住吉大社(大阪市住吉区住吉)

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 現在 全国およそ2000社余の住吉神社の総本社で 摂津一之宮として信仰を集めています 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)すみのえにます かみのやしろ しくら)とされ 『日本書紀』に神功皇后三韓征伐帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神和魂にきみたまを鎮めて祀ったのが創建と記されています

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

住吉大社(Sumiyoshi Taisha)

 [通称名(Common name)]

住吉さん(すみよしさん)

【鎮座地 (Location) 

大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

第一本宮 底筒男命(そこつつののみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつののみこと)
第三本宮 表筒男命(うわつつののみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

禊祓の神
海上安全の守護神
和歌の神
弓の神
相撲の神
現人神としての信仰もあり産業発展・文化・貿易の祖神
家内安全・商売繁昌・初宮詣・七五三詣・交通安全・厄除など諸願成就

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 摂津国一之宮
・ 旧官幣大社
・ 別表神社
・ 二十二社(中七社)

【創  (Beginning of history)】

住吉大社御由緒

第一本宮 底筒男命(そこつつのおのみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつのおのみこと)
第三本宮 表筒男命(うわつつのおのみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)

御由緒
底筒男命 中筒男命 表筒男命の三神を総称して住吉大神と申し上げます 住吉大神の「吾(あ)が和魂(にぎみたま)をば宜しく大津渟中倉長峡(おおつのぬなくらのながと)に居(を)くべし  便(すなは)ち因(よ)りて往来(ゆきか)ふ船を看(み)む」 との御神託により 神功皇后がこの地に御鎮祭になりましたのが 皇后の摂政十一年辛卯(かのとう)の歳(西暦二一一年)と伝えられています

御神徳
住吉大神は伊弉冉尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)に際して海の中でお生まれになった神様でありますから禊祓 海上守護の御神徳を中心とし古来 産業 文化 外交 貿易の祖神と仰がれ 常に諸願成就の名社として広く普く崇敬されています

御社殿
第一本宮より第三本宮までは縦に 第四本宮は第三本宮の横に配列奉祀され 各本宮ともに本殿は住吉造として神社建築史上最も古い様式の一つで 妻入式の力強い直線形をなし 四本殿とも国宝に指定されています

現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

 底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を総称して住吉大神と申上げ、伊弉諾尊があはぎはらに祓除せられたとき、海の中より生れた神樣です。
 神功皇后は、新羅御出兵に当って、住吉大神の御加護を得ておおいに国威を輝かせられ、御凱旋の後、大神の御神託によって此の地に御鎮祭になりました。神功皇后摂政11年辛卯年のことで、今から約1780年前のことでありました。
 皇后の御孫、仁徳天皇が浪速に遷都せられて墨江の津を開港せられ、後に大阪、堺の発展をもたらしましたのは、実に此の時に起因しております。
 後、皇后をも併せ御祀り申上げ、住吉四社大明神と崇められ、延喜の制では名神大社に列せられ、摂津国一の宮として聞え高く、昭和21年まで官幣大社でありまして、全国2千余に及ぶ住吉神社の総本宮です。

 住吉大神は、禊祓の御神格をもって御出現になりましたので、禊祓の神であり、住吉祭は「おはらい」と呼ばれる程、神道で最も重要な「祓」のことを司る神です。
また、住吉大神は、「吾が和魂をば宜しく大津の渟中倉の長峽に居さしむべし、便ち因りて往来ふ船を看護せむ」と神功皇后に御告げになった由が『日本書紀』住吉大社神代記に見え、海上安全の守護神であり、奈良時代、遣唐使の派遣には、必ず朝廷より奉幣があり、その海上無事を祈りました。
そのほか歌神として、古来歌道の上達を志す人が当社に参篭献詠し、あるいは現実に姿を現される現人神としての信仰もあり、産業発展・文化・貿易の祖神と仰がれ住吉大神の広大な御神徳はあまねく世に知られています。

 住吉大社の夏祭り(住吉祭)は、ただ単に「おはらい」とも呼ばれ、国中の大祓を行うお祭りです。7月31日、御例祭に続き、午後1時より夏越大祓神事(大阪府指定無形文化財)が行われ、翌8月1日には堺宿院の頓宮に渡御があり、荒和大祓が行われております。そのほか、踏歌神事(1月4日)、白馬神事(1月7日)、御結鎮神事(1月13日)、松苗神事(4月3日)、卯之葉神事(5月上卯日)、御田植神事(6月14日・重要無形民俗文化財)、宝之市神事(10月17日)等の神事があります。
 住吉大社の祭祀は、1700年来連綿と続いていますが、中でも伊勢の神宮と同じく、20年に1度の式年造替遷宮の制が、はやくも奈良時代より確実に実施せられていました。近世以降よりは、破損に従って修理する例となりましたが、遷宮の根本の制は今日にひきつがれ、去る平成3年11月には、御鎮座1780年に当たり、第48回式年遷宮が執り行われました。
 当社に対する御崇敬は頗る厚く、天武天皇の御奉幣をはじめ、御歴代天皇、皇族の行幸、御神宝の御奉納などあいつぎ、特に後村上天皇は、戦乱の世の前後9年間、当社に行在所をおかれました。また明治天皇は明治元年及び10年の両度御親拝され、昭和天皇も大正6年に御参拝になり、昭和45年には昭和天皇、皇后両陛下御揃いで御親拝されました。
 初詣の参拝者は3が日で300万人に及び、1年を通じても家内安全・商売繁昌・初宮詣・七五三詣・交通安全・厄除など諸願成就の人が絶えません。

