟に飛び込み 舟は魚でいっぱいになってしまいました

は 恐ろしくなって帰ろうとすると 水底より声がありました
「2,3日で約束の通りに迎えに行くつもりです 三女を貰おう」と言うものです

は帰って いつもとは違い 消沈していましたので 姥や子供たちが見ておられ「何を悩んでおられますか」と聞かれましたら
「言わなくとも 叶うわけではないのに・・・今日に限っては魚を一匹も釣ることが出来ないので あまりの事だったので「あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に子供中から 誰でもお気に召すまま 一人を与えいたしましょう」と言ったところ たちまち舟に魚が沢山飛入りまして その後で 水底から声があって 三女をください 迎えに参上しますと言ったことがあり 嘆かわしくて この様に悩んでおります」と事の次第を語りました
娘三人はそれは たやすいことです 私たちのはかりごとに任せてください」

と言われて翁も落着き「さて どうしようか」とおしゃりました

約束の人が来たら 3人ともに後ろの家に居るとお答えください」言って後ろに家を構えて待ちました
3の亥の刻に 男が迎えに来まし

「約束に従いお迎えに参りました」と声があり 翁は出迎えて

「後ろの家に居ります」と答えられたので そのまま後ろの家に行きました

そこで三女が出迎えると「我々は ここの者ではなく 富士の頂に住む者ですので そちらへ尋ねてきてください」といって鳩となって飛び立っていきました
その時 男は大蛇になると大いに怒り 残りの二人の娘を取ろうとしましので 二人も共に鳩になって飛び去っていきました

大蛇はいよいよ怒り 富士山に三女を探し求めようとりました
三女は 富士山頂の岩の中に隠れておりましたが たまたま三嶋大明神が富士の頂に登られていて 大明神は三女を見て何処の人かと尋ねられまし
三女は「私 箱根の湖の「かきのおうと申す者の三女でございます 父は唐土(もろこし)においでになる時は 八大執金剛童子と申しましたが 地神五代の「あまつひこねににぎのみこ」の御時に あまりにも垂迹がすばらしいので この国に渡ってまいりました
地神の御遺言に従い「あめつちのみこと」と契りを結びもうけられたと聞いております

また 母は斯羅奈(しらない)國の王の三女で
父母ともに370でございます
この父 箱根の湖に出て釣りをされましたが 魚を一匹も釣ることが出来ませんでした あまりの事で何んとはなく「この湖の底に主が居れば魚を得させてください そのお礼に3人の娘の中で誰でも望みのままに与えましょう」と言うと 水神がこれを聞き「それならば」と魚を与え その後「約束である」と迎えに来られたので ここへ飛んで来たのですが きっとここへも来るでしょう どうすればいいでしょう」と打ちしおれておりました

大明神は「私を頼りにして頂ければ 御隠し申し上げましょう」とおしゃりました「どのようにでも お計らいにお任せいたします」と答えられました

この時 大蛇はそのまま富士の山腹に登りかかっていました その時 2人連れだって大島に飛ばれると 大蛇もまた大島に追って来たので それから また2人で連れだって三宅島に飛ばれました
三女を御嶽へ隠しになられて 見目と若宮にむかって「どうしようか」と御言葉を掛けました
それは容易いことですといい

二つの大穴を掘り 一つの穴に飯を盛ってあんねいこ」お預けください これを飯の王子といたします
もう一つの穴には 酒を満たしてまんねいこ」お預けください これを酒の王子といたします
このようにお計りになられて 大蛇が来たならば 見目がお相手となり 飯と酒とを勧め 大蛇が酔ったところを「剣の御子」に切らせて差し上げましょう」と支度をされました

この一大事を見物しようと 島々の王子たち 后たちもおいでになりました
新島の大宮の王子も劍の御子を従えておいでになりました
残りの妃は 王子が親のかたきを打たれるのを見ようと 「イガイ(いかゑ)」の浦の石の陰に隠れてご覧になりました

そうしているうちに大蛇が怒り 御嶽に登ろうとしているのを 見目が出向いて 様々になだめて「まずは 飯と酒を差し上げましょう」と申し上げると 大蛇もその穴に向かいました あらかじめ用意していたことなので 待ち構えた飯の王子は飯を無理強いして 酒の王子酒をさしあげると 大蛇はたちまち酔って 鱗を立てて眠りこんでしまいまし

これを一番に「劍の御子(三島大明神の随神)」が斬り 二番に宮の王子(新島を拓いた神)」が斬り 三番にていさんの王子(大宮の王子の弟)」が斬りました
大蛇が斬られて 尻尾を振り回したので 岩陰から見ていた「みとくちの大(新島の泊大后大明神)」左の御目に当たり 打ちつぶれてしまいましたこうして大蛇はやすやすと討伐され 各島の王子・后もりになられました

そこで大明神は 御嶽に登られて あの后を探されましたが姿が見えませんでした

大明神怒って見目に探すようにお命じになると 見目はお引き受けして ツツジの花の中から捜し出されました
「どうして 隠れていたのですか」と尋ねると

小蛇がいたので 大蛇の眷属かと思い恐ろしくなって ツツジの中に立ち入れましたら 着物の紅梅色つつじの花を見間違えられたので 逃げた訳ではございません」おしゃりましたので 
大明神はこれより この島の躑躅(つつじ)は花を咲かせないように 蛇は后を怖がらせ給う」とお言いつけになり それから 蛇はこの島にいてはならんと追い出されました

大明神は残る二人の娘も見目に探させ島に招き入れ、三人の娘を后とし、三宅島の各所に置かれた

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

飯王子神社Iioji Shrine)
酒王子神社Shuoji Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

御笏神社Oshaku Shrine)の境外社となっています
御笏神社Oshaku Shrine)の記事をご覧ください

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

続きを見る

「剣の御子を祀る差出神社の記事もご覧ください

一緒に読む
差出神社(三宅島 錆ヶ浜)

差出神社(さしでじんじゃ)は 『三宅記(みやけき)』に記されている「大蛇退治の伝承」に登場する「剣の御子」が 当社の御祭神「剣の神(Tsurugi no kami)」のこととされています 「剣の御子」は その剣で 大蛇を最初に退治したと記されていて 当社が鎮座する「錆ヶ浜(さびがはま)」の名前の由来は この 剣刀の錆 を落としたことに 由来すると云われています

続きを見る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-その他の神社
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.