事任八幡宮(掛川市)清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります

事任八幡宮は 創建は一説に成務天皇(84年~190)の御代の創立と伝え聞き 大同2年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武天皇の勅を奉じ 旧社地本宮山より現社地へ遷座したと伝わります 古代より街道筋に鎮座し 朝廷をはじめ全国より崇敬されており 多くの歌人が歌に詠んでいます 平安期の「枕草子」に記載があります

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

事任八幡宮Kotonomama Hachimangu)
ことのままはちまんぐう

 [通称名(Common name)]

日坂の八幡宮・ことのまち神社

【鎮座地 (Location) 

静岡県掛川市八坂642

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》己等乃麻知比売命Kotonomachihime no mikoto)

忌部の神玉主命(タマヌシノミコトの娘神様
 中臣の祖興台産命(ココトムスビノミコト)の后神様
 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の母神様


3柱合わせて八幡大神
   誉田別命(Hondawake no mikoto)/応神天皇
   息長帯比売命Okinaga tarashihime no mikoto)/神功皇后
   玉依比売命Tamayorihime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 遠江一之宮Totomi no kuni ichinomiya)

【創  (Beginning of history)】

・創建不詳

一説に成務天皇(84年~190)の御代の創立と伝え聞く

御由緒

創建年代は不詳ですが、(第13代)成務天皇の頃との記録があります。

大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じて、当社を再興したと伝わっています。それまでは本宮山にお祀りされていましたが、この年に本宮山より今の地(里宮)に遷座されたようです。
もちろん現在も本宮山では、小さな祠でお祀りされています。

醍醐天皇の御代に選上された「延喜式神名帳」には、遠江国佐野郡四座の1つとして「己等乃麻知神社」があげられています。

また、平安時代、清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります。平安時代には、「ことのままの神」が都にまで伝わっていたとわかります。
ことのままの神は、「願い事のままにかなえてくださる神」として伝わっていたようです。

その後源頼義が、京都より石清水八幡宮を当社に勧請したのは康平5年(1062年)でした。
武家社会の世の中となり八幡神が武家の守り神として広まったので、当社も「八幡宮」を称するようになりました。八幡神を守り神として奉る世の中で、異なる神名のまま社をお守りすることは厳しく、多くの神社が社を廃されることをおそれて名前を変更した時代でした。

戦国の世では、この一帯も戦いの渦の中でした。「己等乃麻知比売命」様をお守りしようと社家の者は、比売神様の分霊をあちらこちらにお祀りいたしました。

戦国の時代を経て、徳川家康が大檀那として本殿を造営した棟札があります。造営しなくてはならない痛手を当社も受けていたのでしょう。幕府は御朱印百石余を寄進して幕府の守り神であると祟めました。その後、徳川秀忠が中門を造営した記録があります。
本殿の扉の金具には、菊の紋と葵の紋が刻まれているところから、将軍家が当社を信仰されていたことがわかります。

江戸時代の記述では、「己等乃麻知神社 日坂の少し西の方、宮村にあり。今誉田八幡宮を称す。延喜式内佐野郡に属す」とあります。江戸時代の通称は「誉田八幡宮」でした。旅に携えた東海道の道中案内図などには必ずと言ってよいほど誉田八幡が記されていました。この時代は「ことのまま」が忘れられかけた「ことのまま」空白の時代でした。

明治5年、県社に列せられて「県社八幡神社」と称しました。
明治の頃には、「事任八幡」と称することを願い出ても認められなかったのでした。

昭和22年に社格が撤廃された折、由緒ある古来の社号「ことのままの社」に基づいて、「事任八幡宮」と改称することができました。しかし、その頃 御祭神として神社本庁に認められていたのは八幡大神のみでした。(*古い由緒)

