⑬大年神(おおとしのかみ)・羽山戸神(はやまとのかみ)の系譜

大年神(おおとしのかみ)・羽山戸神(はやまとのかみ)の系譜
大国主神が 耕作の神として 時間・空間を越えた支配と統治を神格化したものか

穀物神大年神(おとしのかみ)は 『古事記』には 須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の御子神されます 兄弟神には 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)があり これ穀物神
さらに 大年神と香用比売(かぐよひめ)の御子神穀物神御年神(みとしのかみ)続きます

羽山戸神(はやまとのかみ)は 山の麓の神で 耕作から収穫までの一年の農耕の模様を意味する神とされます

大歳社出雲大社 境外末社《主》歳神(おほとしのかみ)

素戔鳴尊(すさののみこと)の御子神 五穀を守護される神
〈耕作に関する大国主神の支配する時間・空間の神格化とする説があり

・葛木御歳神社(御所市東持田)《主》御歳神(みとしのかみ) 

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

大年神(おほとしのかみ)が
神活須毘神(かむいくすびのかみ)の娘 伊怒比売(いのひめ)をり 産んだ子は 大国御魂神(おほくにみたまのかみ)
次に韓神(からのかみ)次に曽富理神(そほりのかみ)次に白日神(しらひのかみ)次に聖神(ひじりのかみ)

五神です

又 大年神(おほとしのかみ)が
香用比売(かぐよひめ)をり 産んだ子は 大香山戸臣神(おおかぐやまとみのかみ)次に御年神(みとしのかみ)
二神です

又〈大年神(おほとしのかみ)が〉
天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)をり 産んだ子は 奥津日子神(おきつひこのかみ)次に奥津比売命(おきつひめ) 亦名(またのな)は 大戸比売神(おほべひめのかみ)
これは人々が祀る 竃(かまど)の神

次に
大山咋神(おほやまくいのかみ) 亦名(またのな)は 山末之大主神(やますえのあほぬしのかみ)これは 近江国(おうみのくに)日枝山(ひえのやま)〈比叡山〉また 葛野の松尾に坐(ましま)し 鳴鏑(なりかぶら)に 用(なりませる)神なり
次は庭津日神(にはつひのかみ)次に阿須波神(あすはのかみ)次に波比岐神(はひきのかみ)次に香山戸臣神(かくやまとみのかみ)次に羽山戸神(はやまとのかみ)次に庭高津日神(にわのたかつひのかみ)次に大土神(おほつちのかみ) 亦名(またのな)は 土之御祖神(つちのみおやのかみ)
九神

上件(かみのくだり)大年神(おほとしのかみ)の子 大国御魂神(おほくにみたまのかみ)から 大土神(おほつちのかみ)まで合せて十六神

さて
羽山戸神(はやまとのかみ)が
大気都比売神(おほげつひめのかみ)をり 産んだ子は 若山咋神(わかやまくひのかみ)
次に若年神(わかとしのかみ)次に妹若沙那売神(いもわかさなめのかみ)次に彌豆麻岐神(みづまきのかみ)次に夏高津日神(なつのたかひのかみ) またの名を 夏之売神(なつめのかみ)次に秋毘売神(あきひめのかみ)次に久々年神(くくとしのかみ)次に久々紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)

上件(かみのくだり)羽山戸神(はやまとのかみ)の子 若山咋神(わかやまくひのかみ)以下(よりしも) 若室葛根神(わかむろつなねのかみ)以前(まで) 併せて八神

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
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