 御社殿は、第一本宮より第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶという他に例を見ぬ縦ならびの配置で、各本宮とも御本殿は、「住吉造」と称せられる神社建築史上最古の特殊の様式で、いずれも国宝に指定されています。
「住吉造」というのは、丹塗・桧皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と五本の四角堅魚木を備え、周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣があり、正面で「住吉鳥居」と称せられる特有の四角鳥居に接続しています。

摂末社
 大海神社 山幸海幸の神話で有名な海神の豊玉彦、豊玉姫を祀り、本社に次いで御神格の高い社です。御本殿は本社と同じ形式の「住吉造」で、重要文化財に指定され、社前の「玉の井」は海神より授かった潮満珠を沈めたと伝えられています。
 船玉神社 天鳥船命・猿田彦命を祀ります。天鳥船命は天上との交通、すなわち大空の船の守護神であり、猿田彦命は天孫降臨の際先導を果たされた神様で、船の御霊であると同時に航空の安全を守る神として全国唯一の信仰をうけています。
 若宮八幡宮 神功皇后の御子応神天皇すなわち八幡様をお祀りし、湯立神事は有名です。
 志賀神社 大海神社境内にあり、伊弉諾尊の禊祓の時、住吉三柱大神と共に生れ出で給うた底津少童命・中津少童命・表津少童命をお祀りしております。
 侍者社 神功皇后の命をうけて住吉大社最初の神主津守氏の祖田裳見宿祢、市姫を祀り、縁結の神として良縁を祈願し、おもと絵馬を奉納する参拝者が多い。
 楠珺社 第一本宮の裏にある樹齢約千年の楠を御神木として、お稲荷様[宇迦魂命]を祀り、商売繁昌に格別の御神徳あり、俗に“初辰さん”と称えられて毎月初の辰の日には多数の参詣者で賑わい、特に四十八回の月詣りは有名です。
 種貸社 苗見社とも称し、五穀の種が授かる信仰がもととなって、商売の資本を得たり、種貸人形を受けると子宝を授かる信仰があります。
 大歳神社 大歳神を祀り、収穫の神であるところから集金、商売繁昌、家内安全、願望成就の御神徳があり、毎月初の辰日に祈願する人々で賑わいます。
 浅沢神社 市杵島姫神を祀り、福の神、婦人の作法、芸事の守護神として崇敬されています。昔は浅沢小野の「かきつばた」として世に知られた名所でした。
 市戎大国社 事代主神・大国主神を祀り、商売繁昌の守護神で、市の守り神とされています。1月10日の市戎大国祭[えべっさん]は、賑々しいお祭が行なわれます。

名所旧跡
 五所御前 第一本宮と摂社若宮八幡宮との間にあり、杉樹が石の玉垣の内に立っています。昔神功皇后が当社を御鎮祭のため社地をお定めになる時、この杉の木に鷺が三羽来て止まりましたので、ここが大神の御思召のところとしてここに祀られたと伝え、「高天原」とも呼ばれています。
 石舞台 日本三大舞台の一つで、舞樂を奏するところです。南門・東と西の樂所と共に慶長年間豊臣秀頼が奉納され、重要文化財に指定されています。
 反 橋 住吉の象徴として名高く太鼓橋とも呼ばれています。長さ20米、幅5.5米、高さ3.6米、現在の石の橋脚は、慶長年間、淀君が奉納したものが伝えられています。池の畔に川端康成「反橋」の文学碑が建っています。
 誕生石 薩摩藩主島津氏の祖島津忠久誕生の処と伝えられ、島津家代々の信仰が厚く、丹後局の伝説よりしてここに安産を祈るものが絶えません。
 石灯篭 境内の石灯篭はすべて600余基に達し、その形も頗る壮大なもの、優雅なものなど多く、頼山陽、池大雅、貫名海屋、篠崎小竹、五井蘭州、羽倉可亭など名家による題字を刻んだものもあり、近世の住吉信仰を窺えます。
 住吉御文庫 第一本宮の北に建つ二階建・土蔵造の御文庫で、享保8年(1723)に三都[大阪・京都・江戸]の書林が奉納、大阪最古の図書館として有名です。
 高 倉 第一本宮裏の森の中にある二棟の板校倉造で、井楼造ともいわれています。御神宝を納める庫にて、室町時代の建物と伝えられています。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

詳しくは 住吉大社摂社末社の記事をご覧ください

摂社

大海神社《主》豊玉彦命,豊玉姫命『延喜式神名帳』所載 式内社

・『延喜式神名帳927 AD.』所載社 大海神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)

