二上射水神社(高岡市二上)越中総社

二上射水神社は 二上山麓に鎮座しています 元々は越中国一之宮でした 現在の射水神社〈明治8年(1875)高岡城跡「高岡古城公園」へ遷座〉の旧 鎮座地となります 遷座後も氏子の信仰心と要請により この地には射水神社の分社として二上射水神社が残され続けました 第二次大戦後 射水神社から独立して 現在では 正式名称を「越中総社 射水神社」と称しています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

二上射水神社Futagamiimizu Shrine)
ふたがみいみずじんじゃ

 [通称名(Common name)]

越中総社射水神社(えっちゅうそうじゃ いみずじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

富山県高岡市二上1519

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》瓊瓊杵尊(Ninigi no mikoto)〈二上大神〉

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 越中国一之宮Etchu no kuni ichinomiya)
・ 越中総Etchu Soja

【創  (Beginning of history)】

由緒

延喜式神名帳の式内社越中国34社の内唯一の名神大社である。
創建年代は不詳であるが奈良時代末の宝亀11年(780)の続日本記に、「越中国射水郡二上神従五位下」の神階を授けられており、当時すでに北陸地方屈指の大社であった。 

古来、神仏習合により別当寺の養老寺が護持し、二上山大権現と称した。越中全土の各戸より毎年初穂米奉納の制があり、盛大を極めた。その後、承平・天慶及び天正年間の兵火などにより衰頽した。

慶長14年(1609)加賀2代藩主前田利長公は、社殿再建の上、藩の祈祷所として保護し、国内に命じ初穂米奉納の制を復活し明治維新まで続いた。

明治新政府による神仏分離令を受けて射水神社となり、明治4年(1871)国幣中社に列し、同8年高岡古城公園に遷座した。

同10年、氏子の復座請願により分社となったが、戦後独立し、現在は射水神社元宮として、古代信仰を今に伝え、築山行事(県指定無形民俗文化財)木造男神坐像(国指定重要文化財)など貴重な文化遺産を守り続けている。

神社配布しおりより

【由  (History)】

重要文化財 木像男神座像
昭和43年4月25日指定

二上射水神社は、富山県高岡市の二上山(ふたがみやま)の麓に鎮座する北陸地方 屈指の古社で、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に 記載の越中国 射水郡 射水神社に比定される。
二上山は古代には神の住む山として信仰され、続日本記には祭神である二上神の名が見える。
また、奈良時代の養老年間(717-724)に高僧、行基(ぎょうき)が二上山の麓に養老寺を建立し、同時に二上神を 祀ったと伝えられる。

 重要文化財・木像男神座像は、二上射水神社の御神体で、欅(けやき)材の 一木造りである。現在は枘(ほぞ)で結合してあった両手・両足がないが、像高は121.0cmで、全国に存在する神像の中でも最大級である。
かっては彩色があったらしく、着衣の奥、その他にわずかだが胡粉(ごふん)らしきものを残している。制作時期は、あごひげがある神威に満ちた厳めしい面貌表現、重量感溢れる体躯、古様な冠の形状などからみて、平安時代(10世紀)と考えられる。

 造形は、厳しい表現で、荒ぶる神々を押さえつけるという二上神に相応しい。像表面にごつごつとした鑿跡(のみあと)を刻み付けた仏像を、一般に鉈彫(なたぼり)」と呼んでおり、東日本に多く分布している技法である。
冠や体躯に纏う着衣はおおむね平滑に彫刻をしつつ、顔面部のみほぼ面に丸鑿で水平の痕跡を残している。
わずかな光が揺らぐと表情を変えることから、そこに生きる神を演出したのだろう。特に注目されるのは、彫眼で表現されている眼であり、上瞼の位置と眼球の範囲が明瞭に表現されている。
造形の最も中核にあたる眼球に、意図的に鑿跡を残していることは、造像上、重要な意味を持つのである。

 本像は、鉈彫と神像彫刻がリンクして制作された初期の作例であり、両者の成立と発展を考える上で、きわめて重要な神像である。なお、本像は、毎年、423日の春季祭礼時(二上射水神社の築山行事)に公開される。
平成29年7月14日 高岡市教育委員会

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

※現在は 射水神社(高岡市古城)の管轄となっています

・射水神社(高岡市古城) 

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中国 34座(大1座・小33座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)射水郡 13座(大1座・小12座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 射水神社
[ふ り が な ]いみつの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Imitsu no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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越中国には 一之宮と称する 4つの神社の系統があります

天平宝宇元年(757)に越中から 能登国が分立するまでは 能登の羽咋に鎮座する 氣多神社〈現 氣多大社〉が一之宮として機能していました

4系統には 各々に論社や分祀があります

砺波郡 高瀬神社

高瀬神社(南砺市高瀬)

射水郡 射水神社

・射水神社(高岡市古城) 

・二上射水神社(高岡市二上) 

