小野神社(多摩市)

小野神社は 『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)所載の論社です 式内社の小野神社は 武蔵国一之宮ともされています ただし 多摩川を挟んで南北に各々に小野神社が鎮座しており 当神社は南岸で もう一方は 北岸にあたる府中市に鎮座します これは多摩川氾濫を繰り返し 都度 遷座繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があり本社とし 南岸は分祠であるとも云われています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

小野神社(Ono Shrine)
(おのじんじや)

 [通称名(Common name)]

一宮様(いちのみやさま)

【鎮座地 (Location) 

東京都多摩市一の宮1-18-8

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天下春命Ameno shitaharu no mikoto)
   瀬織津比咩Seoritsuhime no mikoto)

《配》伊弉冉尊 素戔嗚尊 大己貴大神 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 倉稲魂命

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 武蔵国一之宮Musashi no kuni ichinomiya)

【創  (Beginning of history)】

・社伝に 第3代 安寧天皇〈即位BC 548~BC 511年頃〉即位182月初の日 御鎮座と伝えられます

安寧天皇十八年二月、国造の兄武日命が祖神を祀り創建された。「延喜式神名帳」所載の多摩郡八座の一社である。八回におよぶ代々将軍家より御朱印十五石を賜る。以前は一ノ宮大明神と称されていた。

東京都神社庁HPより
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minamitama/tama/5776/

【由  (History)】

御由緒

当社は安寧天皇一八年二月初末の日御鎮座と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を主神として御奉祀申し上げて居る由緒ある神社である。御社名は上代此地の呼び名であった小野の郷に由来するものであるが其の霊験の灼かなる神社としてやがて朝廷の上聞にも達せられ数々の奉幣にも預かり元慶八年七月には正五位上の神階を授けられた。又、廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。且つ国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。稍時代も下り安居院の神道集並に深大寺の僧長弁の私案抄を尋ねると当社は中世以来文珠菩薩を本地となした信仰も行われていた。斯くなる所此の近在は鎌倉末より戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫があり当社にも多大の被災が及び衰微したが徳川二代将軍により造営再興された。
其の棟札に曰く

一宮正一位小野神社造営再興
慶長十四年十二月廿六日
当将軍源朝臣秀忠公

神主 新 田 大 炊 介 守 忠
   太田太郎左衛門久忠

小野神社公式HPより
http://onojinja.or.jp/about.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

社殿左手奥の境内社 合殿に12柱の神々が奉斎

伊勢神宮内宮《主》天照皇大神伊勢神宮外宮《主》豊受皇大神三嶋大社《主》事代主命八坂神社《主》須佐之男命愛宕神社《主》軻遇突智命安津神社《主》日本足彦国押人命日代神社《主》大足彦忍代別命鹿島神宮《主》武甕槌命子安神社《主》木花開耶姫命嚴嶋神社《主》市杵島姫命方便神社《主》塩土老翁命

秋葉神社《主》火之迦具土大神

稲荷神社《主》保食神

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

堰宮神社《主》水分神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 小野神社
[ふ り が な ] をのの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Wono no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
武蔵國 多磨郡 小野神社」は 2つの神社が論社になっています

・小野神社(府中市)

小野神社(多摩市)

武蔵国の一之宮とされる神社は 2系統で4神社あります

武蔵国一之宮について
前記の小野神社の系統2神社と氷川神社の系統2神社です

一般には 大宮(さいたま市)の氷川神社と氷川女体神社が 武蔵国一之宮とされています

小野神社の系統に関しては
武蔵国府跡(府中市)鎮座している武蔵国総社大國魂神社(江戸時代までは武蔵国の一之宮から六之宮の祭神を祀るので六所明神と称」で 一之宮としての祭神は 小野神社を祀っていることに由来します

古代に武蔵国東部は 无邪志国(ムザシノクニと呼ばれ 无邪志国造(むざしのくにのみやつこ)が支配する地域でした

やがて 7世紀无邪志国知々夫国(秩父地方)が統一されて 令制国の武蔵国(ムサシノクニ)が誕生したとされます
この
際に氷川神社が 武蔵国一之宮になったとする説もあります しかし諸説あって定かではありません

