倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮

倭文神社は 伯耆国の一之宮で 古くから格式高い神社として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座しています 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船して この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努め人々から敬われたとの事です 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様として知られます

目次

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

倭文神社Shitori Shrine)
(しとりじんじゃ) 

 [通称名(Common name)]

 

【鎮座地 (Location) 

鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》建葉槌命Takehazuchi no mikoto)
   下照姫命Shitateruhime no mikoto)
   事代主命Kotoshironushi no mikoto)
   建御名方命Takeminakata no mikoto)
   少彦名命Sukunahikona no mikoto)
   天稚彦命Amenowakahiko no mikoto)
   味耜高彦根命Ajisukitakahikone no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

安産祈願 Prayer for a healthy childbirth

昔 難産に苦しむ婦人が願をかけたところ夢に下照姫命が姿を現され
参詣の帰途 安産岩の前で簡単に出産できたという言い伝え

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安産報賽 The childbirth was safe. People thank God and pray.

無事安産であったことのお礼参りのこと 本殿の裏には「乳神さん」とよばれた御神木〈現在は枯れています〉があって 乳が出なくて困った方がお参りされていました

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【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 伯耆一之宮Hoki no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

伯耆(ほうき)一ノ宮 倭文(しとり)神社

一、通 称 伯耆一ノ宮
一、祭 神 建葉槌命(たけはづちのみこと)(主神)
      下照姫命(したてるひめのみこと)外五柱
一、例祭日 5月1日


一、由 
伯耆国の一ノ宮としで御冠山(みかむりやま)の中腹に位置し、広く安産の神として信仰されている。創立年代は不明であるが、出雲大社 御祭神 大国主命の娘 下照姫命が出雲から当地に移住され、安産の普及に努力された。

創立当時、当地方の主産業が 倭文(しずおり)の織物であったので 倭文部の祖神 建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、その後 倭文の織物が姿を消し、安産信仰だけが残り、安産守護として崇敬され、参道横には安産岩も伝えられている。

平安時代 延喜式神名帳(西暦922年)には当神社の名がみえ、神階は度々昇進し、天慶3年(西暦940年)には従3位から正3位に進んでいる。その後 正1位に昇進されたとみえ「正一位伯州一宮大明神」と刻した勅額と称する古額が現存している。

住古の社殿広大で、千石の御朱印地を有したと伝えられ、鎌倉時代の東郷荘絵図には 東郷湖 附近に点々と一ノ宮領文字がみえている。
然し 戦国時代荒廃、天文23年(1554)尼子晴久 社殿造営 神領70石寄進。後 神領中絶したが、元亀元年(西暦1570年)羽衣石城主 南条宗勝これを復旧した。

天正年間 羽柴秀吉を迎え討つべく、吉川元春(毛利の武将)橋津の馬の山に在陣するや、当神も兵営とせんとしたが、元春の子 元長は霊夢を感じて、兵を馬の山に引いている。その後 御冠に入った秀吉との対陣は有名である。

羽衣石城の南条元続 当社の荒廃を嘆き、神領を収め、新地を寄せ代官をして社領の監査を厳ならしめたという。

徳川時代は 池田藩主の祈願所となり、天正年間の戦乱で中絶した神輿渡御を延享2年(1745)再興し、藩老 和田氏から境内警備のため鉄砲6人を附されている。

明治以降県社であったが、昭和14年 国幣小社となった。

一、安産岩
神社境内に至る迄の参道横にある。
昔 常に難産に苦しむ婦人が、古来から安産の神として信仰の厚い伯耆一ノ宮に願いをかけて日参し、満願の日下照姫命の霊夢を感じ、参詣の帰途この岩で安産したので、以来安産岩と称するようになったという。

一、下照姫命御着船の地
羽合町宇野と泊村宇谷の中間の御崎に、出雲より御看船されたと伝えられるが、その近くに化粧水と称し、船からおあがりになって化粧を直すのにお使いになつた水が伝えられている。