志賀神社《主》底津少童命,中津少童命,表津少童命

船玉神社《主》天鳥船命,猿田彦神『延喜式神名帳』所載 式内社

・『延喜式神名帳927 AD.』所載社 船玉神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)

若宮八幡宮《主》応神天皇,武内宿禰

〈末社〉

楠珺社(なんくんしゃ)《主》宇迦魂命

種貸社(たねかししゃ)《主》倉稲魂命『延喜式神名帳所載 式内社

・『延喜式神名帳927 AD.』所載社 種貸社〈住吉大社境内 末社〉(大阪市住吉区)

侍者社(おもとしゃ)《主》田裳見宿禰,市姫命

楯社(たてしゃ)《主》武甕槌命

鉾社(ほこしゃ)《主》経津主命

后土社(ごうどしゃ)《主》土御祖神

市戎・大国社(いちえびす・だいこくしゃ)《主》事代主命,大国主命

児安社(こやすしゃ)《主》興台産霊神

海士子社(あまごしゃ)《主》鵜茅葺不合尊

龍社(たつしゃ、御井社)《主》水波野女神

八所社(はっしょしゃ)《主》素盞嗚尊

新宮社(しんぐうしゃ)《主》伊邪那美命,事解男命,速玉男命

立聞社(たちぎきしゃ、長岡社)《主》天児屋根命

貴船社(きふねしゃ)《主》高龗神

星宮(ほしみや)《主》国常立命

五社(ごしゃ)《主》社家の祖霊

薄墨社(うすずみしゃ) 《主》国基霊神

斯主社(このぬししゃ)《主》国盛霊神

今主社(いまぬししゃ)《主》国助霊神

招魂社(しょうこんしゃ)《主》地域の物故者

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

大歳社(おおとししゃ《主》大歳神

『延喜式神名帳927 AD.』所載社 大歳社〈住吉大社 境外 摂社〉(大阪市住吉区住吉)

浅沢社(あささわしゃ《主》市杵島姫命

港住吉神社(みなとすみよしじんじゃ《主》住吉大神,神功皇后

港住吉神社 境内社 楠玉稲荷社(くすたまいなりしゃ)

宿院頓宮《主》住吉大神,神功皇后

・住吉 大鳥 両大社 宿院頓宮(堺市)

詳しくは 住吉大社摂社末社の記事をご覧ください

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

延暦三年(七八四)六月辛丑〉(庚子朔二)の条

○六月辛丑
唐人賜緑晏子欽 賜緑徐公卿等賜姓栄山忌寸 是日 正三位 住吉神 勲三等

延暦三年(七八四)十二月丙申廿九〉の条

○丙申
叙住吉神 従二位 預造長岡宮主典已上 及諸司雑色人等 随其労効 進階賜爵各有差

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『日本後紀(Nihon koki)』〈承和7年(840年)完成〉に記される伝承

遣唐使の祈祷に従一位を奉授と記しています

【抜粋意訳】

十三 大同元年(八〇六)四月丁巳廿四〉の条

○丁巳
攝津國 住吉郡 住吉大神 奉授 從一位 以遣唐使祈也

侍醫外從五位下出雲連廣貞爲兼但馬權掾 外從五位下若江造家繼爲典藥允 是日 右大臣從二位神王薨 詔贈正二位 大臣者 田原天皇之孫 榎井親王之子也 天平神護三年授從五位下 及天宗高紹天皇登極 授從四位下 尚美弩摩内親王 爲左大舍人頭 延暦初授正四位下 除彈正尹 十二年授從三位 拜中納言 十五年轉大納言 拜右大臣 性恭謹少文 接物淡若 雖居顯貴 克有終焉 時年七十 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本後紀』承和7年(840)選者:藤原冬嗣 刊本 塙氏温古堂[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047657&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

貞觀元年(八五九)九月八日庚申遣使にてり 風雨りが捧げられています

【抜粋意訳】

 貞觀元年(八五九)九月八日庚申〉の条

○八日庚申
山城國 月讀神。木嶋神。羽束志神。水主神。樺井神。和岐神。
大和國 大和神。石上神。大神神。一言主神。片岡神。廣瀬神。龍田神。巨勢山口神。葛木水分神。賀茂山口神。當麻山口神。大坂山口神。膽駒山口神。石村山口神。耳成山口神。養父山口神。都祁山口神。都祁水分神。長谷山口神。忍坂山口神。宇陀水分神。飛鳥神。飛鳥山口神。畝火山口神。吉野山口神。吉野水分神。丹生川上神。
河内國 枚岡神。恩智神。
和泉國 大鳥神。
攝津國 住吉大依羅(オホヨリミ)ノ。難波大社神。廣田神。生田神。長田神。新屋神。垂水(タルミ)ノ神。名次 に 遣使。爲めに風雨

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

相嘗祭神七十一座

住吉(すみよしのやしろ)四座

絹(キヌ)四疋三丈、絲(イト)四絇八両四銖、綿三屯三両、木綿三斤十両、調布八端三丈四尺、庸布一段一丈三尺、斎人潔衣絁二疋、鮑二斤八両、堅魚六斤十五両、腊(きたい)〈干し肉〉一斗、塩五升、海藻九斤十両、凝海藻九斤十五両、筥四合、瓼(サラケ)、缶(モタイ)、水瓫(ホトギ)、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、筥坏、小坏、陶臼各八口、酒稲二百束、神税、

