三重県

伊射波神社(鳥羽市安楽島町)

伊射波神社(いさわじんじゃ)は 稚日女尊(わかひめのみこと)を海の道から加布良古崎(かぶらこざき)へ祭祀したのが起源とされ 本来は海から参拝する社で 海に向かって鳥居が建ちます 昭和初期頃までは 社頭の海岸まで船寄せしてお参りしたとされ 現在は 縁結びの御神威でも知られ 志摩国一之宮の巡拝者も多くいます

志摩国 式内社 3座(大2座・小1座)について

志摩国(しまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 志摩国の 3座(大2座・小1座)の神社のことです

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです

伊賀国 式内社 25座(大1座・小24座)について

伊賀国(いがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊賀国の 25座(大1座・小24座)の神社のことです

敢國神社(伊賀市一之宮)

敢國神社(あえくにじんじゃ)は 社伝によれば第37代 斉明天皇(サイメイテンノウ)4年(658)に創建とされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に伊賀国の阿拝(アエ)郡の大社とされる古社です・阿閉臣(アヘノオミ)の祖神である大彦命(オオヒコノミコト)・古代に伊賀を拓いた渡来人の秦氏の信仰する少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀るとされる伊賀国の一之宮です

伊雑宮(志摩市磯部町)

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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