愛媛県

三島神社(四国中央市三島宮川)〈旧市名(伊予三島市)〉

三島神社(みしまじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 奈良時代初期 越智玉澄公(おちたまずみ こう)が 宇摩の大領に任じられ 上柏町御所に新館を建て住し 毎月 大山祇神社(今治市大三島町)に参詣していた 年老いて毎月の参詣が出来なくなり 養老4年(720)大山祇神社の神霊を〈現在地〉に勧請したのが始まりとします しかし境内には 二千年以上前の磐座(いわくら)〈古代祭祀の遺跡〉があります

別宮大山祇神社(今治市別宮町)

別宮大山祇神社(べっくおおやまずみじんじゃ)は 社伝によれば 大宝3年(703)第42代文武天皇の勅命により 和銅5年(712)大領の越智玉澄公(おちたまずみ こう)が 日本総鎮守 伊豫国一之宮 大三島鎮座・大山祇神社の別宮〈地御前(ちごぜん)〉として 越智郡日吉郷に勧請創建したことに始まります

大山祇神社(今治市大三島町宮浦)〈伊豫国一之宮〉

大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は 社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し 歴代朝廷の尊崇篤く 延喜式 名神大社に列し 伊予国一之宮とされ 全国津々浦々に御分社が奉斎される四国唯一の大社 創建は 神武天皇御東征の時 祭神の子孫 乎知命(おちのみこと)が 瀬戸内海 芸予海峡の要衝 御島(大三島)に鎮祭したと云う

伊豫國 式内社 24座(大7座・小17座)について

伊豫国(いよのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豫國 24座(大7座・小17座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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