一、国  伯耆一ノ宮経塚出土品(東京国立博物館に展示されている)。
一、史  伯耆一ノ宮経塚。

(附)馬の山古墳群は、当神社より丘続きの位置に存在する。

昭和54年3月 湯梨浜町教育委員会

境内案内板より

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【由  (History)】

由緒

御祭神
健葉槌命(主神)下照姫命・事代主命・建御名方命・少彦名命・天稚彦命・味耜高高彦命。

由緒
安産の神として崇敬されている当神社は、伯耆国の一ノ宮である。
創立年代は不詳であるが、
社伝によれば。大国主命の娘 下照姫命が出雲から海路御着船 従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去される迄、安産の指導に努力され、農業開発、医薬の普及に尽くされたという。
創立当時 当地方の主産業が倭文(しづおり)の織物であったので、倭文部の祖神 健葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の5柱の神は大国主命のお子神か関係の深い神々である。

当神社に対する安産信仰は古来からのもので、数々の霊験が伝えられているが、倭文の織物は姿を消したので、安産の信仰が残り、当神社は安産の神として、本県は勿論広く県外にも御神徳が及んでいて、安産祈願の参詣者で社頭は賑わっている。

平安時代 延喜式神名帳(西暦922)には、当神社の名が見え、神階は、度々昇進し、承和4年(西暦837)従5位下、斎衡3年(西暦856)従五位上、天慶3年(西暦940)には、従3位から正3位に進んでいる。

平安時代 当神社にも多数の神宮寺が建立されたが 戦国時代武将に社領を没収され、神社のみを残して各寺院は四散した。
当神社には 勅額と称する古額が現存し、正一位伯州一ノ宮大明神と刻されている。
往古 社殿広大で1000石の朱印地を有したと伝えられるが、戦国時代荒廃。天文23年(西暦1554)尼子春久 社殿を造営神領70石寄進。神領中絶したが、元亀元年(西暦1570)羽衣石城主 南条宗勝がこれを復旧した。
徳川時代は 池田藩主 祈願所となり 祭日には藩老 和田氏から境内警備のため、鉄砲6人を付されている。
明治以降 県社であったが昭和4年に国幣小社となった。

安産岩 神社境内に至るまでの参道横にある。
昔常に難産に苦しむ婦人が願をかけ、満願の日夢に下照姫命が姿を現され、参詣の帰途 安産岩で簡単に出産し 爾来 安産岩と称するようになったと云う。

例祭日は5月1日。
国 宝 伯耆一ノ宮経塚から大正4年に発掘されたもので、東京国立博物館に納められている。
◎銅経筒(平安時代)銘文中 康和5年10月3日山陰道 伯耆国 河村東郷 御座一宮大明神の文字がある。
◎金銅観音菩薩立像(白鳳時代)
◎その他仏像 銅鏡、銅銭。るり玉。桧扇残片。短刀刀子残欠。漆器残片。などがある。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

 

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・伯耆一ノ宮 経塚(キョウヅカ)

御祭神 下照姫命の墳墓と云い伝えられていた場所

参道横から山へ上がります

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国指定史跡 昭和10年12月24日指定

伯耆一ノ宮 経塚(キョウヅカ)

この地は、古くから伯耆一ノ宮倭文神社の祭御神・下照姫命の墳墓と言い伝えられていた場所で、発掘の結果、経塚であることが判明した。
「元旦の朝に金の鶏が鳴く」という金鶏伝説があった場所でもある。

経塚が築造されたのは平安後期の神仏混交の時代で、伯耆一ノ宮にも寺院(神宮寺)がいくつか建立されていた。
経塚から出土した国宝指定の銅経筒などは、当時の僧・京尊が埋納したものである。

湯梨浜町教育委員会

現地案内板より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

出雲山のふもと東郷池
・宮戸弁天(ミヤトベンテン)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伯耆国 6座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河村郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ]しとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shitori no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神 建葉槌命(タケハヅチノミコト)について