平成に入り、元々の御祭神である「己等乃麻知比売命」を再度里宮にお迎えする「ことのままおこし」をいたしました。里宮では長い間八幡大神を主にお祀りされていましたが、その間も己等乃麻知比売命様はひっそりと本宮におられました。当社では、「ことのままおこし」として、改めて己等乃麻知比売命様を里宮にお迎えすると共に、「ことのまま」に関する種々の史料を添えて神社本庁に「己等乃麻知比売命」が主祭神として認められるよう申請いたしました。そして、やっと平成11年に県知事の認証書の交付を受けました。
主祭神「己等乃麻知比売命」と共に八幡大神三柱をお祀りする新たな「事任八幡宮」となり現在に至っております。

公式HPよりhttp://kotonomama.org/%e5%be%a1%e7%94%b1%e7%b7%92

【由  (History)】

御由緒

創立年代未詳 大同2年(807)坂上田村麻呂東征の際 桓武帝の勅を奉じ 旧社地 本宮山より現社地へ遷座すという

延喜式(927)神名帳に佐野郡 己等乃麻知(ことのまち)神社とあるは この社なり 
古代より街道筋に鎮座 遠江にす願いごとのままに叶うありがたき言霊(ことだま)の社として 朝庭を初め全国より崇敬されしことは平安朝の「枕草子」に記載あるを見ても明らかなり
世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し 康平5年(1062)源頼義が 石清水八幡宮を当社に勧請し 以来八幡宮を併称す
江戸期に入りては 徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築 朱印高百石余を献上す 
明治以降 県社八幡神社と称せしが 第二次大戦以後の社格廃止に伴い 由緒ある名「事任(ことのまま)」を復活し 現在は 事任八幡宮と称す
事任(ことのまま)八幡宮

境内案内板より

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由緒

創立年代不詳
一説に成務天皇(84年~190)の御代の創立と伝え聞く。
大同2年(807坂上田村麻呂東征の際、桓武天皇の勅を奉じ、旧社地 本宮山より現社地へ遷座すという。
延喜式神名帳に(佐野郡)己等乃麻知(ことのまち)神社とあるはこの社なり。
古代より街道筋に鎮座、遠江に坐す願い事のままに叶うありがたき言霊の社として 朝廷をはじめ全国より崇敬されし事は 平安期の「枕草子」に記載あるをみても明らかなり。
世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し、
康平5年(1062)源頼義が 岩清水八幡宮を当社に勧請し、以来 八幡宮を併称す。
江戸期に入りては 徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築、朱印高100石余を献上す。
明治以降は県社八幡神社と称せしが、
第二次大戦後の社格廃止に伴い由緒ある名「事任(ことのまま)」を復活し、現在は事任八幡宮と称す。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

五社神社(ゴシャジンジャ)《主》八意思兼神天照大神大国主神火迦具土神東照大権現

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稲荷神社(イナリジンジャ)《主》宇迦御魂神(ウカノミタマノカミ)

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金比羅神社(コンピラジンジャ)《主》大物主神(オオモノヌシノカミ)

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・本宮遥拝所(ホングウヨウハイジョ)

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本宮 (Former location where the former shrine was)】

本宮山 本宮(モトミヤヤマ ホングウ)
《主》己等乃麻智媛命(コトノマチヒメノミコト)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江国 62座(大2座・小60座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)佐野郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 己等乃麻知神社
[ふ り が な ]ことのまちの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kotonomachi no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

小國神社(遠江国一之宮)は 許当麻知神社(ことまち=願い事を待つ)・事任神社(ことのまま=願い事のままに)とも称されていました

小國神社(森町一宮

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR掛川駅からR1号経由島田方面へ 約7.5km 車15分程度
赤い歩道橋に白い字で「掛川市八坂 事任八幡宮前」と書かれています

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事任八幡宮Kotonomama Hachimangu)に参着

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一礼をして鳥居をくぐると 正面の鳥居の先に石段があり 石垣の上に社殿が建ちます 手前には手水舎があり 清めます

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ここで何といっても 鳥居の左に存在感のある 大楠〈御神木〉あります

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掛川市指定文化財
事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)のクスノキ

