浅間神社 (笛吹市)&山宮神社(旧鎮座地)

浅間神社は 社伝によれば 11 垂仁天皇8(約2000年前)に山宮神社(現摂社)の地に3柱の神をり創始した 後に富士山の貞観大噴火の時に鎮火の神「木花開耶姫命Konohana sakuyahime no mikoto)」1柱を現在地に遷座して創建〈貞観7年(865)〉されたとしています 国府も近く 甲斐國一之宮Kai no kuni ichinomiya)とされいて『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)所載社(名神大)の論社でもあります

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

浅間神社Asama Shrine)
(あさまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

一宮さん(ichinomiya)
・一宮浅間(ichinomiya sengen)

【鎮座地 (Location) 

山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花開耶姫命Konohanasakuyahime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

山火鎮護 Calm the eruption
・農業・酒造の守護神 Guardian deity of agriculture and brewing
・婚姻・子授安産の霊徳神 God of marriage, childbirth and easy delivery

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 甲斐國一之宮Kai no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

第11代垂仁天皇8年 正月始めて神山の麓に鎮祭す。
今ここを山宮神社と称して摂社たり。
第56代 清和天皇の貞観7年12月9日 現在の地に遷祀せらる。
甲斐国の一宮にして 延喜の制に於ける名神大社たり。
明治4年5月14日国幣中社に列せられる。
本殿は流造銅板葺、拝殿は入母屋破風造銅板葺なり。
境内は3395坪(1ヘクタール余)

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (history)】

浅間神社の文化財

浅間神社(あさまじんじゃ)

(御祭神 木花開耶姫命 このはなさくやひめのみこと)

当社は、甲斐国の一宮(いちのみや)であり、延喜(えんぎ)の制に於ける名神大社(みょうじんたいしゃ)です。

御祭神は、木花開耶姫命で、第11代 垂仁(すいにん)天皇8年(約2千年前)正月に東側の神山の麓に祀られました。今ここが浅間神社の摂社(せっしゃ)山宮(やまみや)神社となっています。

第56代 清和(せいわ)天皇の貞観(じょうがん)7年(865年)12月9日、木花開耶姫命を現在の地に遷(うつ)し祀られています。

明治4年5月14日、国幣中社(こくへいちゅうしゃ)に列格。本殿は入母屋向拝造銅板葺(いりおもやづくりこうはいつきどうばんぶき)、拝殿は、入母屋唐破風向拝造銅板葺(いりおもやづくりからはふこうはいつきどうばんぶき)です。

境内(けいだい)は、3,395坪(1ヘクタール余)

山宮神幸祭(山宮みゆき)

「山宮」という名前は今の浅間神社を里宮(さとみや)というのに対する呼び方です。そのため神さまは、一年に一回、里宮である浅間神社から山宮神社に帰ります。これが「山宮みゆき」というお祀りです。

大神幸祭(おみゆきさん 川徐祭 かわよけさい

川徐祭(水防祭)は、一宮(いちのみや)(浅間神社)、二宮(にのみや)(美和神社)、三宮(さんのみや)(甲府市の玉諸(たまもろ)神社)の三社合同で行われます。
赤やピンクの長襦袢(ながじゅばん)、紅とおしろいで女装した華やかな男衆が交代で神輿(みこし)を担ぎ、「そこだい、そこだい」と独特の掛け声を上げながら練り歩きます。神輿は境内から担当地区を通り、石和町の石和八幡神社、甲斐市竜王の信玄堤公園へと移動し、治水を祈願します。
また、参拝客で賑わう浅間神社境内の神楽殿では、お神楽が奉納され、一方では子ども神輿も繰り出し、家から家へと廻っていきます。

笛吹市教育委員会

境内案内板より

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【本宮(Original shrine)】(旧鎮座地)

・摂社 山宮神社Yamamiya Shrine)

《主》大山祇命(Oyamatsumi no mikoto)
   瓊瓊杵命(Ninigi no mikoto)

本社を距ること東南二十丁余(2キロ余)清流山宮川の水源神山の麓にあり千古の老杉二本、神木として連立している。本殿は、春日造、檜皮葺にしてその結構すこぶる壮麗である。
毎月15日を恒例神祭日となす。3月15日山宮神幸祭を行ってきたが現在は、3月15日前の日曜日。
当社は、垂仁天皇の御代鎮祭された本宮であるが、貞観七年(865年)12月、三柱の内、木花開耶姫命を里宮に遷座されたもので大山祇神と天孫瓊々杵命の二本柱を御祭神としている。

公式HPより

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・境外末社 天神社Tenjin Shrine)

《主》菅原道真公(Sugawara no michizane ko)

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末社 眞貞社Masada Shrine)

《主》伴直真貞公(Tomono masada ko)
※伴直真貞公を御祭神に祀る境内末社
貞観6年(864)富士山の貞観大噴火の時の八代郡擬大領 社家の祖

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末社 神明社

《主》天照皇大神(Amaterasu sumeokami)

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末社 護国社Gokoku Shrine)

《主》護国の英霊(gokoku no eirei)

・七社(Nana Shrine)

《主》雨降大神・道祖神・稲荷大神・金刀比羅大神
・六所大神・加具土大神・天満宮

※一般庶民の信仰をあつめる神々を勧請

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐国 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 淺間神社
[ふ り が な  ](あさまの かみのやしろ)
[How to read ]Asama no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社について

甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中で
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)によれば 貞観7年12月9日(865)朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています

・12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一」とあり
・12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神一」を八代郡と同に祀るとあります

この解釈は 様々な説があり それに伴って 式内社の論社が多数あります

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

河口浅間神社富士河口湖町 

・一宮浅間神社市川三郷町 

青沼浅間神社(甲府市) 

