海神神社(対馬 木坂)

海神神社は 八幡神が神風を吹かせたと伝わる 木坂の伊豆山の麓に鎮座します 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐より凱旋の折に 対馬で掲げたと伝わる 八旒の旗〈8本の旗〉「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」ここから 八幡(ヤハタ)が発祥しているとして 「八幡信仰の源流」とされます 江戸時代までは「八幡本宮」と号していました 対馬一之宮Tsushima no kuni ichinomiya)であり 由緒正しき古社です 

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

海神神社Kaijin Shrine) 
(かいじんじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

八幡本宮

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市峰町木坂247

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊玉媛命(Toyotamahime no mikoto)
《配》彦火火出見尊(Hikohohodemi no mikoto)
   宗像神Munakata no kami)
   道主貴神Michinushinomuchi no kami)
   鵜茅葺不合尊(Ugayafukiahezu no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 対馬一之宮Tsushima no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

対馬一宮、元国幣中社、海神神社 略記

主神 豊玉姫命は、神武天皇の祖母神で、鵜茅葺不合命の母神、彦火火出見命の后神に坐して、父君は 海神豊玉彦命であり、魚族、海草の藩植海潮の満干船舶の往来等大海に関する一切を主宰し給う神であると共に安産の神でもあらせ給う。

御本殿に御鎮座の5柱の神々は、 神代に於ける皇室の御祖先の神々であらせられます。当地 御鎮祭の年代は、古代の事とて詳ではないが、旧記に依れば 初め上県郡佐護に出現し給い。更に勅命を以て 伊奈郷伊奈崎の宮に移し奉れ、どこの宮も清水無きため 現在の木坂伊豆山に遷座し給うと伝う。

神功皇后の三韓征伐の時は、己に此の伊豆山に鎮座し給へりと伝う。

当社は延喜式に「対馬の国の一宮」に坐します。

尚、
当社は西北に満韓を控え、内外咽喉の地に在り、皇国鎮護の海神として 歴代天皇の崇敬厚く、国家の大事ある毎に 勅使参考 祭祀奉幣あり。

尚又 藩政時代に於いても、藩主の崇敬篤く、島内各村に神事所役を命ぜられた程なり。

神功皇后三韓征伐の際は 海上にて数々大神を奉祭され、其の御加護により、刃に血ぬらずして三韓を降し得たりと 御凱旋の折は 特に当地御前の浜で懇に報賽の祭事を行はせられ、8旒の御旗を遣し給い、朕の魂も御旗と共に永く留め置き、海神とともに永く皇国鎮護に当らんと告げ給へりとぞ。

爾来 当社を和多津美神と奉称する と共に 木坂八幡宮とも奉称する に至れり。
この8旒の旗風は、彼の三韓を吹き靡かせしものなれば、此 御旗の当社に納まれる事を伝へ聞きたる三韓国王等は 数々当社に幣物珍寳を奉献して 威霊を敬拝せり。

斯る神代よりの尊厳無比の古社なれば、其の御造営の如きも昔時は 勅命により太宰府所収上県郡6カ年間の貢租を以て これに充て、藩政に至っては 藩費を以て30年乃至40年目毎には必ず造営せらるるを例とされたり。

大政奉還後、明治3年「和多都美神社」と定号され、又
明治45 国幣中社に列せられ、神社の経費はすべて国費をもって支弁されることになり、同年6月太政官より「海神神社」と定称せらる。

昭和20 大東亜戦終戦と共に、国幣は中止され今日に及べり。

御本社の境致 神社は 対馬の首都厳原を距る約40キロ、上県郡峰村木坂、伊豆山の中腹 約280段の石段を上りたる所に在り。
対馬の中部西海岸に面す樫、椎、槻の大木鬱蒼として、千古の林層をなし、山上 常に雲気を帯ぶと、社頭を僅に下れば眼界俄に開け、対馬西海の風光一眸の下に集まる。
飛崎の鼻は 眼下西北方に突き出し、怒涛澎湃として飛沫の花を散らし、渺茫たる朝鮮海峡を隔てて 煙波模糊の間に古三韓の山々を望むことを得而して夕照と相映発するに至っては 蓋し地上の絶勝と云うべし。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

海神神社Kaijin Shrine) 
 峰町木坂伊豆山(いずやま)鎮座

祭神
主神 豊玉媛命(とよたまひめのみこと)
合殿 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
   鵜茅葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)
   外二神
   この外に摂社・末社17

由緒
本社は、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)所載、対馬上県郡の名神大社 和多都美(わたつみ)神社に比定され、神功(じんぐう)皇后の旗八流を納めた所として八幡(はちまん)本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治4年に海神神社と改称、国幣中社に列せられた。
 本社の造営は、古く大宰府(だざいふ)所収上県郡の貢祖(ねんぐ)数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ40年ごとに造営されたものである。