平成12224日指定
  天然記念物
所在地 掛川市八坂642-1
所有者 事任八幡宮

 クスノキ(クスノキ科)は、本州の関東地方以西から九州、沖縄、そして、台湾、中国南部、インドシナと広くに分布する常緑高木(じょうりょくこうぼく)です。成長がさかんで、長命で、高さ30m程の大木になるので、古くから神社や寺院に植えられ、巨樹、名木になっています。
 春に新芽が伸び出すと、間もなく古い葉は落ち、若葉は淡紅色、燈黄色などから淡緑色の美しい色に変わります。花と果実かつきますが、あまり目立ちません。
 ノキは、木全体に芳香(ほうこう)があって、耐久性が高いことから内装材、社寺建築、建具、家具、楽器などの用材に使われ、古代には丸木舟にも使われていました。また、クスノキの葉や幹根などを蒸留して、固形に仕上げた樟脳(しょうのう)は、防虫剤として使われています。
 事任八幡宮のクスノキは、高さ31m、目通り6m、根回り19.3mの大きさで、県内でも大木に含められます。樹勢は良好で、枝は北側をのぞいた三方に大きく広がり、見上げる人を温かく包み込むような、雄大で、とても優しい姿をみることができます。
掛川市教育委員会

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石垣の手前には鳥居が建ち扁額には「事任八幡宮」一礼をしてから 鳥居をくぐり 石段を上がります

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拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿から振り返ると 境内の先には 水田があり 豊かな地勢であることがわかります

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境内社の五社神社(ゴシャジンジャ)にお詣りをすると 本殿を仰ぎます

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境内図を見るとわかりますが 本殿の左横に 境内社や本宮への遥拝所の入口が並び 本宮山の本宮へ通じる R1号に架かる歩道橋の袂まで 道が通じています

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R1号に面している こちら側が 一の鳥居になります 改めて 一の鳥居をくぐります

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境内の正面には 社務所が建ちます 朱印など授与 社殿を振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』元慶3年(879年)完成 に記される伝承

任事(コトノママ)の神とされ 神階の昇叙が記されています

【意訳】

嘉祥3年(850年)7月 丙戌 の条


山城国 火雷神 神階授 従5位上

遠江国 任事(コトノママ)・鹿苑(カソノ)
両神に並びに 授(サズ)く 従5位下
・・・・
・・・・ 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

真知乃神(マチノカミ)とされ 神階の昇叙が記されています

【意訳】

貞観2年(860)正月27日 戊寅の条


越前国 気比神宮寺 置十僧為 定額随闕補之 


遠江国

従4位下 敬満神に 正4位下を

正5位下 ・苅原 河内 小国神
従5位下 ・鹿苑神 並びに 授 従4位下

従5位上
矢奈賣神(ヤナメノカミ)
真知乃神(マチノカミ)に 並びに 正5位上
・・・・・
・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

藤原系図 第14巻 本大系図に 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の父神 興登魂命(コゴトムスヒノカミ)の娶った玉主命の娘 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)の生まれた所なりとしています

【意訳】

『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)7月 丙戌 の条・・従5位下
『日本三代実録』貞観2年(860)正月27日 戊寅の条・・正5位上

藤原系図 第14巻 本大系図
本帳に曰く 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の父神 興登魂命(コゴトムスヒノカミ)の娶った玉主命の娘 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)の生まれた所なり

諸社根源記 任事

十六夜日記
二十四日 さやの中山こゆ 己登乃麻知とかいふ社のほども 道いとおもしろし

名寄
さやの中山の口なる任事と云社にて 鴨長明 又 見む吾 ねぎのままならば しばし ちらすな木々のもみぢ葉

東関紀行 源親行 ことのまゝとあり 〇今 俗にいう 新坂山口八幡

式考
日坂駅にある八幡という 昔は 事任(コトノママ)社と云えり 日坂駅は 佐夜の中山の道の口なり
ある説に 文徳実録に 任事神とあるは別なるべし
小国神社を小国任事(コトノママ)神社と申す事 当将軍家 後の書ものにありと云えり 然るに 文徳実録にある 任事は 小国社を云うべし
己等乃麻知と事任と名の似たるにつきてまがひたるなるべし 

