長野県
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美和神社(長野市三輪)
美和神社(みわじんじゃ)は 善光寺七社の一つとされ 長野電鉄本郷駅の西側に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』信濃国 水内郡九座の筆頭に記される式内社で 三輪山をご神体とする奈良県〈大和国〉の大神神社と同じく古代の大三輪氏大神一族によって祀られたとされます 社頭には三輪鳥居が構え 美和神社付近の住所は三輪(みわ)と呼ばれています
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信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について
信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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欅原神社(小布施町都住)
欅原神社(くぬぎはらじんじゃ)は 高井郡に鎮座した式内社「小内神社」の論社とされます 有力論社の小内八幡神社の神職家である片山家は六川(小布施町)で神官を担っていたと伝えられ 六川(小布施町)に隣接する小布施町都住に鎮座する〈当社〉﨔原神社も同じく論社とされています
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小内八幡神社(中野市安源寺)
小内八幡神社(おうちはちまんじんじゃ)は 貞観年間(859~877)の草創といわれ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社とされます 永禄4年(1561)社殿が 戦火にかかり烏有に帰し 寛文5年(1665)飯山藩主松平忠倶により再建されました 明治6年4月には郷社に列しました
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諏訪社(長野市若穂綿内)
諏訪社(すわしゃ)は 式内社 越智神社(をちの かみのやしろ)の旧社地とされ その跡地に諏訪神を祀って氏神としたものです 越智神社の創建は 天平9年(737)霊峰妙徳山頂に祠を祀ったのが開基で 『延喜式神名帳(927年編纂)』の頃は 現 宮王神社(長野市若穂綿内)に鎮座 鎌倉時代頃(1192~)清水の片山地籍〈当社 諏訪社〉へ さらに室町時代後期の永正元年(1504~)現 小内神社に遷座と伝わります
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宮王神社(長野市若穂綿内)
宮王神社(みやおうじんじゃ)は 創建は天平9年(737)霊峰妙徳山頂に祠を祀り「越智神社」本宮を開基したときの「前宮」で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の頃には この地に鎮座したと伝わります 越智神社は 鎌倉時代(1192~)に清水の片山地籍へ さらに室町時代後期の永正元年(1504)に現 小内神社に遷座しました 現在の宮王神社はその跡地に諏訪神を祀って氏神としたものです
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小内神社(長野市若穂綿内)
小内神社(おうちじんじゃ)は 社伝及び古文書に 住古は妙徳山頂の小祠が本社で 越智神社と称し 幾度かの水害により社号額流失の伝承が残る 永正元年(1504)2月現在地に遷宮 寛延年間の式内社定め時(1624~1644)互いに論争を醸し 幸高村が旧社号 越智神社の許可を得たりと聞き驚き 小内神社の称号は未定であったためにそれを願い出て寛永3年(1624)現小内神社称号を拝載する
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越智神社(中野市越)
越智神社(おちじんじゃ)は 口碑によれば 天武天皇 白鳳13年(684)の勧請 往古 越智山の頂上に鎮座し その嶺が険しく里社を造営し後 現地に奉遷 旧地には石祠を建て天神社と称し 旧越村の産土神である 即ち延喜式神名帳に高井郡 越智神社とあるはこれなりとする 式内社の論社です
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越智神社(須坂市幸高)
越智神社(おちじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載「信濃國 高井郡 越智神社」の論社です 湧水池の多いこの地に移住した越智氏の祖神 饒速日命を産土神として 後 諏訪神 建御名方神を勘請し神社名を諏訪大明神とし 寛延3年(1750)神社名を越智神社に改め 延喜式内社として今日に至ります
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笠原神社(中野市笠原)
笠原神社(かさはらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社です 元々は現在地より東北300mほどの字天神前に鎮座していたが 寛文11年(1671)湯交川〈夜間瀬川〉の大洪水によって社殿を流失 その後 祭祀を委ねた若宮八幡宮が笠原神社の額を掲げたが 江戸寺社奉行の決裁で笠原村の勝訴となり 文化12年(1815)現在地に再建