社名ともなっている 倭文(シズオリ)とは 麻などの繊維を赤青の原色で染め 乱れ模様に織ったもので
主祭神の 建葉槌命(タケハヅチノミコト)は 倭文(しづおり)という織物を司っていた倭文部の祖神とされています

 

『日本書紀(nihon shoki)』巻 第二 神代下 第九段本文の伝承

『日本書紀』によると
出雲の国譲りで 大役を終えた武甕槌命と経津主神は その後もまつろわぬ神を平定していきます
しかし 天津神(大和)に最後まで屈服しないその国津神の名は「星神加加背尾命(hoshinokami kakaseo no mikoto)」でした

最終的に 武甕槌命と経津主神の2神に代わって 星神を服従させたのが 倭文神(shitori no kami)〈建葉槌命(タケハヅチノミコト)〉です

意訳
『 一説によれば
「二神(經津主神(futsunushi no kami)と武甕槌神(take mikazuchi no kami))は ついに邪神や草木・石の類を誅伐して 皆すでに平定されました

唯一従わぬ者は 星の神・香香背男耳(kagaseo no mimi)だけとなりました
そこで 倭文神(shitori no kami)を派遣して 服従させました

そして 二神(經津主神(futsunushi no kami)と武甕槌神(take mikazuchi no kami))は 天に登っていかれました 倭文神 これを「斯圖梨俄未(shitorikami)」といいます 』

『原文』参照『日本書紀(nihon shoki)』[選者:舎人親王/写本 ,享保03年] 国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』写本

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参照としてご覧ください

那富乃夜社(なほのや)(nahonoya no) yashiro(八雲町東岩坂)

一緒に読む
那冨乃夜神社(八雲町東岩坂)

那冨乃夜神社は「星の神」が降臨されたという伝説のある山「星上山」に鎮座します 御祭神は『日本書紀』の「出雲の国譲り神話の舞台」で 大国主命(okuninushi no mikoto)が 国譲りを承諾された後 出雲国内の平定を推し進める 天津神(大和)に最後まで従わなかった神として 「星神・悪神」と記されています その国津神の名は「星神加加背尾命(hoshinokami kakaseo no mikoto)」を祀ります 合わせて祀られている神は 出雲に国譲りを迫った 2柱の天津神「經津主命・武甕槌命」です まるで「星の神」の復活を抑えるかの如く祀られていて まるで 東出雲を一望する山の頂きから 今でも古代出雲の中心地「意宇郡」を鎮めるかのように坐ます

続きを見る

同じく 御祭神 建葉槌命(タケハヅチノミコト)を祀る 伯耆国(ホウキノクニ)三之宮倭文神社倉吉市志津」について

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載「伯耆國 久米郡 倭文神社」で 伯耆国の三之宮とされています

倭文神社倉吉市志津

御祭神 下照姫命(シタテルヒメノミコト)の伝承 出雲山について

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出雲山(いずもやま)の由来

その昔、出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の娘である下照姫命(シタテルヒメノミコト)は、出雲国を出立され、羽合町宇野と泊村字谷との境にあたる字「仮屋ヶ崎」の海岸に着船された。ご休憩の後 命は倭文(しとり)神社の社地に住居をお定めになり、住民に安産の指導をされたが、故郷恋しさのあまり、日暮時になるとふさぎ込んだり涙したりされる日もあったという。そんな時、少しでも出雲に近づこうとの想いからか、この高台まで歩を運ぶと、遠く出雲国や出雲富士の方向に向かって何事か小声でつぶやかれていた。この姿を見た人々は 命をおいたわしく思い、いつしかこの高台を出雲山と呼ぶようになったという。

この展望台に立って眺めると、東郷湖の向こうに羽合温泉や東郷湖羽合臨海公園、その向こうに茶臼山が見え、白砂青松の彼方には紺碧の日本海、西方はるかに中国地方最高峰の大山の雄姿がかすんで見える。
伯耆一円を見渡す、まさに一大パノラマの景観といえよう。

