石都々古和気神社(石川町)

石都々古和気神社は 約一万年位前から信仰されていたとされている古代の祭祀遺跡の跡地に鎮座しています これは全国的にも数少ない大変重要な遺跡といわれています その様子は 山には 全山に花崗岩の巨石が連なる多くの磐境が点在していて屏風岩船形岩鏡岩(2基)亀石天狗石石門(鳥居)更に 三種の神器と言われている玉(勾玉)鏡岩等があります

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

石都々古和気神社(Iwatsutsukowake Shrine)
 (いわつつこわけじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 

福島県石川郡石川町字下泉269

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)
   大国主命(okuninushi no mikoto)
   誉田別命(homudawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・初宮詣 Pray to God for the birth and growth of the newborn
・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・七五三 7 year old 5 year old 3 year old celebration
・病気平癒 Heal illness
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社
・「陸奥国一之宮(mutsu no kuni ichinomiya)

【創  (Beginning of history)】

創建の年代は不詳

石都都古和気神社 由緒 (旧郷社)

鎮座地 福島県石川郡石川町宇下泉150
電話0247一26-7534

石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)は、延喜式内社の一つに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として、多くの方々に信仰崇敬されてきた。又、全国的にも数少ない祭祀遺跡(さいしいせき)の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡と言われております。

約一万年位前から信仰されており、多くの磐境(いわさか)が山々に点在しております。屏風岩、船形岩、鏡岩(2基)、亀石、天狗石、石門(鳥居)、更には三種の神器と言われる剣、玉(勾玉)、鏡等があります。

御祭紳は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと).大国主命(おおくにぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわむのみこと)の三桂です。味耜高彦根命は、本土創造、農業、工業の紳様.大国主命は、商売繁盛、家内安全、の紳様、誉田別命は.戦の神様であります。

京都の住人・福田安芸守源有光(ふくだあきのかみみなもとのありみつ)が、永承6年(1051年)奥州の安倍一族追討の軍に加わり(前九年の役)多大な功績を挙げ、その後、朝廷の命により、八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜りました。

そして、康平6年(1063年)この地に移り、名も石川有光となり、更に、治暦2年(1066年)石川有光の守護神である京都石清水八幡宮の御分霊(誉田別命)をいただき、当石都々古和気神社に合祀(ごうし)しました。

この日が 旧の9月19日であり、この時より、この日を大祭日と定め毎年9月13日から19日まで、大祭が執り行われ、御神体を納めた神輿が氏子等の手により、山頂より、山下の馬場町御仮屋にお下がりになり、奉納の行事や、流鏑馬(やぶさめ)が行われておりました。中世の山城としても遺跡に指定され、現在も空堀、狼煙台(のろしだい)、本丸跡、土塁等があります。

現在は新暦の9月の敬老の日の前日―土曜・日曜日の両日に例大祭が行われておりますが、町民は常に歴史と伝統を重んじ、九百四十有余年間、古式ゆかしく、お祭りを守り続け、今日に伝えて来ております。

神社配布紙より

【由  (history)】

延喜式内社
陸奥国一之宮

旧神社名
石都々古和氣神社
石都都古和氣神社
石都都古別神社
石都々古別神社
石都八幡宮

御祭神
味秬高彦根命
大国主命
誉田別命

鎮座地:福島県石川郡石川町字下泉269

社務所:福島県石川郡石川町字下泉150

当社は 福島県石川町の中央、通称八幡山に鎮座し、境内は三芦城(石川城)の跡地として県及び町の史跡に指定されており、古くより山岳信仰の場として山そのもの、又参道両側に点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、土着の人々に崇敬されていたと思われます。

当社は延喜5年(905)にまとめられた「延喜式神名帳」記載の白河郡七座の一つに数えられている古社であり、また陸奥ノ国一ノ宮にも数えられる。

江戸時代には「石都八幡宮」と呼ばれていたと言われており、福島県棚倉町の都都古和気神社は最初は一つだったという話もあり、当社と福島県古殿町の伊波止和気神社で近津三社にする説もある。

石都々古和氣神社の創始は 地方の伝承によれば、飛鳥時代(614-669)に藤原氏の祖、大臣鎌足(藤原鎌足)が「味鋤高彦根命」を「筒子山」に祀ったのが始まりとされており、延暦年中(782~806)には福田利人が祠を営んで、「味鋤高彦根命」を祀り、康平5年(1062)に初代福田安芸守源有光(初代石川有光)が八幡山に、三芦城を築いた。

築城中、当社を假に高田五里石の千勝大明神の地(当社の東400m程の近津神社)に遷座した。
治暦2年(1066)9月これを旧社に還遷し、石川有光は陸奥国平定の際に源頼義が勧請した源氏の氏神である石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)を当社に合祀し、そのとき石川有光の末子有祐が外祖父神祇職吉田(卜部)兼親朝臣の養子となり、吉田左衛門尉(初代神官吉田家当主)と名を改め当社神官となった。

石都々古和氣神社 公式HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

多数の磐座あり
玉(勾玉)

屏風岩船形岩鏡岩(2基)亀石天狗石石門(鳥居)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥国 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)白河郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 石都都古和気神社(貞)
[ふ り が な  ](いはつつこわけの かみのやしろ)
[How to read ]Iwatsutsukowake no Kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