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伊豆毛神社【旧鎮座地】(長野市豊野町)
伊豆毛神社【旧鎮座地】は 八雲台古墳の上に鎮座しています 里俗の口碑によれば 太古には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する出雲族の神社とも考えられます『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社で 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座しました
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伊豆毛神社(長野市豊野町)
伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます
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諏訪大社 下社 秋宮(下諏訪町)
諏訪大社 下社 秋宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡と」されています
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諏訪大社 下社 春宮(下諏訪町)
諏訪大社 下社 春宮は 諏訪湖北側の下諏訪町に位置しています 下社は「春宮と秋宮」に分かれていて「半年ごとに神様が遷座して移る」という特徴があります ご祭神は 2月から7月まで春宮に鎮座し 8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し 翌2月1日に春宮に帰座されます 又 厳冬の諏訪湖で見られる「御神渡り」では 上社の御祭神の男神(彦神)が 下社の女神に通った「神様の通り道の跡」とされています
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諏訪大社 上社 本宮(諏訪市)
諏訪大社 上社 本宮は 全国に1万以上の御分社をもつ諏訪神社の総本社です 諏訪湖を挟んで 南に上社「本宮・前宮」北に下社「秋宮・春宮」があり この4宮を諏訪大社と呼びます 上社本宮は諏訪湖の南東に佇む守屋山の麓に位置し 参道は 北と東から2つ参道がありますが 正式な参拝路は 前宮から続く東参道とされています
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八剱神社(諏訪市)
八剱神社(やつるぎじんじゃ)は 諏訪の七不思議の第一にあげられる「諏訪湖の御渡り」〈諏訪明神「建御名方命(タケミナカタノミコト)」が 下社の女神「八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)」のもとへ訪れに氷の上を渡られた跡といわれ〉これを定める「御渡り拝観」という特殊神事を守り伝え 天和3年(1683)以降の御渡り拝観の記録「御渡り帳」が今日まで書き継がれています 天正18年(1590)高島築城に際し 城地にあった八剱神社と高島村は現在地に遷されました
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洩矢神社(岡谷市)
洩矢神社(もりやじんじゃ)は 洩矢大神とも称します 神代に諏訪に侵入した外来の勢力 諏訪明神=「建御名方神(たけみなかたのかみ)」に 抵抗した 先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が屈服するという「諏訪の国譲り物語」の舞台とされます 御祭神の「洩矢神(Moriya no kami)」は 諏訪大社上社の神長官「守矢氏(もりやうじ)」の始祖とされています
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諏訪大社 上社 前宮(茅野市)
諏訪大社 上社 前宮は 4つの諏訪大社の中でも 諏訪の祭祀の発祥地とされます 古来より諏訪明神の住まう所で 現人神とされた諏方の大祝(オオホフリ)の居舘があり 上社の祭祀の中心地でした 神長官(ジンチョウカン)の守矢氏が 神秘にして原始的なミシャグジ神を降ろして 諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地とされています
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藤島神社(岡谷市)
藤島神社(ふじしまじんじゃ)は 伝説によれば 諏訪入りした外来勢力の諏訪明神「建御名方神(たけみなかたのみこと)」と先住の神「洩矢神(もりやのかみ)」が争った 諏訪明神(藤島明神)の伝承の地とされます 「藤島社」は 中世~近世以降 天竜川のほとり 三沢村の荒神塚〈石室を備えた円墳「荒神塚古墳(Kojinzuka kofun)」の跡に鎮座している〉とされています
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荒舩山神社 遥拝殿(佐久市内山相立)
荒舩山神社 遥拝殿(あらふねやまじんじゃ ようはいでん)は その名の通り 御神体山「荒船山(arafune yama)」を 神が宿る「神奈備(kannabi)」として遥拝する場です 拝殿の奥(本殿の位置)には「荒船山」を見立てた 神降る「磐座(iwakura)」が祀られています