大阪府

走落神社(豊能町木代)

走落神社は 明治40年(1907)に東能勢村にあった8つの神社を この場所にあった小玉神社に合併して計9つの神社が合併した神社です その際に合併神社の中でも由緒のある式内社の「走落神社」と名称を改称しました

走湯神社旧跡地(豊能町切畑)

走湯神社旧跡地は かつて走湯天王と称し『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の式内社とされています 明治40年(1907)9月 小玉神社〈現 走落神社〉に合祀され 現在は旧跡地とされています

片埜神社(枚方市)

片埜神社(かたのじんじゃ)は 社伝によれば 第11代垂仁天皇〈在位BC29~AD70年頃〉の創建とされ『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される古社です 戦国時代に兵火にかかり荒廃しますが 天正11年(1583年)豊臣秀吉公により大坂城の鬼門鎮護の社と定められて 方位鬼門除けに霊験あらたかな社と世に知られています 明治期の神社合祀政策1906年~によって 式内社の久須須美神社を合祀しています

服部天神宮(豊中市)

服部天神宮は 服部(ハトリ)と云う地名の通り 秦氏(ハタウジ)が集団で居住し 社伝によれば かつて服部連(ハトリノムラジ)の本拠とした場所に医薬の神「少彦名命」を祀る祠があった〈これが服部天神宮の前身〉その後 延喜元年(901)菅原道真公が 大宰府への左遷途中で 持病の脚気に襲われて身動きが取れなくなったが 一心にその平癒を祈願されたところ脚気はたちどころに治った伝承地になります ゆえに「足の神様」として有名です

呉服神社(池田市)

呉服(クレハ)神社は 「呉服(ゴフク)」〈絹布類〉の語源の地です『日本書紀(nihon shoki)』第15代応神天皇の条に記される「呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)」という姉妹が 我が国(日本)に伝えた 機織(ハタオリ)・栽縫(サイホウ)の技術は この地から発祥したとされています その由来から 機織・染色・裁縫の上達・衣服の神として 服飾関係者の信仰も集めています

神服神社(高槻市)

神服神社は 第19代允恭天皇(インギョウテンノウ)〈在位412~453年頃〉の時代に服部氏の氏神として創建し「服部神(ハトリノカミ)」と称した古社です この地は服部連(ハトリノムラジ)の本拠地であったとされ『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には「神服神社(カムハトリノカミノヤシロ)」と改称し所載されています 

新屋坐天照御魂神社(西河原)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的とされるのが(西福井)です 異説では『倭名類聚抄』にある「新屋郷」は 当地(西河原)の事であり元社とする説 又 享保14年(1729~1734)編纂『五畿内志(Gokinaishi)』や『摂津名所図会(Settsu meisho zue)』〈寛政8年(1796)-寛政10年(1798)刊行〉でも 当地(西河原)を 3社の中心地としています 

新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが(西福井)で背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ その後 神功皇后が荒魂を当地(宿久庄)に勧請したと伝えられています

新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが当神社(西福井)です 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC30年頃〉が 伊香色雄命(イカガシコオノミコト)に 天照御魂大神(アマテルミタマノオオカミ)を祀らせたとあり 創建から2100年を有する摂津国屈指の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社で 御祭神の天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)は 亦名(マタノナ)を天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた神とされます

長柄神社跡(八尾市)

長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

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