下照姫命(シタテルヒメノミコト)
大黒様の名で親しまれ、因幡の白兎伝説でも有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)と田心姫命(タゴリヒメノミコト)の間に生まれた神で、安産の神として知られる。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天孫降臨に先立ち、まず天穂日命(アメノホヒノミコト)を遣わされ、ついで天稚彦(アマノワカヒコ)を遣わされたが、この神は下照姫と結婚して滞留したまま従わなかった。そのため高皇産霊尊(タカスビノミコト)の怒りにふれて天稚彦は誅せられ、その妻・下照姫のなげき悲しむ声が天にも達したという。
下照姫の兄 味耜高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)が天稚彦の喪を弔わられたとき、下照姫は歌を詠じ、兄神の御名を顕し給うたといわれる。
湯梨浜町教育委員会

現地案内板より

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御祭神の下照姫命が 魚釣りを楽しまれた 「宮戸弁天」について

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宮戸弁天

古くから伯耆一ノ宮の七弁天と称して付近の水辺7カ所に弁天さんが祭られていたといわれる。
宮戸弁天もそのひとつで、今日ほこらがのこっているのはここだけである。

もとは小島で一ノ宮の御祭神・下照姫が魚釣りを楽しまれたところと伝えられる。
今は埋め立てられて、陸続きになった。

また、下照姫の使いの白ヘビが、ここから龍湯島(東郷町役場裏の辺り)までの間を往復したとの伝説もある。

湯梨浜町教育委員会

現地案内板より

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御祭神 下照姫命(シタテルヒメノミコト)を祀る出雲の式内社

賣豆紀神社(松江市)

大穴持御子玉江神社 (出雲大社境外末社)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 倉吉駅から県道22号経由 東郷池の方面に約10km車20分程度
左手に東郷湖を見ながら 御冠山の麓へと上っていきます

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社号標「國幣小社 倭文神社」と触書「定 車馬を乗入レルコト・・・禁止」
倭文神社Shitori Shrine)に参着

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参道は 石段の先に鳥居 神門が建っています 左側はスロープになっています 鳥居の扁額には「伯耆一ノ宮 倭文神社」と浮彫になっています
一礼をして 鳥居をくぐります

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鳥居の先には 狛犬が構え その先に 見事な彫刻の施された隋神門が建ちます 賽銭を納め 随神にお詣りをして参道を進みます

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参道右手に大きな石があり その先に 経塚へ上がる道があります

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正面に拝殿が見えて来て 左手に手水舎があり 清めます

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鏡のような水面を持つ手水鉢で 晴れた日は ひと際美しいです

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玉垣に囲まれた神域の入口に構える出雲式狛犬は見事です

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社殿は拝殿 幣殿 本殿と奥へ続いています
拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に向かって右手から一周してみます

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本殿の真後ろには「乳神さん」とよばれた御神木〈現在は枯れています〉があって 乳が出なくて困った方がお参りされていました
社殿は瓦葺の御垣で囲まれています

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社殿には 御祈祷〈昇殿参拝〉をされる方が後をたちません 女性が多いので安産祈願なのでしょう

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社務所にて授与を受け 一礼をして境内を下がります

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参道を戻り 隋神門と鳥居をくぐり抜けます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』元慶3年(879年)完成 に記される伝承

神階の奉授が記されています

【意訳】

斎衡3年(西暦8568月辛未 乙亥 の条

伯耆(ホウキノ)国

伯耆神
大山神
国坂神
並びに 正5位下を

倭文神(シトリノカミ)
宗形神
大帯孫神
並びに 従5位上を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

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『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承