・大宮氷川神社(さいたま市)


・氷川女体神社(さいたま市)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

聖蹟桜ヶ丘駅から 小野通り経由 西へ約850m 徒歩10分程度
参道を進むと 境内の西側に大鳥居と社号標「武蔵一之宮 小野神社」が建ちます
小野神社(Ono Shrine)に参着

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大鳥居の先には 狛犬が構え 隋神門が建ち 参道は緩やかな弧を描くように朱色の社殿に延びています 一礼をして 鳥居と隋神門をくぐります

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随身門をくぐり 参道の左脇には稲荷社(保食神)が一座 鎮座しています
境内は 大きな木々が周囲に生えていますが 広々としています

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ゆっくりと参道を進み 拝殿へ向かいます 

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拝殿の扁額には「武蔵国一之宮 小野神社」と刻まれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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朱色の拝殿の奥には 同じく朱色の本殿が建ちます

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参拝者が正中を歩かないように配慮された 緩やかな弧を描く参道を戻ります

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西日の射す境内から 神門 鳥居とくぐり抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

武蔵国と上総国の神々と共に 神階の奉授が記されています

【意訳】

元慶8年(884年)7月15日 癸酉(ミズノトトリ)の条

授くに

武蔵国
正5位下 勲6等 畔切神に 従4位下
従5位上 小野神(オノノカミ)に 正5位上

上総国
正4位下 勲5等 玉崎神に 正4位上
正5位下 勲5等 姉崎神 福神 飯富神に 正5位上
正6位上 建市神 田原神に 並びに 従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社の小野神社について 所在の特定については 記していません

【意訳】

小野(ヲノ)神社

三代実録 元慶8年(884年)7月15日 癸酉の条・・・正5位上

総 風 神社 圭田56束3字田 所祭 瀬織津比咩なり 垂仁天皇3年甲牛始行に祭礼有 神戸巫戸等
古事記 天押帯日子命 者 小野臣之祖なり
和抄 小野 乎乃
拾芥 年中行事 8月20日  牽 武蔵小野御馬

一遍上人繪詞 乾元々年秋の比 武州浅堤と云う処にオハシケルニ 又 小野神社 神主 実信 その時出家 法名願河 進状云う云々 禰宜 安重云々とあり事は佛に揺たる「ニヲ云フニタラネト 当時サル人ハアリシニ考ノ一助ト云ベシ」

式考 府中一宮にあり 五日市村より 辰巳の方の御朱印15石 今 一宮大明神 祭神 武蔵国造の兄武日命 祖神 神主新田氏
武話 当郡 本宿村に小野宮と云う処あり 即ち 小野神祠あり
地考 総社 府中六所明神の縁起に云う 本殿は大己貴尊 相殿は”イザナギ”スサノヲ”ニニギ”大宮賣命 布留大神の社領500石 神主 猿渡氏 祭礼5月5日
東鏡 治承6年8月11日 武蔵六所宮へ 葛西三郎を連れたる司あり この辺りを小野里と云う これ多摩郡 小野神社なるへし

〇信友云う 惣国風土記に 府中 或いは 小野 或いは 小川

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『江戸名所図会(Edo meisho zue)』〈18364~1836〉に記される伝承