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

勝沼ICから勝沼バイパスを西へ 約3.6km 車5分程度
勝沼バイパスの「一宮浅間神社入口」交差点に大きな朱色の鳥居が建ちます

鳥居の扁額には「第一宮」 社号標には「甲斐國第一宮 淺間神社」とあります

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御手洗川に架かる「さくらばし」を渡るとすぐ右手に境外末社 お詣りです

天神社Tenjin Shrine)
《主》菅原道真公(Sugawara no michizane ko)

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浅間神社Asama Shrine)に参着
鳥居の横に大きな社号標が建っていて「国幣中社 淺間神社」と刻まれています

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一礼をして鳥居をくぐると 石畳の参道には 隋神門が建ちます

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隋神門をくぐり抜けると 参道は北北東を向いて境内に続いていて 左に社務所 正面には神楽殿が建ち 社殿は 参道とは直角方向で ほぼ東を向いて建っています

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参道正面奥の神楽殿から社殿と隋神門を見ると 参道に対して社殿が直角に建つ様子が良くわかります

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この方向に
グーグルマップで 参道から隋神門を抜けて 富士山の方向へ直線を描くと 参道の延長線上には 富士信仰の原点とされている

駿河國一宮 富士山本宮浅間大社」の元宮である「山宮浅間神社」へ向かっているようです

https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=1Y3afu0_d6HbfcC7RcZ9zblhnI9Bf6rVe&ll=35.64771402355865%2C138.69771757193143&z=19

しかし 社殿は 特に富士信仰を司る方向を向いているようにも感じられません
正面から見ると 神柱に注連縄が張られていて正面が拝殿 左手が隋神門からの参道

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神柱に注連縄の先には 紙垂が巻かれた石が祀られています

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近づくと「子持石」と書かれ 初宮詣の際に御参りする石とあります

しかし どう見ても縄文時代からの呪術・祭祀に関連した「男根石」のようだと思います 「男根石」は火と関連した祭祀で使われたとされていて「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」ということで もしかしたら? 富士山の火山活動の終息(萎縮)を願い祭祀した跡であるような気もします

それならば 本殿がこちらを向いているのも 頷けると思えるからです

この神柱に注連縄も本殿ではなく「子持石」の祭祀場跡の結界としてあるのでしょう

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神柱に注連縄の横に手水舎があり 清めます

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拝殿にすすみます 扁額には やはり「第一宮」とあります

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秀峰富士の写真も奉納されています

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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参道の正面には 神楽殿

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その横には 裏手からの参道があり 木製の両部鳥居が建ちます

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本殿右手奥へ向かうと人型にくり抜かれた石門があり 祓詞が刻まれています

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これをくぐり抜けると 十二支まいりの石像が並びます その年の干支や自分の生まれた年の干支にお参りするとご利益があるそうです

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さらに 富士石から祈願

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その先にある成就石で祈ると願いが叶うとされています

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境内社にもお詣りをします
社殿の向かって左隣の社務所にて お札など授与

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境内をあとに隋神門 鳥居とくぐり抜けて振り返り一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)に記される伝承

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中 朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています

・貞観7年12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一官社に列す」
・貞観7年12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神を八代郡と同じに祀る」とあります

この「官社に列す」の解釈は 場所など様々な説があり 式内社の論社が多数あります

意訳

貞観7年12月9日丙辰条(865)

詔して
甲斐国八代郡に浅間明神の祠を立てて官社に列す

即ち 祝・禰宜を置き 時に随ひて 祭を致さしめ給ひき
是より先 彼の国司言へらく(国司の報告によれば)
『先の年(前年)
八代郡に暴風大雨雷電地震があり 大振動(大地震)して 雷電と暴雨 雲や霧が毎度あり 山と野も判然とせず

駿河国 富士山の西の峰 たちまちに熾火(噴火)有りて巌谷を焼き砕きました
今年 八代郡の擬大領(郡司の候補者)で 無位「伴直眞貞(Tomono masada)」が託宣して云はく
「我は浅間明神なり この国に斎き祭られることを得んと欲し
この年頃 国吏の為に 凶咎(トガ)(祟り)を成して 百姓(民)の病死を引き起こしています

然るに 曾て(まったく)悟っていません
よって この恠(シルマシ・噴火)を成せり
すばやく神社を定めて 祝禰宜(ハフリ・ネギ)を兼ねて任じ

よろしく潔め奉祭するべし」と

その時 眞貞の身(体格)は 或いは 伸びて八尺と可り 或いは 屈みて二尺と可り 躰を替へて(変化させ) 長短をなし 件の詞を吐きき(上記の詞を述べた)
国司は これを卜筮(ボクゼイ・占い)に求めると 告げる所では 託宣と同じであった
是に於て 明神の願いによって
眞貞を以て 祝と為して 同郡の人・伴秋吉(Tomono akiyoshi)を禰宜と為して 郡家の南に 神宮を造り建て 且つ 鎮謝するものである

然りと雖も(いえども)異火の変 今だに止まず

使者を遣りて 検察するところには 剗海を埋むること千町許り
仰いでこれを見ると 正中の頂きに 社宮を飾り造り 垣が四隅に有り 丹青の石を以て その四面に立つ 石の高さ一丈許り 石の門を相去ること一尺にして 中に一重の高い楼閣有り 石を以て構営(構造) 彩色の美麗は 言ふに勝ることはない
願わくは 斎き祭り 兼ねて 官社に預かん』との報告があり 之を許した

貞観7年12月20日丁卯条(865)

令に 甲斐国に於て 山梨郡に致し祭る 浅間明神を八代郡と同じに一つ

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

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浅間神社Asama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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