滋賀県
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近江国 式内社 155座(大13座・小142座)について
近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 近江国 式内社 155座(大13座・小142座)の神社です
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建部神社(五個荘伊野部町)
建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります
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日撫神社(米原市顔戸)
日撫神社(ひなでじんじゃ)は 神功皇后(じんぐうこうごう)が祖先が代々住むこの地を深く慕われ 三韓より凱陣の後 此の地に祠を建て 少昆古名命と御父 息長宿弥王を祀られたのが創祀と伝わり 『延喜式神名帳927 AD.』所載の近江国 坂田郡 日撫神社(ひなでの かみのやしろ)とされます
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走落神社(高月町馬上)
走落神社(はしりおちじんじゃ)は 高月町馬上(まけ)にあり 社伝によると神亀年間(724~729)の創祀と伝わる延喜式内社です 仁和年間(885~889)の頃 この地で名馬が産まれ 宇多天皇に献上し「馬上」の 2文字の宸筆の額を賜り その後 祠堂を建立し 鳥居に「馬上」の額を掲げ この鳥居を通過する際は 必ず下馬し拝礼したと伝わっていますが 天明 7 年(1787)の大火で この扁額や社蔵文書を焼失しています
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建部大社(大津市)近江国一之宮
建部大社(たけべたいしゃ)は 近江国一之宮です 神社の東側では 近江国庁跡も発掘されています 社伝によれば 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃・布多遅比売命(フタジヒメノミコト)が神勅により 日本武尊を「建部大神」として 神崎郡 建部郷 千草嶽(現・東近江市の箕作山)に祀ったのが始まりとされ 天武天皇4年(675)近江の守護神として 現在地の栗太郡 勢多へ遷座しました
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沙沙貴神社(安土町)
沙沙貴神社(ささきじんじゃ)は 遠く神代に少彦名神(スクナヒコナノカミ)を祀り 古代に沙沙貴山君(ササキヤマノキミ)が大彦命(オオヒコノミコト)を祀り 景行(ケイコウ)天皇が 志賀高穴穂宮の遷都の時に 大規模な社殿を造営させたと伝わります やがて 宇多(ウダ)天皇とその皇子の敦實(アツミ)親王が 宇多源氏の祖 佐々木大明神として祀られ それ以降 佐々木源氏の氏神とされて子々孫々が篤く崇敬しています