祭礼
毎月1日、月次(げつじ)祭。217日(古例は旧正月15日)、祈年(きねん)祭。旧84日、前夜祭。5日、古式大祭。霜月初卯、一宮祭。
 古式祭には神幸式(しんこうしき)、放生会(ほうじょうえ)、神楽(かぐら)があり、古くは鉾舞(ほこまい)や舞楽(ぶがく)があったが今は絶えた。

宝物
八幡神像二体(木造)。阿弥陀如来(あみだにょらい)像一体(銅造・新羅(しらぎ)仏)。神代矛(かみよぼこ)6本(青銅広矛・弥生時代)、鏡28面(高麗(こうらい)鏡・胡州(こしゅう)鏡・和鏡)。仮面8面(木造・鎌倉~南北朝)。
 これには国・県指定の文化財が多く、外に鈴、銀椀(ぎんわん)、銀匙(ぎんさじ)、甲冑(かっちゅう)、棟札などがある。

神山と社叢(しゃそう)
神霊の鎮(しず)まるところを伊豆山(いずやま)という。イヅ(稜威・厳)とは神霊を斎(いつ)き祀(まつ)ることの意で、千古 (おの)を入れない社叢は県指定天然記念物の原生林、いま「野鳥の森」として指定されている。

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿右に5祠鎮座

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行先殿神社・濱殿御子・乳母

《主》豊玉彦命
《合》彦火火出見命豊玉姫命大乳母神草葺不合命

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一宮神社・白髭神・御先馳神・飛崎神

《主》神功皇后《合》磯武良宿禰太田命

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若宮神社・璦宮神・五三神

《主》神武天皇《配》玉依姫命《合》豊玉姫命速須佐之男命

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新霊社・金倉神・貴船神

《主》五瀬命《配》稲飯命三毛野命
《合》金倉魂神稲倉魂神天富神興魂神・高龗神

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今宮神社・寶満神・濱殿神・在廰神・美女神・天道神

《主》梅本加賀守《合》豊玉姫命太田命

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祭魂社《主》木坂里の祖先神

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境外神社

八面神社《主》大国魂神
扇崎神社《主》建御名方富命《配》玉垂命雷大臣命
寄神神社《主》和多都美神《配》彦火火出見命豊玉姫命

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』に所載の4つの神社の論社となっています

(對馬嶋上縣郡 和多都美神社 名神大)
(對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大)
(對馬嶋上縣郡 胡簶神社)
(對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社)

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩
嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦) 

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合
加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

① 和多都美神社 一座
➁ 和多都美御子神社 一座  各々に記されています

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

(對馬嶋上縣郡 和多都美神社 名神大)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美神社(名神大)
[ふ り が な ]わたつみの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no kamino yashiro)Myojin dai) 

(對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 和多都美御子神社(貞・名神大)
[ふ り が な ]わたつみみこの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name]Watatsumi no miko no kamino yashiro)(Myojin dai) 

(對馬嶋上縣郡 胡簶神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 胡禄神社(貞)
[ふ り が な ]ころくの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no kamino yashiro) 

(對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 胡禄御子神社(貞)
[ふ り が な ]ころくみこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Koroku no miko no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

当神社は『延喜式Engishiki)』に所載の4つの神社の論社となっています
それぞれの論社を全てご紹介します

(對馬嶋上縣郡 和多都美神社 名神大)

・和多都美神社(対馬 仁位)

・海神神社(対馬 木坂)

(對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大)

・和多都美御子神社(対馬 仁位)

・和多都美神社(対馬 仁位)

・胡簶神社(対馬 琴)

・海神神社(対馬 木坂)

(對馬嶋上縣郡 胡簶神社)

・胡簶神社(対馬 琴)

・胡簶御子神社(対馬 琴)

・海神神社(対馬 木坂)

(對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社)

・胡簶御子神社(対馬 琴)

・胡簶神社(対馬 琴)

・能理刀神社(対馬 芦見)

・海神神社(対馬 木坂)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

厳原港から車で1時間20分 対馬空港から車で1時間程度
峰町の三根湾沿いに48号を西方向へ進みます
対馬特有のリアス式海岸で とても穏やかな海が続きます トンネルを抜けると木坂です

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伊豆山の麓に鳥居が見えてきます
海神神社Kaijin Shrine)に参着

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社号標には「國幣中社 海神神社」この場合は「わたつみじんじゃ」と呼びます
長崎県の壱岐対馬国定公園の立札には「海神(かいじん)神社」とあります
鳥居の扁額の文字は「(毎)のしたに(水)」と書いて海と読むようです

一礼をして鳥居をくぐります

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参道の左手の境内社にお詣りをします
祭魂社《主》木坂里の祖先神

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左手には授与所がありますが 無人です 以前 参拝時にご連絡を差し上げてご朱印を頂きました
参道を進むと手水舎があり 約280段ある石段手前に 新しい石灯篭 そして 二の鳥居が建ちます

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鳥居をくぐり 石段りますが 一直線ではなく 何度か 曲がっているので 喘がずにゆっくりとります

