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五條天神社〈天使の宮〉(京都市下京区松原通西洞院西入天神前)〈洛中の最古社〉
五條天神社(ごじょうてんしんしゃ)は 社伝には 延暦13年(794)平安京遷都の折 桓武天皇の命により 大和国宇陀郡から 弘法大使空海が天つ神(あまつかみ)を勧請したのが当社の創建と云う 洛中最古の社で 当初は「天使の宮」「天使社」と称しました 又 源義経〈牛若丸〉と弁慶の出会いの場所 と伝わります
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田村神社(甲賀市土山町北土山)〈征夷大将軍・坂上田村磨呂公を祀る神社〉
田村神社(たむらじんじゃ)は 垂仁天皇45年(西暦16年)甲可翁(こうかのおきな)と云う人が 倭姫命を崇敬し その生霊を鎮祭し 鈴鹿社〈高座大明神〉と云われた 弘仁三年(812)嵯峨天皇の勅により坂上田村麻呂を神社程近き二子峰に鎮祭し 同十三年(822)現地に遷し 鈴鹿社に合祀し 高座田村大明神〈田村神社〉と稱しました
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〈大和神社御旅所〉御旅所坐神社〈大和稚宮神社〉& 齒定神社(天理市中山町)
〈大和神社御旅所〉御旅所坐神社(おたびしょにますじんじゃ)〈大和稚宮神社〉&歯定神社(はじょうじんじゃ)は 第10代 崇神天皇が 地主神・倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)の斎女として勅した 皇女 ゛淳名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)の御墓゛と伝える前方後円墳゛大塚山゛の南麗にある大和神社の御旅所に鎮座します
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熊野三所大神社(那智勝浦町大字浜の宮)
熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)は 創建の伝承には 神武天皇が東征の時 御上陸の地点で 頓宮の御遺蹟であり 又 その御上陸の際に抵抗した゛熊野の首長 丹敷戸畔(にしきとべ)゛の小祠を祀ります 平安時代からは 補陀落渡海(ほだらくとかい)の拠点となった補陀洛山寺とともに 那智山から下った那智浜に鎮座する 熊野三所権現(渚王子)として有名です
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普天満宮(宜野湾市普天間)
普天満宮(ふてんまぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで 創建の伝承によれば 往昔 普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり 第一尚氏王統・第5代国王 尚金福王から第6代国王 尚泰久王の頃(1450~1460年)熊野権現を合祀したと伝わります
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金武宮(金武町金武)
金武宮(きんぐう)は 永正年間(1504~1521)補陀落渡海僧゛日秀上人(にっしゅうしょうにん)゛が 漂着した金武に補陀落浄土を観じて この土地にお寺を建て・観音菩薩・薬師如来・阿弥陀如来を彫り〈金武観音寺(きんかんのんじ)〉奉安し 同じ頃 鍾乳洞内に熊野三所権現〈金武宮(きんぐう)〉を勧請したと伝わります
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沖繩神社(那覇市首里鳥堀町)
沖繩神社(那覇市首里鳥堀町)は 1879年 琉球併合(りゅうきゅうへいごう)によって 沖縄県が新設され 大正期に入り 沖縄県民は近代社格制度に基づく「県社」の建立を希望し 首里城跡に 源為朝公と歴代国王が祀られる 沖縄神社が創建されたのが始まりです 戦後 弁ヶ嶽の隣に再建されて現在に至ります
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ノロ殿内〈ヌンドゥンチ〉&伊計神社〈掟(ウッチ)〉(うるま市与那城伊計)
伊計神社(いけいじんじゃ)〈掟(ウッチ)〉&ノロ殿内(ヌンドゥンチ)は 太古から人々の息吹く縄文時代の゛仲原遺跡゛がある゛伊計島(いけいじま)゛にあります 伊計島(イチジマ)とも呼ばれ 沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約10kmに位置し 琉球発祥の地とされる浜比嘉島の奥にある神秘の島です
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恵比須神社(那覇市安謝)
恵比須神社(えびすじんじゃ)は 琉球八社゛沖宮(那覇市奥武山町)゛の先代 宮司゛比嘉真忠(1914-1990)゛によって沖縄各地に創建された神社の一つです 本殿付近は 和文学者の平敷屋朝敏(へしきやちょうびん・1701~1734年)が 1734年に処刑された場所だと 伝わります
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沖宮(那覇市奥武山町)
沖宮(おきのぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで 創建の伝承は〈詳らかではないが〉2説あり 1つは舜天王統・初代 舜天王の父とされる源為朝の時代〈1139~1170年〉とするもの 2つは 第一尚氏王統・第5代 尚金福王の時代〈1450~1453年〉「那覇港の海の中から不思議と光輝く霊木があり 宮社を建て 熊野権現の霊木として祀った」という説です