神階の奉授が記されています

【意訳】

天慶3年(西暦9409月4日の条

奉り贈る
正2位 稲荷神 従1位
大和国 瀧倉神 正2位
左 京 従3位 太詔戸神

伯耆国の 従3位 倭文神に 正3位を

左 京 正4位上 隼神
大和国 正4位下 高屋安倍神
甲斐国 正4位上 物部神
壱岐国 正4位上 天建金草神 並びに 従3位

大和国 正5位上 河内神
甲斐国 正5位上 大井俣神 並びに 従4位下

伊勢国 従5位上 狭原神 正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『日本紀略』写本 延暦01年 - 長元09年[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局

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『諸国一宮巡詣記抜粋(Shokoku Ichinomiya Jumpaikibassui)』著 橘三喜〈1675~1697年〉に記される伝承

絵図とともに 御祭神6座が記されています

【意訳】

伯耆一宮 倭文神社
山中に2社あり 下照姫命なり

絵図あり

御祭神6座
第一 下照姫命 大己貴命(オオナムチノミコト)の娘神
第二 事代主命
第三 建御名方命
第四 少彦名命
第五 天稚彦命
第六 味耜高彦根命

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』(1675年~1697年)

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

【意訳】

倭文(シトリノ)神社

日本文徳天皇実録 斎衡3年(西暦856)8月辛未 乙亥 の条・・従5位上
日本紀略 天慶3年(西暦940)9月4日の条・・正3位

一宮記 下照姫なり

〇信友云う 一之宮なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

御祭神は 下照姫命としています

【意訳】

倭文神社

倭文は 志図利(シトリ)と訓ずべし

〇祭神 大己貴命(オオナムチノミコト)の娘神 下照姫(シタテルヒメ)
〇宮内村に在す
〇当国 一之宮なり 一宮記
〇永萬記云う 伯耆国一宮 筵(ムシロ)百枚進

神位
日本文徳天皇実録 斎衡3年(西暦856)8月辛未 乙亥 の条・・従5位上
日本紀略 天慶3年(西暦940)9月4日の条・・正3位

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

御祭神は 建葉槌命としています

【意訳】

倭文神社

御祭神 建葉槌命

神位
文徳天皇 斎衡3年(西暦856)8月辛未 乙亥 の条・・従5位上
朱雀天皇 天慶3年(西暦940)9月4日の条・・正3位

祭日 4月1日 9月9日
所在 宮内村 御冠山

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

祭神は 6柱の神です

【意訳】

縣社 倭文(シドリノ)神社

祭神
下照姫命(シタテルヒメノミコト)
事代主命(コトシロヌシノミコト)
建御名方命(タケミナカタノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
天稚彦命(アメノワカヒコノミコト)
味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネノミコト)

創立年代詳らかならず

日本文徳天皇実録 斎衡3年(西暦856)8月辛未 乙亥 の条・・従5位上
その後 神階は累進し従3位に至り給いし

日本紀略 天慶3年(西暦940)9月4日の条・・正3位を奉授し
後に 正1位を奉授するに至る

延喜式(Engishiki)では 式内小社に列せられ 当国の一宮であり

白河天皇 承暦4年6月 御卜(ゴボク)に倭文神(シトリノカミ)の祟り(タタリ)あり 社司に中祓を科したこと 朝野群載に見うる

本社「正一位 伯州一宮大明神」と記す勅額を蔵し(惜しむらくは いずれの帝であるか知らず)

又 当社 境内の東南に方り 御座所ヒラ と称する所あり 勅使屋敷なりと云い伝わる等
往年 本社の隆盛を見るに足るべし

幕府の時 社領は50石あり 維新の後 縣社に列す

社殿は 本殿 幣殿 拝殿 神輿蔵 神楽殿 及び 随神門 社務所 御供所等あり 建築素材却て 雅致あり

境内は1896坪(官有地 第一種)及び 近く編入せられし 上地林六反七畝九歩よりなる

宮内村の北 御冠山の麓にあり 松樹森々として天に参し 柱礎苔を生じて蒼然たり 境地幽寂 人をして 自ら敬虔の念を増さしむ

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』

倭文神社Shitori Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
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