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三の鳥居が建つ所は社殿に続く 最終の石段の手前です なんとも神々しい気が漂っています
鳥居の扁額の文字は「(毎)のしたに(水)」と書いて海

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三の鳥居をくぐると石段の上に 社殿の屋根が見えてきます

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石段を上ると豪壮な社殿が姿を現します
この様な場所(人里遠く)にこれだけ立派な参道と社殿と驚きます

拝殿と本殿は幣殿で繋がれていて 本殿は流造です

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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5つの境内社にお詣りをします

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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鳥居を抜けて振り返り 一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伝説散歩 八幡の島』著 大石武(平成11年)より抜粋

八幡神(ハチマンノカミ)は 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐の戦勝凱旋の祝いに 対馬で掲げた八旒の旗〈8本の旗〉八幡(ヤハタ)から発祥している その御神威は 仁徳天皇の時代に伊豆山から神風を吹かせて 敵船を吹き払ったので ここ木坂〈海神神社(対馬 木坂〉に遷座したと 対馬の古伝を紹介しています

更に日本の八幡宮の総本社とされている「宇佐八幡」も 当社からの分祀であって 八幡本宮の旧鎮座地としています

八幡は 対馬から

対馬人と八幡様

八幡とは、神功皇后の三韓征伐出陣に宗像神から授かった
「振波幡」「切波幡」「振風幡」「切風幡」「豊幡」「真幡」「広幡」「拷幡」

の8本の幡だった。(この古伝は宇佐にはない)、
凱旋のとき、対馬の佐賀の浜辺で凱旋のお祝いが為された。幡と鈴と浜辺に張り巡らし、矛舞と捕虜の釈放と行われ、放生会の始めとなった。
八幡は外敵へ備える神功皇后の霊として、対馬の佐賀に留められた。

 仁徳天皇の御代に、西方海上に無数の敵船が浮かんだ時、木坂の伊豆山頂から突如神風が起こり、白濤天を蹴り 敵船を一隻残らず吹き払った。後で白髭翁が現れて、神功皇后のご託宣「戦勝は鰭神の加護による」、を述べて、八幡と鈴は「木坂」へ移された。更に国府(厳原)と黒瀬と、宇佐へは欽明天皇31年分けられた。(宇佐の由緒では32年に八幡神が現れた。)・・・・・・・・・・・・・

対馬 の 上県郡(カミアガタグン)と下県郡(シモアガタグン)の 八幡宮について

対馬 には古来 上県郡(カミアガタグン)と下県郡(シモアガタグン)に八幡宮と号する神社が それぞれあって 上津八幡宮・下津八幡宮と並び称されまし
かつては 双方が 対馬一之宮称していましたが 現在は 海神神社(対馬 木坂のみが 一之宮称しています


上津八幡宮とは 現在の 海神神社Kaijin Shrine)(対馬 木坂 

下津八幡宮とは 現在の 厳原八幡宮神社Izuhara Hachimangu Shrine)

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋
〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉

三韓征伐の時の 神功皇后の航路が 記されていて
復路に 島の西側「木坂」が 寄港地として記されています

http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

遣唐使の祈りを捧げた2月に 対馬神々(上縣・下縣)とともに 神階無位から昇叙記されています

意訳

承和4年2月甲午朔 戊戌の条

伯耆国(ホウキノクニ)川村郡 无〈無〉位 伯耆神 大山神 国坂神

及び

對馬嶋(ツシマノシマ)の上縣郡(カミツアガタ)の 无〈無〉位
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶御子神(ヤナクイノミコノカミ)

下縣郡(シモツアガタ)の无〈無〉位
高御魂住吉神(タカミムスミスミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
多久都神(タクツノカミ)
大調神(ヲオツキノカミ)

並びに 奉(たてまつ)り 従5位下 を授(サズ)く

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬(上縣・下縣)式内社神々とともに 神階の昇叙記されています

意訳

貞観元年正月27日の条

・・・・・
對馬島(ツシマノシマ)従5位下 
和多都美神(ワタツミノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
並びに 従5位上

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意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)

胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)

並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)

並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

六国史での 神階の昇叙と 木坂村にある「神功皇后の社」であると記しています

意訳

和多都美神社 名神大

承和4年2月甲午朔 戊戌 對馬上郡 无〈無〉位 奉授 従5位下

三実 貞観元年正月27日 従5位下 従5位上
   同12年3月5日  正5位下

〇三根郷木坂村にあり 今 云う 神功皇后の社なり 八幡本記 巻2 引用

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

式内社和多都美神社 名神大」は 仁位村に鎮座する〈和多都美神社であるとの説もある と載せています

意訳

和多都美神社 名神大

祭神 豊玉姫命
神位 〈六国史記す・・・〉

祭日 8月5日
社格 國幣中社
所在 木坂村 伊豆山
  (仁位村の方なり云うあり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版(1925) 大正14年 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

海神神社Kaijin Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

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1

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

2

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

3

対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

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