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識名宮(那覇市繁多川)
識名宮(しきなぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで その創建の伝承では 識名村に夜々光輝することがあり 大阿母志良礼(おほあもしられ)といふ神職を努めてゐる女が検分をして 賓頭盧の霊光を確認すると 願いが叶えられた これを聞き及んだ 尚元王(1556~72年在位)の長子 尚康伯が 病気回復に霊験を得て 寺と宮を建てたと伝えられます
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末吉宮(那覇市首里末吉町)
末吉宮(すえよしぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで 社壇(しゃだん)とも呼ばれ 現在その跡は「末吉宮跡」として国の「史跡」に指定されています 『琉球神道記』などには 第一尚氏王統・6代.尚泰久王の在位年間〈1454~1460年〉に 鶴翁和尚(かくおうおしょう)が 首里城北方の小高い岩礁の霊地に 熊野三所権現を斎祀ったのが発祥とされます
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天久宮(那覇市泊)
天久宮(あめくぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つです 社伝によれば 創建は成化年間 (1465〜 1487年)とされ 銘刈子(メカルシー)と呼ぶ農夫が 天女と縁を結んだ所として 伝承を残しています
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月代宮(南城市佐敷)
月代宮(つきしろのみや)は 三山統一を果たし その後450年もの間続く 琉球王朝を打ち立てた英傑゛尚巴志(しょう はし)゛の築いた第一尚氏(だいいちしょうし)王統〈7代63年間〉(1406~1469年)の始祖と7代王を祭神として 1938年に第一尚氏の氏子組織「つきしろ奉賛会」によって建立されたものです ゛月しろ゛とは 初代王の尚思紹の庭にあった霊石で守護神とも伝わります
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安里八幡宮(那覇市安里)
安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は 第一尚氏王統(1406~1469年)第7代〈1461~1469年〉尚德王(しょうとくおう)〈八幡の按司(あじ)と呼ばれた〉が 文正元年(1466)喜界島遠征を行った際 鬼界島を平定し凱旋 八幡大菩薩の御加護に感謝し 誓願に従い 矢を立てた地に安里八幡宮を建立し さらに高明山神徳寺を併設して梵鐘を掛けさせたのが安里八幡宮の始と伝わります
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琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について
琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)は 琉球王国(琉球國)の゛歴代の王統゛と「琉球八社(官社)の制」として 王府から特別の扱いを受けた八つの神社を云い〈「熊野権現」を祀る七社(・波上宮・天久宮・沖宮・末吉宮・識名宮・普天間宮・金武宮)「八幡神」を祀る一社・安里八幡宮〉から構成されます
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椎根津彦神社(大分市佐賀関)
椎根津彦神社(しいねつひこじんしゃ)は 住古 神武天皇は 東征の途 豊國 早吸の門に到りし時 海上に釣垂れていた賤しからぬ人品の男 珍彦(うずひこ)〈国津神〉に水先案内を仰付け 椎根津彦(しひねつひこ)の名を下した 以来 命は功をたてて論功行賞の恩典として 初代 大和國造となった 里人は かくの如き祖先を輩出した郷土の誇りとして 小祠を祀りて奉った
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二十二社について
二十二社(にじゅうにしゃ)は 平安時代中期から中世にかけて 国家の重大事や天変地異に際して朝廷から特別の奉幣に預かつた〈上七社・中七社・下八社〉二十二の神社で 当時は 最高の社格とされていた
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浮幣神社〈浮鯛神社〉(三原市幸崎能地)
浮幣神社(うっぺいじんじゃ)は 浮鯛神社(うきだいじんじゃ)とも呼ばれます これは『日本書紀』に記される 神功皇后が 三韓征伐に向かわれた時 お召船の周囲に集まった鯛(タイ)に酒を注いだところ 鯛が酔って浮いた「浮ダイ」となった故事に由来します それ以後 能地(のうじ)の海には毎年春になれば鯛(タイ)が浮かぶようになったと云われていました
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豊功神社(下関市長府宮崎町)
豊功神社(とよことじんじゃ)は 神話伝説の島として知られる゛満珠・干珠島゛の2島を展望する絶景の宮崎の地に鎮座します 元々は 忌宮神社の境内にあった゛豊功社〈長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀る〉゛をここに遷し 祀られていた串崎若宮〈櫛崎八幡宮〉・宮崎八幡宮・松崎八幡宮を〈大正6年(1917)6月〉合祀して 社号を豊功神社と改称したものです