栃木県
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下野国 式内社 11座(大1座・小10座)について
下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 下野国 11座(大1座・小10座)の神社です
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高椅神社(小山市)
高椅神社は 日本料理の祖神「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」を祀り「料理の神様」として信仰を集めます その創始は古く2000年程遡ります 長元2年(1029)には 社域に掘った井戸から大きな鯉が出て天皇に献上し「禁鯉の宮(キンリノミヤ)」と呼ばれ この地域では鯉をお鯉様と呼び 食さないのは勿論 五月節句の鯉のぼりも立てないそうです
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宇都宮二荒山神社(宇都宮市)
宇都宮二荒山神社は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)に 毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(Narawake no kimi)が 曽祖父・豊城入彦命(toyokiirihiko no mikoto)を氏神として祀ったのに始まると記されています
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宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)
二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました
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磐裂神社(足尾鎮守)
磐裂神社(いわさくじんじゃ)は 文化~文政年間 (1804~30) には 修験の山「庚申山」への登拝口 一丁目とされていました 秩父の妙見・相馬の妙見・足尾の妙見を関東三妙見と称したと云います その歴史は古く 大同3年(808)「足尾5氏(神山、星野、倉沢、斉藤、亀山または細内)」と言われる一族14人が 日光から移住してきた時 妙見宮の分身を拝受し足尾郷14ケ村の鎮守と定めたとされます 明治11年(1878)古河市兵衛が足尾銅山を再開した際 磐裂神社と改称されました
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青龍神社(日光西町五社)
青龍神社は 日光西町五社の一つです 弘法大師空海が滝尾・寂光を開いた時に弟子が ご加護を祈って京都醍醐の青龍神を移し祀ったと伝わります 明治維新以前には「青龍大権現」と称していました 本町の氏神様で 東照宮・二荒山神社の大祭の前には晴天を祈って祈晴際が行われます
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瀧尾神社(日光市)
滝尾神社は 弘仁11年(820)弘法大師(Kobotaishi)空海(Kukai)が創建したと伝えられます 江戸時代までは 日光山を信仰する三社として日光三社権現(Nikko sansha gongen)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(tagorihime no mikoto)を祀り「女体中宮」とたたえます
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本宮神社(日光発祥の地)
本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました
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若子神社(日光市)& 池石(生石)(ikeishi)
若子神社は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(Kobotaishi)空海(Kukai)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(Takinoo Shrine)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります
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滝尾稲荷神社(日光市 滝尾神社境内)
瀧尾稲荷神社は 東照宮ができる以前 日光山として仏教の栄えた聖地「白糸の滝」がある滝尾神社本殿奥の境内に鎮座します 弘仁11年(820年)弘法大師(Kobotaishi)空海(Kukai)が滝尾神社と共に開いたと伝わる古社です 「昔 瀧尾上人が朝のお供えを忘れると 稲荷の神が化けて出ては 催促した」という伝説が残っています