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式(えんぎしき)巻3-4』〈延長5年(927)〉神祇八十島祭について

八十島祭(やそしままつり八十嶋祭/八十島神祭 平安時代から鎌倉時代に天皇の即位儀礼の一環として 難波津祭場とした祭祀計22回が確認されている

『延喜式』には 八十島祭は 難波の地主神住吉神四座(住吉大社)・大依羅神四座(大依羅神社)・海神二座(不詳)・垂水神二座(垂水神社)・住道神二座(中臣須牟地神社)に幣帛が供えられる規定記されています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 八十嶋神(やそしまのかみの)祭〈中宮准此〉

五色帛各一疋二丈、絁一疋二丈、絲卅絇、綿卅屯、倭文一端三丈八尺、木綿、麻各卅斤、庸布十段、紙二百張、挿幣木一百廿枝、麁御服八具料庸布八段、御輿形卌具覆料紫帛四丈、鍬卌口、銭三貫文、〈二貫文散料、一貫文雑鮮魚菓子直、〉金銀人像各八十枚、金塗鈴八十口、鏡八十二面、〈二面五寸、八十面一寸、〉玉一百枚、大刀一口、弓一張、矢五十隻、胡籙【竹+禄】一具、黄蘗八十枚、瓫、堝各廿口、坏八十口、米、酒各一石、糟八斗、缶六口、鰒、堅魚、腊、海藻各八籠、鮭五十隻、塩五籠、槲二俵、稲廿束、席、薦各八枚、食薦八枚、輿篭五脚、明櫃四合、匏十柄、祝詞料絁二疋、調布二端、

巻3神祇 臨時祭 東宮八十嶋祭

五色帛各二丈、絁二丈、絲八絇、綿八屯、倭文二丈、木綿、麻各八斤、庸布四段、紙五十張、麁服八具料庸布四段、輿形廿具覆料紫帛二丈、鍬八口、銭六百文、〈二百文散料、四百文鮮魚菓子料、〉挿幣帛木六十枝、金銀人像各卅枚、金塗鈴卅口、鏡卌面〈二面径五寸、卅八面径一寸、〉大刀一口、弓一張、矢五十隻、胡籙【竹+禄】一具、黄蘗廿枚、瓫、堝各八口、坏卌口、米、酒各四斗、缶二口、鰒、堅魚、腊、海藻、塩各二篭、鮭十隻、槲廿把、稲四束、席、薦各二枚、食薦二枚、輿篭二脚、明櫃二合、匏二柄、夫四人、祝詞料絁一疋、調布二端、

巻3神祇 臨時祭 住吉神四座、大依羅神四座、海神二座、垂水神二座、住道神二座

座別五色帛各五尺、絹五尺、絲一絇、綿一屯、倭文一尺、裹料布三尺、住吉社神主料絹一疋、祝并大依羅祝料各布二端、垂水社祝布二端、海神住道社祝布各一端、生嶋巫各絹二疋、布二端、擔夫十人、⇒右八十嶋祭御巫、生嶋巫、并史一人、御琴弾一人、神部二人、及内侍一人、内蔵属一人、舎人二人、赴難波津祭之、

【原本参照】

『延喜式 巻3-4神祇』https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

『延喜式 巻3-4神祇』https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

『延喜式 巻3-4神祇』https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

名神祭 二百八十五座

・・・
・・・
住吉神社 四座 摂津國
・・・
座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)住吉郡 22座(大10座・小12座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 住吉坐神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ](すみよしのます かみのやしろ しくら)
         (すみのえにます かみのやしろ しくら)

[Old Shrine name]Sumiyoshi no masu kamino yashiro shikura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

”住吉神社”(すみよしじんじゃ)と住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉について

住吉神社 主に住吉三神を祀る神社で 日本全国に約2300社以上ある云われます

住吉三神とは 次の三柱神の総称 古来 航海の守護神として篤く信仰されてきている

底筒男命底筒之男命(そこつつののみこと)
・中筒男命中筒之男命(なかつつののみこと)
・表筒男命上筒之男命(うわつつののみこと)

住吉大神と号する場合は
住吉三神息長帯姫命神功皇后併せ祀ります

住吉三神は 日本神話に登場する航海の神
伊奘諾尊が 黄泉の国の穢れを清めるために 筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をしたとき 水底で身をすすぐと底筒男命 水中では中筒男命 水上では表筒男命 このとき顕われたとされる

『古事記』では 水の底にもぐって 身を洗い清められる時に成った底筒之男命 水の中程で洗い清められる時に成った中筒之男命 水の表面で洗い清められる時に成った上筒之男命が それぞれ生まれます

その後『日本書紀』には 神功皇后の段に新羅征討の際に 神託・守護・先導などに深くかかわったと記されています

〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉が 住吉三神と云われる理由について

福岡の現人神社〈博多 住吉神社と大阪 住吉大社の元宮とされる〉には 三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉が 住吉三神と云われるようになった理由を社伝で伝えています

