石見国 式内社 34座(並小)について

石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 石見国 34座(並小)の神社です

石見国(いわみのくに)について

石見国Iwaminokuniは  令制国の一つ〈山陰道に属する
現在の島根県西部(石見地方

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大和王朝第10代 崇神天皇の御代)による出雲国侵攻と同時 石見国造(いわみのくにのみやつこ)が設置されます
石見国造支配領域は 7世紀 律令制石見国に引き継がれます

8世紀初め 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が 石見國の掾(じょう)国司の第三等官として赴任したと伝わります

南北朝時代には正平年間 (1346~70) 大内氏が守護

次いで
石見銀山が発見
14世紀に発見されると 足利直冬が領有した
戦国時代には大内・小笠原・尼子・毛利らの諸大名の間で争奪され 毛利氏の所領となった しかし 豊臣秀吉公がこれを直轄 江戸幕府も直轄領とし銀山奉行をおいて経営した
石見銀山は 17世紀前半最盛期を迎え
江戸時代の石見銀山領浜田藩津和野(つわの)藩に3分された

慶応2年(1866)長州再征の時 親藩浜田藩は 長州軍攻撃を受け 占領される

明治2年(1869)銀山領 浜田藩は 隠岐(おき)県とともに大森県となる
明治3年(1870)大森県は 浜田県と改称
明治4年(1871)廃藩置県 津和野藩が編入 まもなく隠岐が移管され石見一円が 浜田県とな
明治9年(1876)浜田県は 島根県に編入合併

石見国(いわみのくに) 34座(並小)

小社34座 34社

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
安濃(あの)迩摩(にま)那賀(なか)邑智(おおち)美濃(みの)

目次

安濃郡(あのの こおり) 10座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

物部神社(もののへの かみのやしろ)

・物部神社(大田市)石見国一之宮

苅田神社(かむたの かみのやしろ)

刺鹿神社(さすか かみのやしろ)

朝倉彦命神社(貞)(あさくらひこのみことの かみのやしろ)

新具蘇姫命神社(にひくそひめのみことの かみのやしろ)

迩弊姫神社(にのへひめの かみのやしろ)

佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)

・佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)

・佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)

・高田八幡宮〈相殿の佐比賣山神〉(大田市三瓶町)

・八面神社(大田市三瓶町)

・三瓶山神社(大田市三瓶町)

・本宮神社〈境内社 八面神社〉(大田市三瓶町上山)

野井神社(のヰの かみのやしろ)

静間神社(しつまの かみのやしろ)

神邊神社(かむへの かみのやしろ)

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迩摩郡(ちかま こおり) 5座(並小)

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城上神社(きかみの かみのやしろ)

山邊八代姫命神社(貞)(やまへのやしろひめのみことの かみのやしろ)

霹靂神社(貞)(ひやくらくの かみのやしろ)

水上神社(貞)(みつうへの かみのやしろ)

國分寺霹靂神社(貞)(くにわけてらの ひやくらくの かみのやしろ

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那賀(なかの こおり)郡 11座(並小)

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多鳩神社(たはとの かみのやしろ)

津門神社(つとの かみのやしろ)

伊甘神社(いかむの かみのやしろ)

大麻山神社(おほまやまの かみのやしろ)

石見天豊足柄姫命神社(いわみあめとよたりからひめの かみのやしろ)

大祭天石門彦神社(おほまつり あめいはかとひこの かみのやしろ)

大飯彦命神社(おほいひひこの かみのやしろ)

櫛色天蘿箇彦命神社(くしいろ あめのこけつひこのみことの かみのやしろ

大歳神社(おほとしの かみのやしろ)

山邊神社(やまへの かみのやしろ)

夜須神社(やすの かみのやしろ)

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邑智郡(をふちの こおり) 3座(並小)

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天津神社(あまつの かみのやしろ)

田立建埋根命神社(貞)(たたてたけほりねのみことの かみのやしろ)

大原神社(貞)(おほはらの かみのやしろ)

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美濃郡(みのの こおり) 5座(並小)

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菅野天財若子命神社(貞)(すかのの あめのたからわかひこのみことの かみのやしろ)

佐毘賣山神社(貞)(さひめのやまの かみのやしろ)

染羽天石勝命神社(貞)(しみは あまいはかつのみことの かみのやしろ)

櫛代賀姫命神社(貞)(くししろかひめのみことの かみのやしろ)

小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)

山陰道に鎮座する 560座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る 

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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