福井県

八幡神社(敦賀市三島)〈『延喜式』石田神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて 気比神宮に参拝されました折に 浦人が この地に砂を盛り 地を清めて 行宮を建立した」と伝わり 延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で「石田君之祖 即ち 石田大神」を大宝4年(704)に奉祀された社です

石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉

石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています

春日神社(福井市石畠町)〈『延喜式』石田神社〉

春日神社(かすがじんじゃ)は 慶長以前創立と伝わり 明治四十三年九月 中山村三五番地字村北原の硲神社(はさまじんじゃ)に合併 のち再び現在地(石島部落の末端の丘陵地)に遷座された 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社です

國中神社(越前市国中町)〈『延喜式』國中神社二座〉

国中神社(くになかじんじゃ)は 元は 当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座しており 七堂伽藍を具備し 奉仕の社僧も多かったが 延元天正數度の兵燹に罹り 悉く焼亡してしまった 当郡一の大社であったと云う 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされます

國中神社(越前市中津山町)〈『延喜式』國中神社二座〉

國中神社(くになかじんじゃ)は 社伝によれば 当社は越前の中央にあり 越の中山と称し 和名抄に中ツ山の郷とあります 祭神は越國の御霊彦姫の二柱を祭る 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされ 往古より上宮外宮と分け祀り 当社は上宮の一座であったとされます

Copyright© Shrine-heritager , 2026 All Rights Reserved.