「元々は 現人神筒男三神〉であったが 神功皇后が三韓征伐の時 神告により神田を定め 天神地祇に禱祈して 那珂川の水を引いた所が現人神社である
神功皇后大和への御帰還に際し 霊験な現人神筒男三神をご奉持され 眞住吉之国(住よい国)摂津(大阪)〉に祀らた為に住吉三神と称され始めます 筑前国一之宮 福岡の住吉宮も後にここより御分霊された 故に 全国津々浦々にある住吉三神の本津宮とされます

住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の「筒男(ツツノヲ)」の字義についての諸説

「筒男(ツツノヲ)」の字義についての諸説

①航海の神 ツツは夕月(ゆうづつ)のツツに通じ 夕方の月 宵の明星 星を指し 星は航海の指針に用いられることから
②海神を示す説
➂「津の男」に見る説
④「ツツ」を船の呪杖に見る説
➄船霊を納める筒に見る説
⑥対馬の豆酘(つつ)に関連し「豆酘の男」に見る説
➆航海に従った持衰の身を「ツツシム」に見る説

住吉神社の発祥について

現在 住吉神社の総本社は 一般的には 大阪府大阪市住吉区の住吉大社とされますが

下関住吉神社は 住吉三神の荒魂(あらみたま)
大坂の住吉大社は 住吉三神の和魂(にぎみたま)は 神功皇后が三韓征伐の帰途に祀られた事が『日本書紀』に記されています

実際には 神功皇后の「三韓征伐」伝承とともに 西から順に 壱岐対馬〈長崎県〉から博多・下関・瀬戸内海を渡り 大坂の住吉大社へと分祀されたものとおもわれます
このため・壱岐の住吉神社・博多の住吉神社 や現人神社など
は 住吉神社の発祥の地と称しています

『日本書紀』には 神功皇后の新羅征討の段に 次のように記されています

仲哀天皇の御代 熊襲 隼人など大和朝廷に反乱蜂起した時 神功皇后が神がかりして「まず三韓を征討せよ」との神託を得た しかし 仲哀天皇はこの神託に従わず 翌年崩御された
その翌月 再び神託を得た神功皇后は 自ら兵を率いて三韓へ征伐に向かう このとき 住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り 荒魂は突風となり 神功皇后の船団を守護し 三韓をおおいに苦しめた
神功皇后は 三韓を平定し 凱旋の折 
住吉三神の神託を得て 大神の荒魂(あらみたま)を穴門(山口県)山田邑(下関市)に奉斎します また 和魂(にぎみたま)を大津〈大きな港〉の渟中名倉の長峡〈現 大阪・住吉大社のある場所〉で 行き交う船を見守ると鎮めて 住吉大神を祀った

『日本遺産「国境の島」壱岐・対馬・五島 交易・交流と緊張の歴史』chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://nagasaki-bunkanet.jp/wp-content/uploads/2015/03/%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%80%80%E5%86%8A%E5%AD%90.pdfより画像利用

『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載される”住吉神社 七社(すみよしのかみのやしろ ななやしろについて

延喜式神名帳所載七国〈対馬・壱岐・筑前・長門・播磨・摂津・陸奥各々に七社住吉神社鎮座します

これ住吉七社(すみよしななしゃ/すみよししちしゃ)とも総称します

格式の高さが際立つ 住吉七社 

内訳は次の通り
住吉七社の内 一之宮が三国〈筑前・長門・摂津
住吉七社内 五社が名神大社〈対馬・壱岐・筑前・長門・摂津

『古事記』では「墨江之三前大神(すみのえのみまえのおほかみ)」と総称され
住吉の地名については 古くはスミノエと呼ばれ「住吉」「墨江」「清江」などと表記されましたが 平安時代以降は スミヨシとも呼ばれるようになったとされます
外交にまつわる航海の守護神として国家的な祭祀をうけていて 大和朝廷にとって特別な意義を有する神社でした
遣唐使時奉幣の祝詞や六国史には 遣唐使出発の際にこの神を祭ったことが見えています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)927年12月編纂〉に記される 住吉七社と その論社について

①對馬嶋 下縣郡
住吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)

・住吉神社(対馬 鴨居瀬)

・鷄知住吉神社(対馬 鶏知)

➁壹岐嶋 壹岐郡
吉神社(名神大)(すみよしの かみのやしろ)

・住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触)

➂筑前国 那珂郡
住吉神社 三座(並名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)

・住吉神社(博多区住吉)

・若久住吉神社(福岡市南区)

・現人神社(那珂川市)

④長門国 豊浦郡
住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしのあらみたまの かみのやしろ みくら)

・住吉神社(下関市)長門国一之宮

➄播磨国 賀茂郡
住吉神社(すみよしの かみのやしろ)

・上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)

・住吉神社(加東市下久米)

・小野住吉神社(小野市垂井町)

・秋津住吉神社(加東市秋津)

⑥摂津国 住吉郡
住吉坐神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(すみよしの かみのやしろ)(すみのえにます かみのやしろ)

