郡瀬神社(宇佐市)

郡瀬神社は かつて 宇佐神宮の行幸会(gyokoe)という大事な祭儀であった その行幸会(gyokoe)に 深い関係のある由緒正しい神社です 宇佐神宮の先の宮ともされています 和銅3年(710)に建てられた「八幡大神」が祀られた元神社です  「第45代聖武天皇」時代には 神亀2年(725年)には 現在の宇佐神宮に遷座しています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 郡瀬神社(Korise Shrine)
 (こおりせじんじゃ)

【鎮座地 (location) 】

大分県宇佐市樋田187-1

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》応神天皇(ojin tenno)(八幡大神)
   仲哀天皇(chuai tenno)
   神功皇后(jingu kogo)
《配》田心姫神(tagorihime no kami)
   湍津姫神(tagitsuhime no kami)
   市杵島姫神(ichikishimahime no kami)
   大宮比咩神(omiyahime no kami)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・宇佐神宮行幸会 境外8摂社

【創 建 (Beginning of history)】

・不詳

【由 緒 (history)】

郡瀬(こおりせ)神社 由緒

祭神 応神天皇(八幡大神)
   仲哀天皇
   神功皇后

当 郡瀬神社は 全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の御分霊を奉斎した八幡神社であります。

抑(そもそも)八幡大神と申し奉(たてまつ)るは 人皇十五代応神天皇の神霊(みたま)に坐せり。欽明天皇 の御宇(ぎょう)廿九年豊前国宇佐郡宇佐の亀山(一名小椋山)の麓に三歳の小児と顕(あら)はれ坐して「吾れは応神天皇の神霊広幡八幡麿なり」と大神比義翁に諭(さと)し、人皇四十三代元明天皇 和銅三年に同郡鷹居山(現 東上田)にて復(また)大神比義翁に対いて「吾れ神と成りて大空を翔(か)れども 栖(す)まむ処(ところ)無し、此を以て御心荒びたり」と諭(さと)し給ひしに因り 比義翁は朝廷に奏し、勅定を得、神殿を建て斎(いつ)き奉る、鷹居、瀬社(せやしろ)是れなり。
(後、郡瀬神社と称(とな)へ奉(たてまつ)る)
後、人皇四十五代 聖武天皇神亀二年(七二五)神勅ありて小 椋山即ち亀山に還り鎮まり坐せるなり。(現在の宇佐神宮)

尚 宇佐神宮には行幸会(ぎょうこうえ)と申す大事な祭儀があり、その行幸会(ぎょうこうえ)に 当社は深い関係のある由緒正しい神社であります。

行幸会(ぎょうこうえ)と申すは
称徳天皇 神護元年閏十月十八日の神託によりて 四年に一度づつ行われしが 嵯峨天皇 弘仁八年より六年に一度と改まり、
近古 戦乱の世久しく中絶せしを元和元年 細川忠興候 再興せらる。

其の大略は、
下毛郡大貞なる三角池の薦(こも)を苅り、御璽(みしるし)を封じ神輿(みこし)に乗り奉(たてまつ)り、
宇佐宮八箇社の内、先づ田笛、次に鷹居、次に 瀬社(せやしろ)(当社)に御泊り、次に泉社、次に乙咩に行幸(ぎょうこう)あり、次に大根川へ、此の社より大神宝を薦社(中津大貞)に奉(たてまつ)る。
上古は 此の社に勅使参宮あり。同夜復(また)当瀬社(せやしろ)に御泊りせり。翌日 妻垣社(安心院)に行幸(ぎょうこう)。
此の社より大神宝を辛川社(速見郡) に奉(たてまつ)る。翌日 小山田社に行幸(ぎょうこう)、同社より亀山の本宮へ御還幸(ごかんこう)あり、旧(ふる)き御璽(みしるし)は 下宮に遷座(せんざ)し、下宮の旧(ふる)き御璽(みしるし)は 国東郡奈多宮に行幸(ぎょうこう)せるなり。