射水郡 氣多神社

・氣多神社(高岡市)越中国一之宮 

新川郡 雄山神社

・雄山神社 峯本社(立山 頂上)

・雄山神社 祈願殿(立山町芦峅寺)

・雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺)

・熊野神社〈前立社壇の元鎮座地〉

特殊神事「築山行事つきやまぎょうじ県の無形民俗文化財〉について

この特殊神事は 明治期に休止となりました 1956年(昭和31年)復活しました

境内の三本杉の前に「築山」と呼ばれる三つの祭壇が築かれて 日吉社(摂社)二上大神 院内社(摂社)の三神を祀るもので 一年の豊作を祈る古代信仰の形態とされています

この行事は
石川県では 能登にある石動山(せきどうざんいするぎやま)に鎮座する
伊須流岐比古(いするぎひこ)神社でも祭事が行なわれていました 明治期に廃絶しました

・伊須流岐比古神社(中能登町石動山)


富山県では 当社 二上射水神社と 射水市の放生津八幡宮で 祭されるだけで 全国的にも珍しい神事とされます 
この3ケ所の神社の神から放生津の「足なし」二上山の「手なし」石動山の「口なし」と呼ばれていたと伝わります

富山県指定無形民俗文化財
二上射水神社の築山行事
昭和五十七年一月十八日指定

 古代信仰では、神は天上にあり、祭に際して降臨を願うものとされた。この行事は毎年四月二十三日二上射水神社の春祭に行なわれる。境内の三本杉と呼ばれる大杉の前に、社殿に向って築かれる臨時の祭壇は、幅四間、奥行三間、上下二段になっており、上段中央に唐破風の簡素な祠が置かれ、その前に日吉、二上大神、院内社三神の御霊代である御幣が立てられる。屋根の上には斧をかざした天狗が立ち下段には甲冑に身を固めた四天王の藁人形が置かれ、祭壇のまわりは造花 で飾られる。


 祭礼の前日の夕刻、頭屋にあたる山森氏(御幣ドン)と神主が二上山頂にある奥の御前の日吉社から御幣に神を迎える。一夜自宅で お護りし翌日築山に移す。院内社は祭の当日迎えられる。
 祭儀は、午後二時から行なわれ社殿で例大祭の儀式が済むと三基の神輿が巡行する。ゲンダイジンを露払いに、御幣ドン、神主が続きその後院内社、二上大神、日吉社の神輿が続く、途中で院内社の神輿だけが一旦鳥居の外に出て、戻って二上大神と日吉社の間に割って入る。これを「院内わりこみ」という。その後、築山の前と天の真名井の前で祝詞が奏上さ れ、本殿の前に戻って儀式が終る。祭儀が終ると築山はただちに解体され片付けられる。遅れると神様が荒れるという。


 この行事は、天上から臨時の祭壇に神を迎える古代信仰を本義を良く残している。又動かぬ築山がやがて動く曳山へと発展していったと考えられており高岡御車山の原初形態を知る上でも貴重である。又社殿の神事と古代信仰の築山神事の二重の神事を同日に行なっている点も興味深い。

平成28年9月20日 富山県教育委員会 高岡市教員委員会

境内案内板より

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

高岡駅から 県道255号経由北上 約5.6km 車13分程度

社頭には 社号標には「越中総社 射水神社」とあり朱色の両部鳥居が建ちます
二上射水神社Futagamiimizu Shrine)に参着

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参拝日は9月24日で 参拝者がとても多くいらしゃいました 参道を進みます

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長い参道の先に階段があり 少し高い社地に 大きな社殿が建っています

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿向かって左には重要文化財の「木造男神坐像」が安置されています 普段は見ることが出来ませんが 4月23日の築山行事で一般公開されるようです お詣りをします

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境内の社殿の向かって左手には 資料館と築山収蔵庫が並んで建ちます

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こちらから 社殿を眺めると 立派な社殿の様子が良くわかります

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社殿に再度一礼をしてから 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)〉に記される伝承

二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳

宝亀11年(780)12月 甲辰の条

越前国(エチゼンノクニ) 
丹生郡(ニウノコオリ) 大虫神(オオムシノカミ)

越中国(エッチュウノクニ)
射水郡(イミズノコオリ) 二上神(フタガミノカミ)

砺波郡(トナミノコオリ) 高瀬神(タカセノカミ)
並(ナラビ)に 叙(ジョス) 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』』延暦16年(797年)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

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『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承

今 越中の国 射水郡(いみずのこおり)の伊弥頭(いみづの)国造(くにのみやつこ)について 記されています

【意訳】

巻第十 国造本紀

伊弥頭(いみづの)国造(くにのみやつこ)

※今 越中の国 射水郡(いみずのこおり)

志賀高穴穂朝〈第13代 成務天皇(即位131~190年頃)〉の御世に
宗我(そが)と同祖・建内足尼(たけしうちのすくね)の孫 大河音足尼(おはをとのすくね)を 国造に定められた