・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮

➆陸奥国 磐城郡
住吉神社(すみよし かみのやしろ)

・住吉神社(いわき市小名浜住吉)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南海電鉄 住吉大社もしくは 阪界電軌阪界線 住吉鳥居前から 社頭まで数十メートル

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阪界電軌阪界線 住吉鳥居前から横断歩道を渡れば 社頭です

住吉大社(大阪市住吉区)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり 参道を進みます

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有名な反橋(太鼓橋)〈長さ20米、幅5.5米、高さ3.6米石の橋脚は 慶長年間 淀君が奉納したもの伝えられています

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反橋は渡るだけで「お祓い」になるとの信仰がありますので 反橋(太鼓橋)を渡り その上からみると すぐ下に手水舎があり 正面に神門が構えています

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ウサギの口から清めの水が出ており 清めます
案内板には

(住吉大社と兎) 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯(かのとう)年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです

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神門の鳥居には 住吉神社とあります

一礼をして 鳥居 神門をくぐります

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神門をくぐると 4つの住吉造りの御本殿は 第一・第二・第三本宮が縦直列 第三・第四本宮が横並列という独特の配列

住吉大社HPより

第三・第四本宮

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第二本宮

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第一本宮 拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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摂社末社お参りをします

詳しくは 住吉大社摂社末社の記事をご覧ください

社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『摂津名所図会(Settsu meisho zue)』〈寛政8年(1796)~寛政10年(1798)刊行〉に記される伝承

住吉神社(すみよしのかみのやしろ)について 数々の絵図が描かれています

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

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国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』神功皇后の段に記される伝承

神功皇后の段に 穴門の山田邑に住吉三神の荒御魂(あらみたま)゛を祀るとあり この穴門の山田邑に立てた神社が 住吉坐荒御魂神社 住吉神社(下関市一の宮町)〉になります
その後 廣坂王・忍熊王との戦い際して 神勅があり゛住吉三神の和魂にきみたまを大津の淳名倉の長峡〈現 住吉大社(大阪市住吉区)〉と記されています

【抜粋意訳】

神功皇后の段〈神功皇后摂政前紀

軍に従った神の表筒男(うわつつのを)・中筒男(なかつつのを)・底筒男(そこつつのを)の三神(みはしらのかみ) 皇后に
「我が荒魂(あらみたま)を穴門(あなと)の山田邑(やまだのむら祭りなさい」と言われた

その時 穴門直(あなとのあたい)の祖先の踐立(ほむたち)・津守連(つもりのむらじ)の祖先の田裳見宿禰(たもみのすくね)は
「神の居たいと思われる土地を必ず定め 奉りましょう皇后に申し上げた
それで即ち 踐立(ほむたち)をもって荒魂(あらみたま)を祭る神主(かむぬし)とした

よって 穴門(あなと)の山田邑(やまだのむら祠(やしろ)を立てました

新羅しらぎを討たれた翌年二月 皇后は群卿へつきみたち百寮もものつかさを率いて 穴門あなと豊浦宮とようらのみやに移られた
天皇〈仲哀天皇〉(もがり)〈遺骸めて 海路(うみのみち)より京みやこ)〈奈良〉に向かわれた

そのとき 籠坂王カゴサカノミコ忍熊王オシクマノミコ)〈仲哀天皇の皇子〉は 天皇崩御して 皇后新羅しらぎを討たれ また皇子が新たに生まれたと知り 密かに謀って
「今 皇后は子があり 群臣へつきみたちは皆従っている きっと共に議って幼い(みこ)を立てるだろう 我らは兄であるのに どうして弟に従うことができようか」と言った

そこで天皇の為に みささぎを造ることにした 播磨はりまに行って山陵みささぎ赤石〈明石作ることにして 編んで〈船団〉淡路島に渡し その島の石を運造った

人々に武器を取らせて皇后を待っていた

犬上君いぬかみのきみの先祖の倉見別(くらみわけ) 吉師きしの先祖の五十狭茅宿禰(いさちのすくね)は共に 籠坂王カゴサカノミコの側についた それで将軍として東国の兵を起こしました

籠坂王カゴサカノミコと忍熊王オシクマノミコ 共に菟餓野とがのに出て 祈狩(うけいがり)〈神意を伺う占いをして
祈狩は于氣比餓利(ウケイガリ)という
「もしこのことが成すのなら きっと良い(しるし)〈神から与えられた獲物得るだろう」と言い
二人の王は假庪(さずき)〈神招(お)ぎの場(桟敷席)におられた
すると 赤い猪が急に飛び出してきて假庪(さずき)登り 籠坂王カゴサカノミコを喰い殺しました
(いくさびと)たちは  怖気(おじけ)き 忍熊王オシクマノミコ 倉見別(くらみわけ)に語りました
れはこれから成す事の大きな怪(しるし)だ ここでは敵を待つことはできない」
軍を率いて 更に帰り 住吉(すみのえ)に駐屯した

