香取神宮 奥宮(香取市)

香取神宮 奥宮(おくのみや)は 御祭神として 経津主大神の荒御魂を祀ります 香取神宮の境内域は「亀甲山(かめがせやま)」と呼ばれる台地に鎮座していて その頂上付近を通る香取神宮の旧参道の中程に 奥宮鎮座しています 現在の社殿は 昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るものです

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

香取神宮 奥宮(Katori Jngu Okunomiya)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県香取市香取(宮中)1679

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》津主大神 荒御魂(ふつぬしのおほかみ あらみたま)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

荒ぶる魂(みたま)は邪気を払い 霊妙(れいみょう)な神気のもと 開運 厄除 心願成就の加護

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の奥宮

【創  (Beginning of history)】

香取神宮 摂社 奥宮(おくのみや)

【御祭神】 経津主大神 荒魂(ふつぬしのおおかみあらみたま)

【例祭日】 三月十日

奥宮は本宮御祭神の荒々しく勇猛な側面である「荒魂」をお祀りしています。
社殿は、昭和四十八年、伊勢の神宮にて行われた御遷宮の際の古材に依るものです。

 香取神宮社務所

朱印受領の配布紙より

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【由  (History)】

香取神宮 奥宮

御祭神の荒御魂(あらみたま)は、勇武果敢(ゆうぶのかん)に円満調和なる和魂(にぎみたま)の支柱(ささえ)となっている。
また荒ぶる魂(みたま)は邪気を払い、霊妙(れいみょう)な神気のもと、破邪顕正(はじゃけんしょう)の働きも活発に開運 厄除 心願成就の加護を得られます。

現地立札より

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奥宮(おくのみや)

香取の宮中、旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。

香取神宮公式HPより
https://katori-jingu.or.jp/guide/

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

香取神宮(香取市)の境内社・境外社の記事をご覧ください

香取神宮(香取市)の境内社境外社

 

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

本宮

・香取神宮(香取市)下総国一之宮

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『続日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

神階の奉授について 記しています

【抜粋意訳】

宝亀八年(七七七)七月乙丑十六日〉の条

○乙丑 内大臣従二位藤原朝臣良継病 叙其氏神 鹿嶋社 正三位 香取神 正四位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『続日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

承和三年承和六年の条では 香取神と鹿島神に並んで 天児屋根命比売神〈枚岡の神〉の四所大神として 神階奉叙が記されています

承和十年の条では 神職の把笏について記されています

【抜粋意訳】

承和三年(八三六)五月丁未日〉の条

○丁未 奉授
下総國 香取郡 從三位 伊波比主命 正二位
常陸國 鹿嶋郡 從二位勳一等 建御賀豆智命 正二位
河内國 河内郡
從三位勳三等 天兒屋根命 正三位
從四位下 比賣神 從四位上

(みことのり)に(いわく)
皇御孫命(すめみまのみこと)〈爾〉坐(まします)
四所大神(しところのおほかみ)〈爾〉申〈波久〉。大神(おほかみ)(たち)〈乎〉彌高(いやたか)〈爾〉彌廣(いやひろ)〈爾〉仕奉(つかふまつれ)〈止奈毛(となも)〉思(をほ)〈保志〉食(めす)。是以件等(かふり)〈爾〉上獻状(あくたてまつるかたち)〈乎〉

・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

【抜粋意訳】

卷八 承和六年(八三九)十月丁丑廿九日〉の条

○丁丑 
(まします)下総國 香取郡 正二位 伊波比主命
(まします)常陸國 鹿嶋郡 正二位勳一等 建御加都智命 並從一位
(まします)河内國 河内郡 正三位勳二等 天兒屋根命 從二位
從四位上 比賣神 正四位下
・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

下総國 神税について 正一位勳一等 香取神社 と記されています

【抜粋意訳】

四十二
元慶六年(八八二)十二月九日丁未〉の条

○九日丁未 下総國 神税 稻五千八百五十五把九分四毫 充造 正一位勳一等 香取神社 雜舎二十(ひと)(なれば)(なり)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

名神祭 二百八十五座
・・・
・・・

香取神宮 一座 下総国
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総国 11座(大1座・小10座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)香取郡 1座(大)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 香取神宮(名神大 月次新嘗)
[ふ り が な ](かとりの かむのみや)
[Old Shrine name]Katori no Kamunomiya