式内社「小野神社」について
現 府中市の小野神社を「小野神社」と記しています
現 多摩市の小野神社を「一宮大明神社」と記しています

府中には 小野神社の旧跡として 小野宮村に祠があり 多摩川の南岸〈多摩市〉から 府中に通じる「神道」と呼ばれる道が通じていて 遷座の時の道であるとしています

【意訳】

小野宮村
陣街道を隔てて 分倍(ぶばい)より艮(うしとら)に当る・・・・・・・・・

小野神社 旧趾
小野宮村 陣街道の右にあり 今終に叢祠を存するのみ六所宮の条下に詳らかに合わせたく

小野神社
社記に云う 当社の祭神を上古は 瀬織津姫命一座なりと 一宮下春命を遷座なり奉り 又 倉稲魂命を配祀して 小野神社3神となしまならせし事は その時 世知るべからず 最旧社なるを以って 成務天皇5年乙亥の秋 諸国に命じて国都に造長を置給う時 兄多毛比命(えだもひのみこと)も詔(みことのり)を奉り 当国の国造として この地に至り 小野縣を開き給いしより後 崇敬厚く 再び当社の御神を六所宮の相殿に遷しまいらせたりとなり(六所

宮に客来三所とするものは即ち是なり 下春命は後に遷座の御神なれども 却て これを尊み祭しとおぼしく 六所宮にても客来三所の内 下春命を第一とせり)志かありしより 僅かに芽祠一宇を存して 
その旧址を標るのみなりといへども 実に千載の古を想像つくづく
・・・・2000余歳の想あり

神道
多摩川の南一宮より この地 小野神社へ通じる田畝の経路を云う
古(いにしえ)の 一宮御神より小野へ遷幸の時の旧路にして 
中古は 一宮の祠官 この道を経て小野社(オノノヤシロ)に至り 然して後 六所宮へ来りしとあり 
その頃は 一宮より空輿(カラコシ)を昇来れるにより 小野宮邑の里民を挙げて多摩川の岸頭まで送り迎えせしより一宮祠官の口碑に伝う

一宮大明神社
百草八幡宮より15~16町 北の方 多摩川の南岸 一宮村にあり 六所宮よりは 西南一里あまりを隔つ
祠官 新田氏 大田氏 両家より奉祀を 祭神は 天下春命なり 後 瀬織津姫命 及び 稲倉魂大神を合祭して三神一社三扉とす 祭神は今は小野神社と同じ・・・・・・・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『江戸名所図会』選者:斎藤長秋/画家:長谷川雪旦 20冊 刊本(後修)天保05年~刊本(後修),天保07年 旧蔵者 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002802&ID=M2017051812072139297&TYPE=&NO=

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社 小野神社の所在を 現 府中市の小野神社としています

【意訳】

小野神社

小野は 乎乃と訓ずべし
和名抄 郷名部 小野

〇府中市本宿村字小野に在す 地名記
〇惣国風土記 七十七残缺云 武蔵国 多摩郡 小野神社 圭田56束3字 田 所祭 瀬織津比咩なり 垂仁天皇3年甲牛 始行に祭礼有 神戸巫戸等
〇拾芥抄 年中行事條に云う 8月20日 牽 武蔵小野御馬
武蔵野地名考に 府中総社 六所明神なり 縁起に云う 本殿は 大己貴尊 相殿は 伊弉諾尊 素戔嗚尊 瓊瓊杵尊 大宮賣命 布留大神なり この辺りを小野里と云う これ 小野神社なるべし

伴信友云う 惣国風土記に 府中 或いは 小野 或いは 小川と云えり
式社考には 府中一宮村 今 一宮大明神と称す 祭神は 武蔵国造の兄武日命 祖神と云えり
地名記に 祭神 下春命と云えり

〇伴信友云う 一遍上人繪詞 乾元元年秋の比 武州浅堤と云う所におはしけるに 又 小野神社 神主 実信 この時出家 法名願河 進状云々 禰宜 安重云々とあり 考の一助とすべしと云えり

神位 三代実録 元慶8年(884年)7月15日 癸酉の条・・・正5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社 小野神社の所在を 考えた末に 現 多摩市の小野神社とした と記しています

【意訳】

小野神社

祭神
今 按〈考えるに〉
社伝に武蔵国造 兄多毛比命 その祖神 下春大神を祭るとあれど 天下春命は 武蔵国造ならねば如何あらん 実は武邪志国造 兄多毛比命をかく誤り伝えたるかとも思われるど 小野神とあるに拠らば 近江志賀郡 小野神社と同神にて 天帯彦国押人命を祭れるにあらん

