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那須温泉神社(那須町大字湯本)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉
温泉神社(ゆぜんじんじゃ)は 第三十四代舒明天皇の御代(630年)飛鳥時代 狩野三郎行広が白鹿を追い この山中に温泉を発見したことにより創建されたとあり 奈良時代の貴族の湯治のことは正倉院文書に記載されています 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です
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大宮温泉神社(大田原市中野内大宮)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉
大宮温泉神社(おおみやおんせんじんじゃ)は 社記に貞観十一年(869)清和天皇の御下賜品と伝わる宝物゛古鏡一面゛とある古社で かつて祭神は高龗神で 文治二年(1186)那須氏が 本郡 温泉神社を城中の守護神として勧請の時 祭神が変更されたと云う 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です
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入野神社(西京区大原野上羽町)〈『延喜式』入野神社〉
入野神社(いりのじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 入野神社(いりの かみのやしろ)の論社となっていますが 式内社として 今の所在地は適切でないとの説が多く 御祭神が同じ大原野神社は もともと入野の地にあったものを移したと云い 入野神社は大原野神社造営の時 そこにあったが現在地に移ったとする説などがあります
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石井神社(西京区大原野石作町)〈『三代實録』石坐神『延喜式』石井神社〉
石井神社(いわいじんじゃ)は 旧鎮座地は小塩山の山上 金蔵寺護摩堂の奥にある清泉の井戸「御香泉」〈清水を神格化〉の上に創建された 坂本の氏子達が参拝しやすいように近くに遷座して欲しいとのことで 昭和28年(1953)山王社の境内地〈現在地〉に移遷した延喜式内社 山城國 乙訓郡 石井神社(いはいの かみのやしろ)です
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早尾神社(西京区大原野石作町)〈石作神社の旧鎮座地〉
早尾神社(はやおじんじゃ)は 小塩山の麓にあり 古くは石作郷と呼ばれ石作大連を祀った石作神社と その菩提寺の石作寺があったと伝わる場所で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われています 貴族の狩場として桓武天皇もしばしば足を運ばれた所と云います
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八幡宮社〈長峰八幡宮〉(西京区大原野石作町)〈石作神社の旧鎮座地〉
八幡宮社〈長峰八幡宮〉(はちまんぐうしゃ/やはたぐうしゃ)は 江戸末期には寄進書 灯籠等があり 現境内地に石作神社が鎮座していたとされます〈大歳神社(大原野灰方町)相殿に合祀された石作大神の旧鎮座地〉ともされ 延喜式内社 山城國 乙訓郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地であるとする説があります
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大歳神社〈相殿に合祀 石作大神〉(大原野灰方町)〈『延喜式』大歳神社・石作神社〉
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 境内を栢の森と称し゛栢の社(かやのやしろ)゛とも云う主祭神は大歳大神で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大月次新嘗)(おほとしの かみのやしろ)です 又 相殿は 後に大歳神社に合祀したと伝わる 石作氏の祖神 石作大神を祀る延喜式内社 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)です
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石作神社址(長浜市木之本町千田)〈『延喜式』石作神社の旧鎮座地〉
石作神社址(いしつくりじんじゃあと)は 慶長七年(1602)『千田村検地帳』に字「石つくり」の地名があり 今尚 石作と称する此地は 開墾され水田となるも田中に小丘の荒地を存し 神聖犯すべからず 若し犯す者は神罸を受くと伝承される 延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地です
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石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〈『延喜式』石作神社・玉作神社〉
石作神社・玉作神社(いしつくり たまつくりじんじゃ)は 遠い昔 この地に石作連 玉作連が居住し 各々の祖神を祀った延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)と玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)です 戦乱で荒廃した2社を文明四年(1472)当地の地頭 佐々木民部少将が両社を再建合祀しました
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神明宮(三島市平田)〈『延喜式』玉作水神社〉
神明宮(しんめいぐう)は 創建年代不詳ですが 口碑によれば 永和2年(1376) 村内に祀られていた左宮司神社 稲荷神社を合祀して 現在地に神明宮を新築したと伝わります 神社の脇には 境川〈富士山湧水〉が流れています 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)の論社となっています
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愛鷹神社(三島市三好町)〈『延喜式』玉作水神社〉
愛鷹神社(あしたかじんじゃ)は 創建年代などは不祥 玉作水は〔水を川と用ゐたる例〕によるもので 玉作川の事であり 玉川村に鎮座するとの説から 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)の論社となっています 境内の横には 清流があり 旧住所は「駿東郡清水村玉川字清水」です
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玉作神社(沼津市黒瀬町)〈【延喜式】玉作水神社『伊豆国神階帳』玉作明神〉
玉作神社(たまつくりじんじゃ)は 社殿によると 玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境 玉作郷に住んでいた玉作部氏族が祖神 玉祖命を祀ったもので 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)とされます 又『伊豆国神階帳』には「従四位上 玉作明神」と所載されるる古社です
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温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉
温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています
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温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈『延喜式』温泉石神社(貞)〉
温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です
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行神社(富谷市志戸田字塩竈)〈『延喜式』行神社(貞)・鹿島天足別神社(貞)〉
行神社(ゆきじんじゃ)は 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 行神社(貞)(ゆくの かみのやしろ)とされ 又 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)とする説もあります 又 御釜神社(塩竈市本町)に7つあった神釜(しんかま)の伝説に その一つが 社頭の「塩竃池」に沈んでいる と伝わります
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咋岡神社(京丹後市峰山町赤坂)〈『延喜式』咋岡神社〉
咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 古老の伝には「古代には比治山の麓なる神所段(じんじょだん)といふ所の山にありしを 天正年中(1573~92)に峰山なる山祇山といふに移ししを 今の赤坂村にうつしたるは元和年中(1615~24)のこと」とある 延喜式内社 丹後國 丹波郡 咋岡神社(くひをかの かみのやしろ)です
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咋岡神社(京田辺市草内宮ノ後)〈『延喜式』咋岡神社(鍬靫)〉
咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 健治年間(1275~78)創祀と云い 応仁年間(1467~69)永正年間(1504~21)戦火で焼失し 天文三年(1534)再建と伝え 古くは天神社と称した 明治26年(1893)咋岡神社と改称 延喜式内社 山城國 綴喜郡 咋岡神社(鍬靫)(くひをかの かみのやしろ)の論社となっています
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咋岡神社(京田辺市飯岡東原)〈『延喜式』咋岡神社(鍬靫)〉
咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 綴喜郡 咋岡神社(鍬靫)(くいをかの かみのやしろ)とされ 元々は飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流箇所に鎮座した 木津川の氾濫により 元禄八年(1695)現在地に移され祭神に菅原道眞公が加えられ天神or天満宮と称した 明治10年(1877)今の社名に改めたと云う
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竹神社(明和町斎宮)〈『延喜式』竹神社・火地神社・天香山神社〉
竹神社(たけじんじゃ)は 社伝に垂仁天皇の御宇 竹連の祖・宇加之日子の子 吉志比古が倭姫命〈皇太神を奉じて伊勢御巡幸〉に供奉して当地に子孫が定住し祖神 長白羽神を奉斎したのが始りとされる 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 竹神社(たけの かみのやしろ)です 明治44年旧斎宮村内の23社を合祀し現在の地に移されました
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火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉
火地神社 古社地(ひちじんじゃ こしゃち)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 火地神社(ひちの かみのやしろ)の古社地で 光安寺の裏 城山の山腹に火地神社跡があり 第12代 景行天皇の御代に創建と云う 寛文二年(1662)再興された光安寺境内に火地神社が移転し 明治40年(1907)斎宮村の竹神社に合祀されました