伯耆国 式内社 6座(並小)について

伯耆国(ほうきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 伯耆国6座(小6座)の神社のことです

伯耆国(hoki no kuni)とは

伯耆国(ほうきのくに)は 現在の鳥取県の中部及び西部 伯州と呼ぶこともあります

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鳥取県西部域を指す「西伯耆」
中部域を指す「東伯耆」に分けられ 双方は若干 方言や文化などが異なります

出雲地方との古代遺跡の類似性 方言などの文化的共通点が多くあり 出雲とあわせて雲伯地方とも呼ばれます

鳥取県伯耆町キッズページよりhttps://www.houki-town.jp/new5/1/

伯耆国(ほうきのくに) 式内社 6座(並小) の論社について

6座(小6座) 現在の論社は 7社

川村(カハムラノ)郡 2座(並小)の論社

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用

倭文神社(しとりの かみのやしろ)

・倭文神社(湯梨浜町)

一緒に読む
倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮

倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます

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波波伎神社(ははきの かみのやしろ)

・波波伎神社(倉吉市)

久米(クメノ)郡 2座(並小)の論社

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用

倭文神社(しとりの かみのやしろ)

倭文神社倉吉市志津

一緒に読む
倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮

倭文神社(しとりじんじゃ)は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の国譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています

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國坂神社(くにさかの かみのやしろ)

・國坂神社(北栄町国坂)

會見(アフミノ)郡 2座(並小)の論社

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用

胷(胸)形神社(むなかたの かみのやしろ)

・宗形神社(米子市宗像)

大神山神社(おほむわの かみのやしろ)

・大神山神社 本社(米子市尾高)

・大神山神社 奧宮(大山町大山)

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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