伴信友云う 按る〈考えるに〉
このある説いかにも 續後紀 三大実録にも 小国は小国とあり 三大実録に 当社は眞知神とあるこれなるべし

又 按〈考慮〉に 小田村も もしくは 己等乃麻知神なるゆえ 小国任事神とも云うにても有るべし なほ この神のことは 己が正と考えに出へり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

【意訳】

己等乃麻知神社

己等乃麻知は仮字なり
〇祭神 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)

〇日坂駅に在す 今は八幡宮と称す 昔は 事任社(コトノママノヤシロ)と云えり 式内社考
〇藤原氏本系帳 云う 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の父神 興登魂命(コゴトムスヒノカミ)の娶った玉主命の娘 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)の生まれた所なり

十六夜日記に曰く
阿佛24日み「小夜の中山を越ゆる ことのままとかやいふ社のほど もみぢいとさかりに面白し」

名寄曰く
佐夜の中山のくちなる 任事と云社にて 鴨長明(カモノチョウメイ)「またも見む吾ねぎ 言のまま ならばえばし散すな木々の紅葉」枕草子 また 源親行の東関紀行にも ことのまま とあり

ある説に 文徳実録に 任事神とあるは別なるべし
小国神社を小国任事神社と申す事 当将軍家 後の書ものにありと云えり 然るに 文徳実録にある 任事は 小国社を云うべし
己等乃麻知と事任と名の似たるにつきてまがひたるなるべし

伴信友云う 按る〈考えるに〉
このある説いかにも 續後紀 三大実録にも 小国は小国とあり 三大実録に 当社は眞知神とあるこれなるべし 
又 按〈考慮〉に
小国神も もしくは己等乃麻知神なるゆえ 小国任事神とも云うにても有るべし 云々

神位
『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)7月 丙戌 の条・・従5位下
『日本三代実録』貞観2年(860)正月27日 戊寅の条・・正5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

本来の祭神について 八幡神ではなく 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)であろうと思える と記しています

【意訳】

己等乃麻知(コトノマチノ)神社

祭神 明細帳に事任神社 祭神 己等乃麻知姫命とあり同ならんか
今 按〈考えるに〉
社伝 祭神は 誉田別命 息長帯姫命 玉依比賣命 とあれど 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)なるべく思える
それは 藤原氏本系帳に「天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の父神 興登魂命(コゴトムスヒノカミ)の娶った玉主命の娘 許登能麻遅(コトノマチヒメノミコト)の生まれた所なり」と並べ記されたる由縁ありて 聞こえればなり 姑附て考を俟つ

祭日 8月14 15日 11月中酉日
社格 縣社
所在 鴨方村
今 按〈考えるに〉
この社
一は 鴨方村 字 新坂にあり八幡宮と称す これなりと云う
一は 亀甲村 字 宮谷にあるこれなりと云う 今 その地勢を詳らかにせざれば決め難し 十六夜日記に24日小夜の中山を越ゆ己登乃麻知とかいふ社にて 鴨長明またもみむ吾ねき 言のままならば しばし散すな木々の紅葉などある地勢と古道とを考えて決めるべき事あり 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

【意訳】

縣社 八幡神社

祭神
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
誉田別命(ホムタワケノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)

元と任事神(コトノママノカミ) 直知乃神(マチノカミ) 己等乃麻知神社(コトノマチノカミノヤシロ)ともいい 近世 新坂八幡宮とも 日坂八幡宮とも称せり
創立年代 詳らかならず

ただ社記に「平城天皇 大同2年 一云う 桓武天皇 延暦2年 坂上田村麻呂 勅を奉じて 再興云々」と見え
和漢年代記に「欽明天皇十六年二月 大己貴紳 遠州周智郡に現れ給ふ 事任神社と崇む」と見えたり 
文徳実録に「嘉祥三年七月丙子朔丙戌 遠江國任事神 授二 従五位下」と見え 
次いで三大実録に「貞観二年正月二十七日 従五位上 眞知乃神 正五位上云々」と見えたるが、延喜の制小社に列す 
又 当国一宮たられしことありけん一記宮に見えたり
元と本宮山に鎮座あらせられしが 後ち今の地に奉遷せりと 社記はこれを田村麻呂再興の時の事とすれど 詳らかならず 旧と社領百石余を有せり 諸社 朱印録に云く