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

剣術三大源流の一つ 香取神宮に発祥したと伝わる 剣術〈神道流〉について

近世において 武士の武芸を牽引主導したのは剣術です 

中世後期の剣豪3名〈愛洲移香(あいすいこう)・飯篠長威斎(いいざさちょういさい)・中条兵庫頭(ちゅうじょうひょうごのかみ)〉が 始祖として そ流派には大きくつの系統がありました

一つは陰流

愛洲移香が 創始した陰流を源流とする系統
この陰流を学んだ上泉伊勢守が たな陰流という意で 新陰流創始した
この新陰流上泉に試合を挑み敗れて弟子なったのが 柳生宗厳(やぎゅうむねよし)で 柳生家新陰流を継承した
よく柳生新陰流or新陰柳生流と云われる 正式名称は新陰流

一つは神道流

飯篠長威斎が 創始した神道流を源流とする系統
この神道流は香取神宮とゆかり(香取神道流)
(香取神道流)とは別に 鹿島神宮を中心としてた鹿島の太刀と称する流派鹿島神宮の神官たちが習い伝えてきたもの鹿島上古流(かしまじょうこりゅう)鹿島中古流(かしまちゅうこりゅう)があ
剣豪として名高い塚原卜伝は 鹿島神宮の神官であった吉川家に生まれ 鹿島の太刀を習い育ちます 次男であった卜は 塚原家に養子に行くと 養子先の養父から 今度は(香取神道流)を習います
塚原卜伝は 剣術三大源流の一つである(香取神道流) 鹿島に伝わる剣術を合せ 新たな流派を作りました これを新当流と呼びます
飯篠長威斎の(香取神道流) 鹿島の太刀の系統を融合させた 塚原卜伝の新当流には 神道的な宗教色を帯びながら発生して展開したとされます

一つは中条流

中条兵庫頭長秀(ちゅうじょうひょうごのかみながひで)が創始した中条流を源流とする系統
この中条流系統を受け継ぐのが 伊藤一刀斎(いとういっとうさい)が創始した一刀流で

奥宮 手前にある 剣術〈神道流〉の始祖「飯篠長威斎」の墓

奥宮すぐ手前には 剣術〈神道流〉の始祖「飯篠長威斎」の墓が祀られています

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香取神宮の

剣聖と謳われる剣豪飯篠長威斎は 心願成就を祈り、神宮の森深く修行し 我國で始めて剣の道を確立した始祖にあたります。

将に名にしおう天真正伝香取神道流発生の地です

現地案内板より

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千葉県指定史跡

天真正伝神道流始祖 飯篠長威斎墓
(てんしんしょうでんしんとうりゅうしそ いいざさちょういさい のはか)

天真正伝神道流(香取神道流)は、室町時代に形成され、以来、中条流・影久流・鹿島神道流などが誕生し、わが国最古の権威ある流儀として知られている。
始祖である飯篠長威斎家直は、旧飯笹村(現、香取郡多古町飯篠)に生まれ、後に、旧丁子(ようろご)村山崎(現、香取市)に住み、香取神宮境内の梅木山不断所で、剣法の奥義を極めたと伝えられている。
 一時、将軍足利義政に仕えたが、帰隠し、長享二年(1488)四月十五日没した。
 墓碑は緑泥片岩であり、上部を欠き、高さ九一センチ、幅四九・五センチで、「飯篠伊賀守長威大覚位」の影刻がある。

昭和五十八年二月一日 千葉県教育委員会 香取市教育委員会

現地掲示より

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

香取神宮の総門から 道を西へ約200m 徒歩4分程度

この道は旧参道で 岩立(いわたて)と云う神懸かる店名をもつ酒屋さんの横の道を左へと 森の中に入ると 奥宮の御朱印授与所あり 手水舎もあります

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通常の場合 神社の奥宮位置は 本社〈本殿〉から奥深鎮まる所 神体山の頂上などにあるのが一般的で
ところが 香取神宮の奥宮は ここが旧参道であるならば 本社〈本殿の社殿より手前にあることになります
つまり旧参道の しかも本殿の手前に「奥宮」が鎮座しています 通常では考えられない位置関係だと想います

香取神宮とその境内は「亀甲山(かめがせやま)」と呼ばれる台地にあり
奥宮は この台地の頂上付近の こんもりと盛り上がった古墳のような場所に鎮座する為に 奥宮と呼ぶのか?