そもそも八幡信仰は単に応神天皇のご聖徳をたたえるものでなく、海外文化や産業を始めて輸入され、新しい国づくりをされた実に英明幸運の方であると共に、神徳も強くあられたので 伊勢につぐ御先祖のお社として崇敬された八幡社であり、宇佐神宮の摂社としてお祀りされたが 明治五年郷社に列せらる。

拝殿に掲げられた案内板より

 【境内社 (Other deities within the precincts)】

 ・祇園社《主》素盞嗚男命

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります


宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡

かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました

詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

宇佐神宮から R10号を西へ約3.5km 車8分程度
駅館川を渡った所に鎮座します

郡瀬神社(korise shrine)に到着

社号標が鳥居脇にあり「郡瀬神社」とあります

一礼をして 社頭の鳥居をくぐり抜けます

扁額には「八幡神社」とあります

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿向かって左横にある祠にもお詣りします

参道を戻り 鳥居をくぐり抜け 振り返り一礼します

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される「鷹居瀬社」の伝承

「鷹居瀬社(takaise no yashiro)」とは

昔 八幡大神が 
鷹の姿となって瀬を渡り 東岸の「鷹居」の松に居て
空を飛んで 西岸の「郡瀨」の地におりたので 駅館川(yakkan gawa)の東岸に鎮座する「鷹居社」(鷹居神社)と西岸に鎮座する「郡瀬社」(郡瀬神社)の2つの神社を合わせて「鷹居瀬社」(takaise no yashiro)と伝わります

これは 辛島氏と大神氏が 居住区を分けていた駅館川(yakkan gawa)の両岸に 両氏各々が 八幡神を祀った経緯として捉えられていて
「鷹居神社」では 辛島勝乙目(karashimano suguri otome)が大神比義(oga no higi)と神殿を祀ったとありますので 大神氏による辛嶋氏の服従化・協力化が進んで 合同祭祀が開始したと考えられます

【原文】
自利其至流鷹居 云々 次 郡瀨 云々 自利其至流郡瀨 云々
此兩所者 有宇佐郡大河 化鷹渡瀨居東岸之松 又飛空遊西岸之地 故云鷹居瀨社 斯鷹是大御神之變也 大神比義祀祈顯之 立祠致祭也

意訳
「 それより鷹居(takai)に至ります うんぬん
 次 郡瀨(konose)うんぬん
「それより郡瀨に至ります」うんぬん

この両所(futa tokoro)は 宇佐郡(usa no kohori)の大河にあります
鷹に代って 瀨を渡り東の岸の松に居ました

また空を飛び 西岸の地に遊す

故に 鷹居瀨社(takaise no yashiro)と云います 

この鷹は これ大御神の変(kawari)なり 大神比義(ohoga no higi)祈り奉り これを顯(araha)す 祠を立て 祭を致すなり  」

『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される「鷹居瀬社」の伝承

「鷹居瀬社(takaise no yashiro)」からの 遷座について

宇佐の大河であった 駅館川(yakkan gawa)を渡る浅瀬が ここにあり 交通の要所であったようです

この両岸に鎮座する鷹居瀬社(takaise no yashiro)【鷹居神社・郡瀬神社】に
霊亀2年(716)に八幡大神の神託があり「大神朝臣諸男(oga no ason moroo)」「辛嶋勝波豆米(karashima no suguri hazume)」が 新たに小山田の森に神殿を造営します
八幡大神は「鷹居瀬社」から「小山田社」(小山田神社 )に遷宮されます

【原文】
一云 四十四代元正天皇二年。靈龜二年丙辰
 此所波路頭仁志弖往還乃人無禮奈利 訦牟禮波此等甚慰志 小山田乃林仁移住世牟登願給布者

「意訳」
「 この場所は路頭にあり 往還の人はありますが 敬う人はいない
これを咎めるには とても慰めしいことである 小山田の林に移り住みたいと願う  」

かつて 宇佐神宮の行幸会(gyokoe)という大事な祭儀がありました その行幸会(gyokoe)に 深い関係のある由緒正しい神社です 宇佐神宮の先の宮ともされています

郡瀬神社(korise shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

宇佐神宮の記事もご覧ください

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「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について に戻る

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