石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉

石部神社は 加賀国の誕生にかかわる古社です 弘仁14年(8233 越前国から分割して加賀国ができた際 その府庁の南に 当社が 府南社と称して すでに祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石部神社Isobe Shrine)
(いそべじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

石川県小松市古府町カ169

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》櫛日方別命Kushihikatawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 加賀國一之宮Kaga no kuni ichinomiya)
 加賀総社Kaga no kuni soja

【創  (Beginning of history)】

・創建年代不詳

石部神社 由緒

主祭神 櫛日方別命(くしひかた わけのみこと)

例祭日 三月十七日・九月十七日

 今を去る1160余年前の弘仁14年(8233 越前国から分かれて加賀国ができた。その府庁のあった所がこの近くである。その南に当社がすでに祀られていたと伝えられる。
府の南にあったので府南社とも称え、この地を府南山と号した。当時 国司は、毎月1日に 加賀の主な神社8社を廻り参詣した。やがて当社を加賀国総社とし、ここを参拝することによって8社を廻るのに代えた。当時の当社の隆盛と規模の雄大さは、加賀国第一であったといわれている。

 延喜年間(904)に「式内社」に列せられ、神名帳に登録されている。安元2年(1176)に国司と白山衆徒との争乱による涌泉寺事件に関係して、神社は大きな被害をうけた。その後 往年の盛況はなく、応永28八年(1421)の足利義持判書に「南禅寺領 加賀国府 南社御供田 云々」とある如く、南禅寺と所領争いもあった。

 慶長5年(1600)小松城主 丹羽長重は、社殿を修理し宝物を納められた。加賀三代藩主 前田利常は厚く当社を尊信し、歴代藩主もまた厚く敬い奉幣した。明治58月、郷社に列せられた。明治3912月神饌幣帛料供進社に指定された。現拝殿は昭和63月、 神殿は昭和373月に造営された。

 幾年月の間に栄枯盛衰はくり返された。今は盛時の面影はないが、付近に残る数々の遺跡や田地名に、往年の状況を偲ぶことができる。どんなに変ろうと常に当社に敬神の誠を捧げ、お仕えしてきたのはこの国府(こう)の人 達である。神もまたとこしえに私達をお守りになっている。
境内面積 3438坪 (小松市古府町力の169番地 鎮座)

昭和61年3月吉日 撰文 小松市文化財調査委員長 北野勝次

境内 由緒石板より

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【由  (History)】

由緒

昔から船南山といわれ、弘仁14年 加賀置国の時、本社は国府の南に当たっていたので府南社ともいわれ、加賀の惣社であった。式内社で白山八宮中に数えられ、歴代の国司の崇敬が篤かった。慶長年間 小松城主 丹羽長重が社殿の改築を行い、寛永年間 前田利常が神宝を奉納した。明治5年8月郷社に列格。同39年12月神饌幣帛料供進神社に指定。昭和37年社殿改築。

石川県神社庁公式HP
https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j0664/

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)加賀国 42座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)能美郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石部神社
[ふ り が な ]いそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Isohe no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

加賀国の成立と国府と総社と一之宮について

弘仁14年(8233 越前国から分割して加賀国ができました 実は日本の国で一番最後に成立した律令制の国が 加賀国とされています
この時に 政庁として 加賀国府が置かれたのが 現在の小松市古府町近辺と云われています

その府庁の南には 当社が府南社と称して すでに祀られていたと伝えられます

加賀国では国司の最も大切な仕事として 国内の有力神社八座を毎月1日に巡拝するのが定めになっていました
「八社は 白山 菅生 府南 熊田 栗加茂 神府 佐那武 八幡これなり」

9世紀中頃になると 国府の近くに総社〈国内の神社の祭神を合祀(惣社)を定めて 総社を参拝して国内の巡拝を行った事と同様とする簡略化が計られました
府南社と称していた当社が 総社〈加賀国の第一の総鎮守〉となったとされています

その後 国守や加賀藩などにも崇敬され 一之宮であるとの説も根強くあります

現在 加賀国の一之宮と云われるのは 白山比咩神社石部神社の2社です

・白山比咩神社(白山市三宮町)

・石部神社(小松市古府町)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

小松駅から県道4号 東へ約6.1km 車15分程度
梯川の蛇行する地点に円墳の様な丘陵 あるいは離れ小島のように見える鎮守の杜へと参道が続いています

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社号標には長い文字が刻まれています
「加賀国惣社 府南 延喜式 石部神社」