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それとも 奥宮と本社中間辺りに「要石」あり 「亀甲山」の磐座としての要石を祀るものなのか?

そう言えば 鹿島神宮の奥宮も やはり御手洗池の側からの旧参道の途中 本社〈本殿〉の手前にあり 「要石」を祀る位置にあります

興味は尽きないです

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香取神宮 奥宮(香取市)に参着

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石段を上がると 注連縄が懸かる木の鳥居があり 一礼をして 砂利の参道を進みます

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本殿にすすみます 奥宮の立札があります

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透塀に囲まれて社殿があり 正面に拝所が設けられています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の脇には 御神木のような大木が聳え 厳かさを感じます

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

平安初期までの大和朝廷は 東国の蝦夷(えみし)を制圧し 古代日本の中央集権体制を目指し 東北の開拓に乗り出します
香取神宮・鹿島神宮 奥州開拓の拠点でした その苗裔神(びょうえいしん)御子神(みこがみ)〉は 奥州各地の水上交通の拠点に祀られました

・香取・鹿島の苗裔神(びょうえいしん)について

 

春日大社の創建について

神護景雲元年(西暦767年)御分霊を神鹿の背に乗せ 藤原氏は氏神である鹿島・香取の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日大社を創建しました

・春日大社(奈良市春日野町)

香取神宮 奥宮(香取市)に (hai)」(90度のお辞儀)

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東国三社〈・鹿島神宮・香取神宮・息栖神社〉について

東国三社の位置関係は 案内板の通りです

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東西に一直線に並ぶ〈大戸神社・香取神宮奥宮・息栖神社の3社

香取神宮は 経津主命(ふつぬしのみこと)を祀ります

・香取神宮(香取市)下総国一之宮

・〈経津主大神の荒御魂(あらみたま)を祀る〉香取神宮 奥宮(香取市)

大戸神社は 『香取郡誌』〈明治33年8月(1900)〉に 天鳥船命を祀るのでないか? と記されています

清宮秀堅曰く
出雲国造神賀詞に天鳥船命 布津努志命 乎副天降遣天 云々とあり
此神固と香取神を共に大節を握り天下を平定したるものなり
然るに其胴の香取神宮近隣の地より鳥船命を祀れるものに非るか

『香取郡誌』〈明治33年8月(1900)〉より

大戸神社(香取市大戸)

息栖神社(いきすじんじゃ)鹿島神宮 摂社は 相殿に天乃鳥船神祀ります

息栖神社は
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)香取神宮(千葉県香取市)とともに
東国三社(とうごくさんじゃ)と呼ばれます
久那斗神(くなどのかみ)を主神とし 相殿に天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)住吉三神を祀っています

息栖神社神栖市息栖

天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)は 経津主命(ふつぬしのみこと)は 同一神の別名を伝えたものともされます

この3社大戸神社・香取神宮奥宮・息栖神社〉が 東西に一直線に並ぶのは何かしらの意味があるとする説があります

Google MAP

鹿島神宮跡宮を加えて

鹿島の大神が初めて天降られた所が神野の跡宮で本宮の祭の前日にこの社を祀るとし奈良の春日へ御分霊の際はここから鹿島立ちされたとの言い伝えもあります

鹿島神宮HPより

つまり 天平時代〈神護景雲二年(768)春日大社創建までは 鹿島神宮が鎮座していた処ともされます

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮

この 鹿島神宮 跡宮武甕槌大神(あらみたま)〉を祀ります

・鹿島神宮 跡宮(鹿嶋市神野)
〈鹿島の大神が 初めて天降られた所〉

また 香取神宮 奥宮は〈経津主大神の荒御魂(あらみたま)〉を祀ります

香取神宮 奥宮(香取市)
経津主大神の荒御魂(あらみたま)を祀る〉

鹿島神宮 跡宮位置は 息栖神社鹿島神宮 摂社〉の真北に位置していて
大戸神社からは 鹿島神宮 跡宮が 夏至の日の出の方向にあります

こうしたことから 大戸神社は 東国三社の元宮ではないかとの諸説があります

Google MAP

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

国 式内社 11座(大1座・小10座)について に戻る       

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1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
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