安仁神社(岡山市)〈元 備前国 一之宮〉

安仁神社(あにじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載の名神大社です 備前国総鎮守とされ 備前国一之宮で(現 一之宮は吉備津彦神社)創建から2600年以上とも伝えられる岡山県内でも屈指の古社であり 格式の高い大社とされています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

安仁神社(Ani Shrine)
(あにじんじゃ)
 

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

岡山県岡山市東区西大寺一宮895

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》五瀬命Itsuse no mikoto)

《配》稲氷命Inahi no mikoto)
   御毛沼命Mikenu no mikoto)

《合》大山咋命Ohoyamakui no mikoto)
   大己貴命Ohonamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

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【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 備前国一之宮Bizennokuni no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

由緒

当社の創立年月日不詳、
歴史については「続日本紀」の承和8年(84128日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国 名神大社とある。
古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えている。
御祭神は 五瀬命・稲氷命・御毛沼命等をお祀りしている。

この社地は、宮城山(みやしろやま)・別名鶴山といい、元宮は標高80米位の頂上にあった。その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座する。

明治4 国幣中社に列せられ 勅使の御参向、大正15 皇太子殿下行啓、祈年祭・新嘗祭・例大祭には 幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は 荘厳で隆盛な神域でした。

昔は この鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東遷の船のともづなを掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

安仁神社(あにじんじゃ)

岡山市西大寺一の宮の宮城山(みやしろやま)(別名 鶴山 つるやま)にあり、吉備地方屈指の古社であった。主祭神として五瀬命(いつせのみこと)(神武天皇の兄)を祭り。社名の「安仁」は神武天皇の「兄」を仮名書きしたことに由来するといわれている。
社殿は始め 宮城山頂にあったが、1344(康永3)年火災に会い、その後1705(宝永2)年 池田綱政(いけだつなまさ)により現在の社地に改築された。
 さらに1884(明治17)年には幣殿と拝殿が、1885(明治18)年には本殿が改築された。また境内周辺の山林6haは岡山県の郷土自然保護地区に指定されている。
 毎年711日には「茅(ち)の輪(わ)くぐり」の神事が執り行われ、参詣者で賑わう。
 平成611「新 西大寺八景」のひとつとして選ばれた。
岡山市 平成9年3月 設置

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

左補神社(サホジンジャ)《主》幾多神(イクバクノカミ)

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右補神社(ウホジンジャ)《主》幾多神(イクバクノカミ)

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稲荷神社(イナリジンジャ)《主》倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)

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荒神社(コウジンジャ)《主》火産霊神(ホムスビノカミ)《配》奥津彦命 奥津姫命

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伊勢神宮遙拝所

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滝神社遙拝所〈ご神水〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

安仁神社(アニノカミノヤシロ) 一座 備前国

 と記されています

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備前国 26座(大1座・小25座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)邑久郡 3座(大1座・小2座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 安仁神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]あにの かみのやしろ)
[Old Shrine name](ani no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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備前国一之宮の変遷について

安仁神社(Ani Shrine)は 正史の六国史には『続日本後紀』841年(承和8年)2月8日条に「安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)」とあります
平安時代後期927年12月編纂『延喜式Engishiki)では 備前国では 唯一の名神大社に列せられています

元々は 当社安仁神社(Ani Shrine) 備前国 一之宮でした
しかし 939年(天慶2年)天慶の乱(テンケイノラン)の時に 当社が 藤原純友(フジワラノスミトモ)方に味方したため 一之宮の地位を朝廷より剥奪されたとされます

その後 備前国の一之宮 天慶の乱で 朝廷に味方した備中国の一之宮「吉備津神社より御霊代を分祀され創建された吉備津彦神社(岡山市北区一宮)に移ったと伝えられます

元 備前国一之宮 

・安仁神社(岡山市)

現 備前国一之宮〈備中 吉備津神社の分霊〉

吉備津彦神社(岡山市備前一宮

備中国一之宮〈備前 吉備津彦神社の元宮〉

吉備津神社(山市吉備津

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

岡山駅から R2号経由 東南へ約23km 車40分程度
県道235号 橋詰千手線の田園を進むと 注連縄柱があり 参道を示しています

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広々とした駐車場があり 祭りの幟が立ちます
安仁神社(Ani Shrine)に参着

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備前焼の狛犬の構える参道の入口には 社号標が建ち「國幣中社 安仁神社 大正六年五月建」とあります

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参道を進み 一礼をして 一の鳥居をくぐり 緩やかな坂をのぼると 二の鳥居が建ちます 

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二の鳥居をくぐると 随神門があります その先に 急勾配の石段があります
かつては この石段の下に賽銭箱が設置されていて 一般の参拝者は石段を上がることができ無かったと云われます 当時 石段を上がることが出来たのは勅使や祭典参列者などの ごく限られた人々だけだったと伝わります
すなわち 社殿を拝むことは出来ず ここから遥拝をしたようです

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石段を上がると 正面に社殿が建っています 拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内社にお詣りをしながら 社殿を向かって左側から一周します 本殿の真裏には 「清め土」があります

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境内には 小高い木々がありますが 開けていて明るい空間になっています 社殿に一礼をして 参道を戻ります

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境内周辺の山林6haは岡山県の郷土自然保護地区に指定されて のどかな里の風景をのこしています

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)完成 に記される伝承

【意訳】

承和8年(841)2月 己酉 の条

備前国(ビゼンノクニ)邑久郡(ヲホクノコオリ)安仁神(アニノカミ)を 預(アズカ)らしは 名神に焉(エン)〈ここに名神とする〉

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

【意訳】

安仁神社(アニノカミノヤシロ) 名神大

續後紀 承和8年(841)2月 己酉 の条 ここに名神とする

式内社考 今 藤井村に在す

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

【意訳】

安仁神社(アニノカミノヤシロ) 名神大

安仁は仮字なり

〇祭神 詳(ツマビラ)らかならず
〇藤井村に在す 式社考
〇延喜式 三巻 臨時祭 名神祭285座 安仁神社(アニノカミノヤシロ) 一座 備前国

備前国誌に
康永3年4月 火災 この時記録など焼亡せり
古は 社頭 壮麗にして 神事厳重に 勅使参向の儀式などあり 今に社頭の北の方に 勅使屋敷の跡あり 
国人平賀其云
貞治元年 邑久郡 豊原庄 四至傍爾 庄内の記文なり 二町 当国 二宮御領山 古は 吉備津を一宮と云い 安仁を二宮と云いしなり

神位 国内神名帳 正2位 安仁大明神
名神 承和8年(841)2月己酉 備前国 邑久郡 安仁神 預 名神 焉

社領 高5石 池田家寄附
 備前国誌に 中比 社領も凡そ1300石計ありし由 金吾中納言 秀秋の時没収す その後 輝政君の時 社領5石寄附と云り

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

祭神について 大正時代から 突然の様に祭神が「五瀬命」であるとされたらしく
本書では
「五瀬命と云うは 近年言い出したる妄説なり」と記し 完全に否定しています

【意訳】

安仁神社(アニノカミノヤシロ) 名神大

祭神 五瀬命 (潔云 五瀬命と云うは 近年言い出したる妄説なり)
祭日 10月31日 至 11月1日
社格 國幣中社
所在 藤井村 宮城山 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

安仁神社(Ani Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について に戻る        

 

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