➈神語り(かむがたり)八千矛神(やちほこのかみ)と須勢理毘賣(すせりびめ)

武神の八千矛神(やちほこのかみは 夫婦円満の和合の神として 描かれる

八千矛神(やちほこのかみの御神名は 出雲の勢力を拡大した武神〈いくさがみ〉の神威を表します 併合した各国とは 婚姻関係が結ばれ 各々の妻を持っていた

そこで 嫉妬(しっと)深い お妃(きさき)須勢理毘売(すせりびめと歌を交わしたこの歌は 神語りかむがたり)〉とされ 仲睦まじく 酒盃を交わし 互いに手を掛け合い 今に至るまで出雲に (しずまりまします) と記されます

大神大后神社(出雲大社 境内 御向社)《主》須勢理毘売命

『古事記』神話には
お妃(きさき)須勢理毘売(すせりびめと歌を交わし 仲睦まじく 酒盃を交わし 互いに手を掛け合い 今に至るまで 坐(しずまりまします)」と記されます

スポンサーリンク

『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

また その神〈八千矛神〉の
お妃(きさき)須勢理毘売(すせりびめ とても嫉妬(しっと)深いでした れを 夫の君〈八千矛神 心(こころ)憂(うれ)いて 出雲から大和へ上られる 支度(したく)された時に 片手を馬の鞍(くら)にかけ 片足を御鐙(あぶみ)に入れて 歌を詠われた

"黒い色の衣装(めしもの) 十分に身に着けて
沖の水鳥のように 胸元を見て 羽ばたきするようして これ似合〈ふさわしく〉ない

波が寄せるところに 脱ぎ捨て 翡翠色(ひすいいろ)の青い衣装(めしもの) 十分に身に着けて
沖の水鳥のように 胸元を見て 羽ばたきするようして これ似合〈ふさわしく〉ない

波が寄せるところに 脱ぎ捨て 山に蒔いた茜草(あかねぐさ)をつき 料の木汁で染めた衣装(めしもの) 十分に身に着けて
沖の水鳥のように 胸元を見て 羽ばたきするようして これ似合〈ふさわしい〉

睦ましい わが妻よ
鳥の群れるように 私が従者後を追って群れ去ったら 泣くまいとあなたは言っても に立つ薄(すすき)ように うな垂れ 泣いてしまい 朝の雨の霧のように立つのだろう 若草のような わが妻のみことよ"

事の語り伝えは かようでございます

すると そのお后(きさき)が きな酒盃(サカズキ)を持ち 立ち寄り 歌を捧げました

"八千矛神(やちほこのかみのみこと 私の大国主(おほくにぬし
あなたは男ですから 廻る岬(みさきみさき) 廻る埼埼(さきざき) 若草のような居るのでしょう

わたしは女ですから あなた以外に男はなく あなた以外に夫は居ません

ふわりと垂れている綾織(おりもの)の下で 暖かな衾〈寝具の柔らかな下で 白い衾〈寝具さやさやと鳴る下で 泡雪(あわゆき)のような若々しい胸を (こうぞ)の綱のような腕で そっと叩いて手をさしかわし 玉のような手を廻して 足を伸ばしてお休みなさい どうぞお酒をください"

そこで 盃を交わし 互いに手を掛け合い 今に至るまで 坐(しずまりまします)

これを 神語りかむがたり)といいます

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

⑩大国主神(おおくにぬしのかみ)系譜迦毛大御神(かものおほみかみ)〉 に進む

スポンサーリンク

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-神話の舞台
-

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.