石都々古和気神社の狛犬《石川町指定文化財》について

形 状 雄獅子(阿)・雌獅子(吽)とも、雲上に乗り後ろ脚を跳ね上げる
所謂「飛翔狛犬」
なお、雌獅子には3匹の子獅子が寄り添っています。

寸 法 雄獅子 全高…137cm、全長…168cm、全幅…60cm
雌獅子 全高…127cm、全長…171cm、全幅…60cm
作 者 小林和平
年 代 昭和5年(1930)1月製作

説 明
石都々古和気神社の狛犬は、本町出身の石工・小林和平が昭和5年に造立した作品です。小林の作品のなかでも本作品は、飛び跳ねる構図をとる所謂「飛翔狛犬」で、石造狛犬としては他に類を見ない形態をとり、その卓越した彫刻技術による本作品は全国的に評価が高いです。また、本町で確認できる小林作の狛犬は4対を数えますが、うち2対が「飛翔狛犬」であり、さらに「飛翔狛犬」のなかでも小林の銘が入ったものは、本作品のみであります。以上より、石都々古和気神社の狛犬は、時代的には昭和期の作品と新しいものの、現在の技術でもって復元することができない彫刻技術を駆使した作品であり、美術工芸的にも価値の高い、貴重な文化財です。

石川町公式HP 石川町 生涯学習課より

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

磐城石川駅から 県道11号経由 約1km 徒歩12程度

石都々古和気神社(Iwatsutsukowake Shrine)に到着

正面の八幡山の麓に鳥居が建ち 社号標には「石都々古和氣神社」とあります

一礼して鳥居をくぐり抜けます
頂上の本殿まではゆっくりと10分程度山道になります

階段の手前に狛犬《石川町指定文化財》が構えます

参道のいたる所に磐座があります

社殿の手前には 三の鳥居が建つ石段の下まで来ました

鳥居は両部鳥居で 扁額には「石川郡総鎮守 石都々古和氣神社」と記されていて すぐ後ろには拝殿が建ちます

拝殿にすすみます 拝殿の額には神紋の「三つ巴」が奉納されていました

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

向かって左側に回ると覆屋の中に本殿が建ちます

境内社 諏訪神社と多賀神社があり その後ろには「剣石」があり お詣りをします

本殿向かって右側に廻ると

御神木の高野槙の切り株跡には覆屋が建ち その脇に石造りの五重塔があります

奥には 史跡 石川城跡
鏡岩があり 駐車場からのアプローチもあります

社務所は何処かと探すと 拝殿の柱に案内がありました

参道を戻ります 鳥居をくぐり振り返り一礼をします

山を下りると北須川の対岸に鳥居が建っている所が「御仮屋」です 大祭日に毎年9月13日から19日 御神体を納めた神輿が氏子等の手により 山頂より 山下の馬場町御仮屋にお下がりになる処です

川沿いに少し下ると社務所の入口があります
ご神職宅で 宮司様と色々とお話をしながらご朱印を拝領します

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

神社の鎮座する石川城跡について

石川(三芦)城跡

石川城は別名 三芦城(みよしじょう)と呼ばれ、さらに地元では八幡山(はちまんやま)とも呼ばれている。また、この山は、二つの面を有している。

一つは農業の神を祀る石都都古和気(いわつつこわけ)神社が鎮座する山で、古来より里人の信仰を集めた、全山に花崗岩の巨石が連なる山である。

もう一つは中世城郭としての山である。伝説によると、石川氏の祖となる源有光が前九年の役(1051~1062)の功により奥州仙道(せんどう)(中通り)の地を賜り、この山に城を築いたとのことである。
歴史的に確かなことは、石都都古和気神社の銅製鰐口(わにぐち)(福島県重要文化財)の銘文に、石川持光が応永30年(1423)に館の八幡に鰐口を寄進したとあることから、そのころに館をつくり、以前からある神社に源氏の氏神八幡神を合祀したとみられる。
石川城の最後の城主は、石川氏24代といわれる昭光であるが、天正18年(1590)豊臣秀吉による奥羽仕置により領地を没収され、角田(宮城県)に退去したため廃城になった。

標高342m、比高約50mの八幡山に築かれた石川城は、北須川が東から西を巡り、西は深い谷、北は湿地に囲まれ、削平した多数の曲輪(くるわ)を配置している。
神社のある主郭(本丸)は東西約40m、南北約80mあり、西辺には長さ約60mの土塁がある。さらに東側には竪堀、西館との間には巨大な堀切とにより主郭を守った。西館にも曲輪と空堀を配置し、愛宕山、宮城、鹿ノ坂にも曲輪・土塁を施した。
平安末期以来、石川氏は一族で石川荘(石川郡、東白川、西白河郡の一部を含む)の開拓に従事し戦国時代に至ったが、石川城は一族の惣領にふさわしい壮大な城郭であり、郷土を象徴する史跡である。

平成22年3月  石川町教育委員会

石都々古和気神社(Iwatsutsukowake Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

都々古別神社として 当社と同じく「陸奥國一之宮」とされる
「近津三社(久慈川沿いに並び鎮座)」の記事をご覧ください 

・〈上宮〉馬場都々古別神社 

 

・〈中宮〉八槻都々古別神社 

 

・〈下宮〉下宮近津神社 

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