そのとき皇后は 忍熊王オシクマノミコ 師(いくさ)を率いて待ち構えていると知っていて 武内宿禰(たけのうちのすくね)に命じて 皇子を預けて 迂回させ 南海(みなみのみち)から出て 紀伊水門きいみなとに停泊しました

皇后の船は まっすぐ難波なにわに向った ところが 船は海上でぐるぐる回って進めなかった
それで務古水門(むこのみなと)〈武庫の港(武庫川・西宮)に還って いをした

すると 天照大神(あまてらすおほみかみ)が教えて云うには
「我が荒魂あらたまを皇后の近くに置くのは良くない 広田国ひろたのくに)〈現 西宮・廣田神社居るべきだ
すぐに 山背根子(やましろのねこ)の娘 葉山媛(はやまひめ)に祭らせた

また 稚日女尊(わかひるめのみこと)〈天照大神の妹が教えて云うには
(われ) 活田長峡国いくたのながおのくに)〈現 神戸三宮・生田神社に居
そこで 海上五十狭茅(うなかみのいさち)に祭らせまし

また 事代主命(ことしろぬしのみこと)が教えて云うには
(われ) 長田国ながたのくに)〈現 神戸・長田神社祀れ
これは 葉山媛(はやまひめ)の妹の長媛(ながひめ)に祭らせまし

表筒男(うはつつのを)中筒男(なかつつのを)底筒男(そこつつのを)の三神が教えて云うには
(われ)の和魂にきみたまを大津の淳名倉(ぬなくら)の長峡ながお)〈現 大阪・住吉大社に居べきである そうすれば 行き交う船を見守る」
そこで 神の教えのままに鎮めて祀りました
するとすぐに 平穩に海を渡ることができるようになりました

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

住吉大社について 古書にある記録を細やかに記しています

【抜粋意訳】

住吉坐神社四座 並名神大月次相嘗新嘗

住吉は郡名に同じ
○祭神底筒男命、中筒男命、表筒男命、氣長足姫命、(頭注)
○住吉村に在す
〇式二、(四時祭下)相嘗祭神七十一座、住吉社四座、(坐摂津國)」同三、(臨時祭)各神祭二百八十五座、摂津國住吉神社四座、」祈雨祭神八十五座、(並大)云々、住吉社四座、
○江家次第云、祈年穀奉幣、住吉、(五位)』廿二社注式云、中七社、(幣数四本)
○拾芥抄云、三十番神、住吉、(廿三日)
○当國一宮也、(一宮記頭注)
〇永萬記云、住吉社、
〇日本紀神代巻上、一書曰、
底笥男命、中筒男命、表筒男命、是即住吉大神矣、』
古事記、
(神代段)底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也、」
旧事紀、(陰陽本紀)
此三神者、津守連等齋祠住吉三前神、』
釈日本紀曰、
先師説云、称四座者、神功皇后座別殿歟、』
頭注曰、
住吉底筒男、表筒男、中筒男、神功皇后也、皇后11年辛卯、住吉垂迹、云々、」
諸神記曰、
住吉三神、而摂州曰四座、則配祀神功皇后之霊矣、住吉之名者、神功皇后時、此神託后躰而循行四方、遠到摂州之地、宣言曰、真住吉真住吉之國也、因鎮坐、其地名曰住吉矣、那珂之住吉、豊浦之住吉、由摂州ノ地名而通呼之也、

類社
長門國豊蒲郡 住吉坐荒御魂神社三座、(並名神大)
筑前國那珂郡 住吉神社三座、(並名神大)
壹岐島壹岐郡、対馬島下縣郡 住吉神社、(名神大、名一座、)
陸奥國磐城郡、播磨國賀茂郡 住吉神社、(各一座)

鎮坐
日本紀神功皇后巻云、
三神誨之曰、吾和魂宜居大津淳中倉之長峡、便因看往来船、於是随神教以鎮坐焉、

神位
続日本紀、
延暦3年6月辛丑、叙正三位住吉神勲三等、
同年12月丙申、叙住吉神從二位、」
日本紀略、
延暦25年4月丁巳、摂津國住吉大神奉授從一位、以遣唐使祈也、

官幣 神宝
日本紀、
天武天皇朱鳥元年7月癸卯、奉幣於住吉大神、」
持統天皇6年5月庚寅、遺使渚奉幣于住吉神、
同年12月甲申、遣大夫等奉新羅調於住吉、」
続日本紀、
慶雲元宰7月甲辰、奉幣帛于住吉社、
神亀3年7月乙未、遣使奉幣帛於住吉神社、」
続日本後紀、
承和3年6月癸卯、奉住吉社幣、祈雨也、
同5年8月癸丑、降雨殊切、奉幣住吉等名神以祈霽焉、
同6年4月戊辰、勅頒幣於住吉社、令祈雨、
同年8月己巳、遺神舐少副從五位下大中臣朝臣議守、少祐正七位上大中臣棘守、奉幣帛於摂津国住吉神、並祈船舶帰着、
同8年4月己巳、勅、宜奉幣住吉神令祈甘雨兼防風災、
同9年3月庚戌、是日、遣使頒幣住吉社、同祈甘雨、文徳實録、
嘉祥3年9月乙未、遣神祇少副正七位上大中臣朝臣久世主、向摂津國住吉大神社、奉宝幣、賽宿疇之、」
三代実録、
貞観元年7月14日丁卯、遺使諸社、奉神賽幣帛、中務少輔從五位下源朝臣包為住吉社使、
同年9月8日庚申、摂津國住吉神、遣使奉幣、為風雨祈焉、
同3年2月7日辛亥、遣唐使者向摂津國住吉神社奉神宝、
同9年11月12日丁未、遣使於住吉奉幣、先月祈五穀、今以賽焉、
元慶2年3月9日乙巳、是日、分遣使者奉幣馬於住吉神、賽旧祷也、
仁和元年9月22日癸卯、分副遣使者於住吉社奉幣、』
百練抄、
文暦元年12月28日壬辰、住吉社遷宮神宝使発遣、明後日可有遷宮者、