石部神社Isobe Shrine)に参着

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鳥居の正面前には 下乗車止と石が打たれていて 社号標「加賀惣社 石部神社」とあり 一礼をして鳥居をくぐります

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丘陵へ緩やかに上るように 広々とした参道の中央に石段があり 上には狛犬が構えます

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境内に入ると 参道は左に大きく弧を描くように曲がっていて 社殿は東南を向いて建っています

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社殿の正面には 再び鳥居が建っていて 厳かさが増してきます ゆっくりと拝殿にすすみます 

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参道には神馬の像が奉納されていて 加賀前田家の家紋「加賀梅鉢」がついています 案内石碑には御神紋の桐紋が付いていました 社殿は北陸特有の雪対策の覆屋で 正面はガラス張りです

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拝殿の扁額は「石部神社」
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の建つ境内地は 一段高く 境内と参道を見下ろしながら戻ります 参道が 正中を歩かないように配慮されて 大きく曲がっているのが良くわかります

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鎮守の杜は 鬱蒼としたトンネルのように 参道を覆い そこから丘陵〈古墳か?〉を下りるように続いていき 社頭の鳥居まで戻り 振り返りながら一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社名のみ記されています

【意訳】

石部(イソベノ)神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は 小松に在るとして 祭神を大物主命と記しています

【意訳】

石部神社

石部は 伊曽倍(イソベ)と訓ずべし

〇祭神 大物主命 神社帳
〇小松に在す 神社帳

〇当国 江沼郡 菅生石部神社もあり

類社 伊勢国 朝明郡 石部神社の條見合うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

祭神を奇日方別命ではないだろうと記しています

【意訳】

石部神社

祭神
今 按〈考えるに〉
注進状 祭神未詳 一説に大山咋神(オオヤマクイノミコト)とあれど 宮村磯部神社 菅生磯部神社などあるを思うに 奇日方別命にはあらざる歟(や)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

加賀国の一之宮は 白山であり 加賀国府の南に鎮座した府南〈当神社〉は 総社であると記しています

【意訳】

石川県 加賀国 能美郡 国府村 大字 古府(コフ)

郷社 石部(イソベノ)神社

祭神 櫛日方別命(クシヒカタワケノミコト)

本社は 国府の舟見山に在り 式内にして舟見社と唱え 
後小松天皇 應永8年5月26日 足利義時将軍の判書に「南禅寺領 加賀国府南社 御供田 備中三成社内文田所 両職並休畊寺分等事 任所 知行寺家領不可有相違 云々」とあり 
即ち この社は舟見社の謂(い)にして  社地は国府の南に当れるを以って 府南社とも唱え来りしを 後世 府南を舟見と誤り 社地をも舟見山と訛り唱える

 白山八社の一にして 即ち 府南の総社なり
按ずるに
白山記に曰(いわ)く 国々必ず 総社一社二社あり 加賀国白山は一宮 府南は総社なり 府南とは総社を云う
毎月朔日(ついたち)国の勅使 八社を廻り奉幣す
然れども 八社は 白山 菅生 府南 熊田 栗加茂 神府 佐那武 八幡 これなり

神階は 仁明天皇 嘉祥3年8月 正六位上を授けられ 陽成天皇 元慶元年9月 奉幣に預かる

昔は 巨木鬱蒼たりしかど 中古 兵乱のため祠字 衰退するに至れり 而して 本折山王社は 当社の摂社にして 本折山王社記に曰く「山王社者 往古 能美郡 得橋郷 船見山 石部神社 相殿鎮座の所 安元元年 鵜川湧泉寺衆の合戦の時 移 神坐 壽永3年鎮座干 小松本折故 船見山 石部神社 これを兼勤す」とありて 当社 船見山と称せし事をしられ又 その由縁にて 山王祭には 古(いにしえ)よりの慣例にて 国府より神輿(みこし)舁(かく)とて邑(むら)人 2人加輿丁出すと云う 本社は 斯くの如く 古来 著名の神祠にかぞえられたり 明治6年郷社に列す
建物は 本殿 拝殿 神饌所 幣殿 廊下 社務所 手洗舎を有し 境内坪数610坪を有せり

例祭日 9月17日

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

石部神社Isobe Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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