大分県

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉は もともとは 祖母山の神・山頂の上宮・遥拝所の下宮・穴森神社の神幸所でした 國幣小社への昇格の為 昭和9年(1934)相応規模の社殿が建築され とても立派な里宮の形式をとっています 終戦により計画は中断し 神幸所として現用されています

穴森神社(竹田市神原)

穴森神社は かつて神池があり 姥嶽大明神(祖母山)の化身である大蛇が住んでいたとされます その池底にあった岩窟をご神体としています この岩窟からは 元禄16年(1703)に大蛇の骨が発見されたので 宝永2年(1705)藩命で現在の岩穴に神体として祀ったと伝わります 『平家物語』には 大蛇は岩窟〈穴森神社〉に住んでいて 姥嶽大明神(大蛇)と華御本姫(はなのおもとひめ)との神婚伝説(神と人との婚姻説)が記されています 

健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 下宮は 上宮が鎮座する「祖母山(ソボサン)山頂」と対面する山の南面の中腹に鎮座しています 参拝には 山麓から約240段の石段を上ります すると山肌に巨大な岩窟があり その岩窟中に社殿が建っています 第36代 孝徳天皇 白雉2年(650)当所に社殿を建立し 下宮と称し遥拝所とされたと伝わります 延喜式内社の論社です

西寒多神社(大分市寒田)

西寒多神社は 社伝によれば 第15代 応神天皇の勅命により 応神天皇9年(278)4月 西寒多山(本宮山)に 祠を建立したとされています その後 応永15年(1408)3月 南北朝~室町時代に守護大名 大友親世公により現在地に遷座されました 豊後国一之宮として信仰されています

護王神社(宇佐市)

護王神社は 大尾山に鎮座する宇佐神宮の境外末社です ここ大尾山は 八幡大神の御託宣を和気清麻呂公が受けます 弓削道鏡の野望はくじかれ 皇統が守護された聖跡です ご神託を受けた山頂には 摂社 大尾神社が鎮座し 山頂から少し下った中腹に 和気公を祀る当社が鎮座します

椎根津彦神社(椎宮)

椎根津彦神社(椎宮)は 紀元前667年に東征を開始した神武天皇が 海を導く者として任命した国津神の椎根津彦命(shiinetsuhiko no mikoto)を祀ります この場所が 神武天皇一行の宇佐への上陸地点であると伝えられています

大尾神社(宇佐市)

大尾神社は 天平神護元年(765)から約15年間 宇佐神宮の「上宮」として鎮座していました この間には「弓削道鏡の事件」が起きましたので 八幡大神が 国体擁護の御神教を授けた霊地とされています 宇佐神宮からは 東に位置していて 朝陽を迎えるかの如く 真っ直ぐに延びる参道の先 宇佐三山の一つさされる大尾山の頂上に鎮座しています 奥宮の「御許山(大元神社)」への古道の出発点とされる霊地でもあります 

小山田神社(宇佐市)

小山田神社は 宇佐神宮の前宮とされています 養老4年(720)八幡大神が 隼人征伐の神託を下し 御進発した時は ここ小山田に鎮座していた「小山田社」でした  現在の社殿が建つ鎮座地は 以前は 貴布祢神社の境内となっていましたが 明治6年 神社合祀施策によって 貴布祢神社の境内西にあった小山田神社を合祀し 社名を小山田神社として祀られています

妻垣神社(安心院町)

妻垣神社は 宇佐大神(八幡大神)の神託により 天平神護元年(765)閏十月八日 社殿が造営されたのが始まりと伝わります 神武天皇の東征記にある「足一騰宮」との伝承を持つ磐座もあります

大根川神社(矢立宮)

大根川神社(矢立宮)は 昔 八幡大神が 大根を食したので「大根河(one gawa)」と呼ぶと伝わります 養老4年(720)大隅・日向の隼人反乱の征伐のために 朝廷から任命された大友旅人が この地で矢を立てて必勝祈願をしたことから 矢立宮とも呼ばれています

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