神位 陽成天皇 元慶8年(884年)7月15日 癸酉の条・・・正5位上
祭日 2月初未日 5月5日
社格 郷社

所在 一宮村 字外馬楊 西多摩郡 多摩村 大字 一宮
今 按〈考えるに〉
神社覈録に武蔵地名考に云う 府中惣社 六所明神なり云々 この辺り小野里と云う この小野神社なるべしと云えど 惣社は今も総社と云いて 式内の神社にはあらず 注進状に本宿村の内 字 小野宮に小野神社ありと云えど一宮村に小野神社ありて 伝説に 往古 多摩郡本宿村の小野宮と云う所に鎮座ありしを 水害に依りて当地に遷され 村を一宮と称すとみえ
私案抄に載せたる正長2年(1429)の文書に一宮小野大明神の文あり 安居院神道集に六所宮のことを云いて「一宮は小野大明神と申す」とみえ
武蔵惣社誌に この御社は国府の西南一里ばかり玉河を隔てて 多摩郡一宮村に鎮座て一宮小野大明神と申すとあるによりて一宮村と決めたり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

式内社の所在については「されど式の小野神社 所在に就きては 尚 諸説一定せず 記して 後考に備う」との説も記しています

【意訳】

東京都 武蔵国 南多摩郡 多麻手村 大字 一ノ宮村 字 居村

郷社 小野神社

祭神 下春(アメノシタハルノ)

当社は 安寧天皇の18年2月鎮座せし由 社伝に見える 又 一に一ノ宮明神社と称し 配祀5座 伊弉諾尊 大己貴命 素戔嗚尊 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊ありと 蓋し式内社に小野神社あり
神社志料に「今 小野路村の西北 一宮村にり 光孝天皇 元慶8年7月 癸酉 従5位上 小野神に正5位上を授く 三大実録」と見え
式内社考に「府中一宮村 今 一宮大明神と称す 祭神は 武蔵国造の兄武日命 祖神と云えり」と云えり
新編武蔵風土記稿に 社地は元玉川の河原にして 是(これ)へ移り志しは後世の事と思わる 近郷 百草村(モグサムラ)は 山に沿いたる地にして 彼所なる寺院 松蓮寺に蔵する 建久4年の銘を刻せし経筒を見るに 一宮 別当 松蓮寺と記せり さればその時代には 松蓮寺は当社の別当職たりしこと分明なり 慶安年中 御朱印を賜り 村内にて15石の社領を附せられる
享和年中に小野の古祠たる由を考証せる古碑を建つ 
されど式の小野神社 所在に就きては 尚 諸説一定せず 記して 後考に備う
江戸名所図会に云く
「小野神社 旧趾 小野宮村 陣街道の右にあり 今終叢祠を存するのみ
社記に云う 当社の祭神を上古は 瀬織津姫命一座なりと 一宮下春命を遷座なり奉り 又 倉稲魂命を配祀して 小野神社3神となしまならせし事は その時 世知るべからず 最旧社なるを以って 成務天皇5年乙亥の秋 諸国に命じて国都に造長を置給う時 兄多毛比命(えだもひのみこと)も詔(みことのり)を奉り 当国の国造として この地に至り 小野縣を開き給いしより後 崇敬厚く 再び当社の御神を六所宮の相殿に遷しまいらせたりとなり(六所

宮に客来三所とするものは即ち是なり 下春命は後に遷座の御神なれども 却て これを尊み祭しとおぼしく 六所宮にても客来三所の内 下春命を第一とせり)志かありしより 僅かに芽祠一宇を存して その旧址を標るのみなりといへども 実に千載の古を想像つくづく」とあり
明治6年11月郷社に列す 社殿は 本殿一宇にして 境内1155坪あり

境内神社 秋葉神社 伊勢神社 鹿島神社 三島神社 厳島神社 安津神社 子安神社 方便神社 日代神社 愛宕神社 八坂神社 稲荷神社

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

小野神社(Ono Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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