 「新坂八幡宮領 遠江国佐野郡賀茂方村之内 百石餘事 並山林竹木諸役等免除 任 寛永十九年六月十八日 先判之旨 永不可有 相違 者也 仍如件」

往昔は 社殿丹青を以て粉飾せるが 文政年中 祠官 朝比奈某今の社殿に改めしと 明治元年十月 御東幸に際し 勅使として植松少将参向せられ 官幣を奉らる 同五年 縣社に列す

社殿は本殿 拝殿 其の他 神饌所 社務所等を具備し 境内は二千二百坪(官有地第一種)あり 桜 楓 楠 杉の老樹巨木 錯綜して 森を成し 昼尚暗し 
当社 旧地 本宮山 一に雄鯨山と称す 次いで雌鯨山あり これを総称して 鯨山と称す 蓋 当社地に近し ここより碁石を産す

東海道名所図絵に云く
「むかし此神の姫を、龍宮へ迎へんと願ひしかども、神ゆるし給はず、龍紳これを恨んで、塩井川へ潮を出し、雌雄の鯨 浮み出で、姫を奪び取んとす、折節 此御神 碁盤を投げかけ 雌雄鯨を滅し給ふ、忽ち その鯨二つの山と成って今にあり、碁石の出るを雄くじら山といひ、姫を投隠し給ふ所を、今に闇闇村といふ」

当社は 古来 著名の神社にして 殊に 社名 事任として 詩人の筆に上がること多し

枕草紙に
「やしろは、ことのままの明神いとたのもし、さのみききけんとやいはれ給はんと、おもふぞいとをかしき」
十六夜日記に
「二十四日ひるになりて、さやの中山こゆ、事任とかいふ社のほども、道いとおもしろし、山かげにて嵐もおよばぬなめり、ふかくいるままに、遠江のみねつづき、こと山に似ず、心ぼそくあれ也、ふもとの里きく川といふ所にとどまる」
名寄に
「さやの中山の道の口なることのままと云社にて、又もこん我ねぎことのままならば しばし ちらすな木々のもみぢ葉』 鴨長明
光行紀行に
「ことのままいざと聞ゆるやしろおはします、その御まへをすぐとて、いささか思ひつづけられし、ゆふだすきかけてぞ たのむいま思ふことのままなる神のしるしを 光行」
海道記に
「山口といふ今宿を過ぐれば、路は 旧によって通ぜり、野原を跡にし、さとむらをさきにして、打かへ 過行けば、事の任と申す社に参詣す、本地をばしらず、佛陀にもいますらん、薩埵にもいますらん、中丹を御神かならずあはれみ給ふべし、今身もおだやかに、後身もおだやかに、すぎのむら立は三輪山にあらずとも、恋しくは、たづねてもまいるらん、願はくは、たた畢竟空寂の法味を納受して、真実不慮の威應をたれたまへ
 思ふ事のままに叶へよ杉たてる神の誓のしるしとぞ見る」
曙記に
「ことのままのやしろ
みしめなは神にまかせて一筋に吾おもふことのままにいのらん 光廣卿

入坂を越えむとて 五六町ばかり そなたには、八幡宮あり、花菱に桜咲きかかりぬ、都を立ちてこなたいまに見ざりし初桜、けふの栄これ也、
 たちならぶ神の花 表の桜はなのこころも外よりぞとき 光廣卿」
東武道記に
「日坂山口にいます事任といふ社をふし拝みて、大井川けふのわた瀬を さして思ふことのままにといのる神垣  冷泉為久卿」

境内神社
五社(ゴシャ)神社
稲荷(イナリ)神社
事比羅(コトヒラ)神社

・・・・・
・・・・・

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2 『明治神社誌料』3

事任八幡宮Kotonomama Hachimangu) (hai)」(90度のお辞儀)

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遠江国 式内社 62座(大2座・小60座)について に戻る       

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
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