封戸 神財 社領
三代實録、
貞観8年4月11日乙酉、遣使摂津国住吉神社、奉神財、』
同13年5月2日丁未、制、筑前国所輸摂津国住吉神封戸調庸綿、便付太宰貢綿使、送彼神社、永以爲例、(三代格にも見ゆ)」
元慶3年6月14日癸酉、遣使於摂津國住吉神社、奉神財、』
類聚三代格云、
元慶3年7月22日、太政官符、応勘造住吉社神財帳三通事、右検案内、彼社神財触類有敷、而前來神主等不勤守掌、雖有遷替終無勘発、前神主津守公□在任之時多失神財、非只親自犯取兼亦為他所盗、仍加勘責解却巳畢、今被右大臣宣称、宜仰國宰國司神主和其勤検子細勘録、毎有遷潜必造三通一通進官、一通付國、一通留社、立爲恒例、不得遺漏、」
臨時祭式云、
凡住吉社長門國封租穀者、令封戸徭夫運送、云々、但豊浦郡封戸徭夫者、便留充御陰社、

○当代社領高二干六拾石、御朱印地、
連胤按るに、御陰社とは、長門國豊浦郡住吉坐荒御魂神社をいふなるべし、

造営 修理
日本紀略、
弘仁3年6月辛卯、神祇官言、住吉香取鹿島三神神社、隔二十箇年皆改作、積習為常、其弊不少、今須除正殿外随破修理、永為恒例許之、』
臨時祭式云、
摂津國住吉、下総國香取、常陸國鹿島等神社正殿、廿年一度改造、

御幸
新古今集、(神祇)
天安元年の比、文徳天皇此所に御宰ありしに、宮中大破に及ぶ、御宝殿より明神の御歌「夜や寒き衣やうすき片そぎの行合の間より霜や置らむ」
玉葉集、(神祇)
亀山院住の江に御幸侍て、人らに歌よませ給けるに、入道前太政大臣、「めづらしき御幸にゆつれ住吉の神のままなる松のちとせを」

氏人
日本紀神功皇后巻曰、
於是、從軍神表筒男、中筒男、底筒男、三神誨皇后、曰、時穴門直之祖践立、津守連之祖国裳見宿禰、啓于皇后曰、云々、(全文長門國豊蒲郡住吉荒御魂神社の條見合すべし)』
続日本紀、
和銅7年正月甲子、授正七位上津守連通從五位下、
天平神護元年2月辛巳、授從六位下津守宿禰真前外從五位下、
ざて姓氏録、(摂津国神別)
津守宿根、尾張宿禰同祖、火明命八世孫大御日足尼之後也、また津守、火明命之後也、
連胤云、
当社を津守氏の奉仕は、田裳見宿禰の由縁に拠て也、社職の事の見えたるは、津守國基、康平中補住吉神司、叙從五位下云々、と摂津志に記せり、

社職 把笏
日本紀略、
延暦20年2月丙申、始令住吉社神主把笏、

雑事
続日本紀、
宝亀元年8月辛卯、使雅樂頭從五位下伊刀王受神教於住吉神、」
三代実録、
貞観8年2月16日壬戌、勅遣十一僧、向於摂津國住吉神社、転読金剛般若経三千巻、般若心経三萬巻、以奉謝神心消伏兵疫、
○盛衰記四十三曰、
元暦2年2月16日夜子刻、住吉殿第三神殿ヨリ鏑矢ノ聲出テ、西ヲ指テ出行ヌト、云々、(百練抄亦同)神主長盛、権祝有遠奏状ヲ進ラスル、」
百練抄曰、
同年同月19日、(中略前に同じ)即付使被献御劔巳下宝物了、諸社又如此、」
帝王編年記云、
正嘉2年5月4日、住吉社第一神殿鳴動、狛犬形落地、
〇因に云、八十島の祭といふ事あり、こは大嘗曾の次年に、御巫、生島御巫等を遣され、難波湖にて当杜及大依羅神社、大海神社、住道神社、豊島郡垂水神社を祭らせ給ふ也、其式文をもここに挙て知らしむ、

八十島神祭
・・・・・・

東宮八十島
・・・・・・
・・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

住吉大社(大阪市住吉区)に (hai)」(90度のお辞儀)

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二十二社について

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