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

越中国(エッチュウノクニ)の高瀬神社と雄山神社と共に 二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

延暦14年(795)8月 壬午の条

越中国(エッチュウノクニ)
高瀬神(タカセノカミ)
雄神(ヲノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
叙位(ジョイ) 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047774&ID=M2019041909454036553&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和7(840)9月 辛丑の条

奉(タテマツリ)授(サズク)
越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
砺波郡(トナミノコオリ) 高瀬神(タカセノカミ)
射水郡(イミズノコオリ) 二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 従4位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』〈元慶3年(879年)完成〉に記される伝承

越中国(エッチュウノクニ)の高瀬神社と共に 二上神(フタガミノカミ)として 神階の奉授と 把笏(ハシャク)の許可があった事が記されています
古代に笏を把る把笏を許されたのは 伊勢神宮と諸大社の神職のみです

【意訳】

斉衡元年(854)3月 辛卯の条

越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 加(クワフル)に 従3位

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斉衡元年(854)12月 戊寅の条

越中国(エッチュウノクニ)従4位下 
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
等の 禰宜(ネギ)祝(ホウリ)
並(ナラビ)に預く 把笏(ハシャク)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

日本の中心的な神々267社に神階を授ける中に 越中の国に高瀬神(タカセノカミ)二上神(フタガミノカミ)に神階の奉授が記されていま

抜粋意訳】

貞観元年(859正月27日(甲申)の条

京畿7道の諸々の神々に進階 及び 新叙す 総267社 奉授く
・・・
越中国(エッチュウノクニ)従3位
高瀬神(タカセノカミ)
二上神(フタガミノカミ)
並(ナラビ)に 正3位 

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抜粋意訳】

仁和2年(886)12月18日(壬戌)の条

越中国 新川郡 擬大領 正7位上 伊祢頭臣(イミズノオミ) 貞益以て 私物助官用代済公仍て授に借外 従5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

江戸時代であり 遷座前の二上射水神社について 記しています

【意訳】

射水(イミツノ)神社

旧事記 国造本紀 志賀高穴穂朝〈第13代 成務天皇(即位131~190年頃)〉の御世に
宗我(そが)と同祖・建内足尼(たけしうちのすくね)の孫の大河音足尼(おはをとのすくね)を国造に定められた伊弥頭造 志賀高穴穂朝御世 宗我同祖 建内足祢孫 大河音足尼 定賜国造

三代実録 仁和2年(886)12月18日(壬戌)の条・・従5位下
新校(万葉)に 二上山に在り 射水郡 二上神 若射水神社 乎 この郡 大一座 当社 弥不分明可考 今 二上神の位階記すなり

続日本紀
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
日本紀略
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
続日本後紀
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇実録
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
斉衡元年(854)12月 戊寅の条・・把笏の預く

22社注式奥入 射水神社 今 二上宮 宝亀3年12月2日 二上神 従5位上 その後 度々 正1位なり
神祇祭式 古本 名神大 又 一本に在る神なるへし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

高岡城址地に遷座する前年の出版です
祭神は不詳 式内社の名神大と記されています

【意訳】

射水神社 名神大

射水は 郡名に同じ〈伊三豆と訓ずべし〉

〇祭神 詳らかならず
〇二上山麓に在す 土人説 古今 二上明神と称す
〇式三巻 名神祭285座 中略 越中国 射水神社一座

神位
続日本紀
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
日本紀略
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
続日本後紀
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇実録
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
日本三代実録
貞観元年(859正月27日(甲申)の条

社職 把笏
文徳天皇実録
斉衡元年(854)12月 戊寅の条・・把笏の預く

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

『延喜式』写本では「出雲本」において 名神大社と記載されています ここでも名神大とされています 祭神は社伝に従い 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)としていますが 本来は良くわからないとも記されています

【意訳】

射水神社 名神大

祭神 瓊瓊杵尊(二上ノ神)
今 按〈考えるに〉
社伝の祭神は右の如し
一説に射水は忌水の義にて 天二上命の水取の故事に由あり 但し 射水神とも二上神とも云えば 天二上命ならんと云えど確証なければ 社伝に従えり

国人の説を聞くに 射水神社と唱える社と二上神社とは別にありて 射水神は射水川により 二上神は二上山によれるなりと云えば 射水神と二上神は同神と云うも証なくては信じがたいが 今姑く 明細帳 神社覈録に従い記し 以って後考に備ふ

神位
光仁天皇
宝亀11年(780)12月 甲辰の条・・従5位下
桓武天皇
延暦14年(795)8月 壬午の条・・従5位上
仁明天皇
承和7(840)9月 辛丑の条・従4位上
文徳天皇
斉衡元年(854)3月 辛卯の条・従3位
清和天皇
貞観元年(859正月27日(甲申)の条

祭日 今 3月8日 8月23日
社格 國幣中社
所在 二上山麓 二上村 字谷内(高岡市定塚町本丸)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

二上射水神社Futagamiimizu Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る        

 

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