識名宮(那覇市繁多川)

識名宮(しきなぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで その創建の伝承では 識名村に夜々光輝することがあり 大阿母志良礼(おほしられ)といふ神職を努めてゐる女が検分をして 賓頭盧の霊光を確認すると 願いが叶えられた これを聞き及んだ 尚元王(1556~72年在位)の長子 尚康伯が 病気回復に霊験を得て 寺と宮を建てたと伝えられます

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

識名宮Shikinagu

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

沖縄県那覇市繁多川4丁目1−43

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊弉冉尊(いざなみのみこと)
   速玉男命(はやたまをのみこと)
   事解男命(ことさかをのみこと)
   午ぬふぁ神(ごぬふぁしん)〈午の方角の神
   識名女神(しきなめのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

琉球八社

【創  (Beginning of history)】

繁多川
字指定文化財

識名宮(しきなぐう)

識名宮は琉球八社と呼ばれた社の一つ。

特に琉球王の篤い振興を承(う)け、尚元王(1556~72年在位)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺(じんおうじ)を建てたという。尚賢王(1644年)から毎年1・5・9月の吉日に国王の参拝が始まった。

所在地 沖縄県那覇市繁多川4丁目1-43
面 積 863㎡

平成21年11月17日 繁多川自治会
現地案内板より

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【由  (History)】

由緒

識名宮、那覇市繁多川鎮座、
 神、伊弉冊尊、速玉男命、事解男命、午ぬふぁ神、識名権現(女神)、
例大祭、9月15日

 
 社号は「琉球神道記」には「尸棄那権現」「由来記」には「姑射山権現」と記されている。尚、前者には「縁起亦明カナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されている。
「遺老説伝」によれば、識名村に夜々光輝することがあり、大あむしられが検分をしたところ、洞内に賓頭蘆が一体安置されていたといい、彼女が尊信すると感があった。尚元王(1556~72)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたという。
社殿はもと洞内にあったが湿気がひどく腐朽し、康煕19年(1680)に洞外に移築して、瓦葺とした。毎年1・5・9月の吉日に国王の行幸があった。
現在の社殿は、大戦後、建立したもので、戦前の建物は、三間社流造り、本瓦葺き、桁行3.7m、梁間2.4mの建築で、沖宮本殿に類似していたといわれるが、残念ながら、戦災で焼失した。戦後、昭和43年12月復興した。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・識名宮洞窟(シキナグゥヌガマ)

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・本殿覆い屋

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・拝殿

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・狛犬

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・識名宮復興記念碑

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・二の鳥居

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・社務所

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・社頭の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・神応寺跡(じんおうじあと)

識名宮(那覇市繁多川)の東側に隣接

グーグルマップ

繁多川
字指定文化財 (平成21年11月17日指定)

神応寺(じんおうじ)跡

神応寺(じんおうじ)の創建は識名と同じ頃の尚元(しょうげん)王代1556~1572年)と思われる。

真言宗の寺で本尊(ほんぞん)は千手観音(せんじゅかんのん)と阿弥陀如来(あみだにょらい)となっていた。明治になって神仏分離政策がとられるまで識名宮とは不離一体の存在と考えられていた。
 沖縄戰で破壞され再建されることなく1991年那覇市に寄贈された。1993年跡地に、「神応寺跡」碑設置、2005年には公民信・図書館が建設された。

 なお、本堂につながる石組みの階段と石垣が沖縄戦の破壊を免れ現存している。
所在地  那覇市繁多川4-1-38  令和 2年11月30日 繁多川自治会

現地案内板より

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神応寺は、開山の往持や創建年代さもに明確ではないが、王国代に建立された古刹である。琉球八社の一つの識名宮に隣接し、俗に識名の寺とも称されていた。
 本瓦葺の伽藍は、昭和二十年の沖縄戦で破壊された。平成三年に至って、寺跡地が関係者によって本市に寄贈された。
 そこで、この地に神応寺のあった証しとして、記念碑を建立する。
平成五年三月吉日 那覇市長 親泊康晴

現地石碑文より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『琉球王代文献集』第8輯昭和17-18〉に記される伝承

識名村に夜々光輝することがあり 大阿母志良礼(おほしられ)といふ神職を努めてゐる女が検分をして 賓頭盧の霊光を確認し 願いが叶えられていきましたところ これを聞き及んだ 尚元王(1556~72年在位)の長子 尚康伯が 病気回復に霊験を得て 識名宮と神応寺(じんおうじ)を建てた 伝承が語られています

【抜粋意訳】

寺識名(てらしきな)(識名村賓頭盧霊験あること)

真和志(まわし)の識名邑(しきなむら)はもと茫々(ぼうぼう)たる荒野(あらの)でー軒(いっけん)のお家(うち)もなかったのでした。
その昔、毎夜のようにそこから冲天(ちゅうてん)高く光り輝(かがや)くものがあります。崎間知之(さまなし)の妻(つま)で大阿母志良礼(おほしられ)といふ神職(しんしょく)を努(つと)めてゐる女(いなふ)が、或夜ひそかに その光をたづねて行きました。
真暗(まっくら)の闇(やみ)を、人一人(ひとひとり)通らない荒野を冷(ひや)りと感ずる夜風に、時々身ぶるいしながら、やっと行きつきますと、そこに一つの洞(ほらあな)があって、洞の中に賓頭盧(びずろ)といふ神石(しんせき)が安置(あんち)されてゐました。大阿母志良礼は、之(これ)を見て 夜(よ)な夜(よ)な冲天(ちゅうてん)光り輝(かがや)くまのハ、必然(きっと)、この神石の霊應(れいちょう)にちがひない! と思ひましたので、それからといふもの この神石を御身体(ごしんたい)として尊(たっと)び信(しん)じてゆきました。そしていろいろ望事(のぞみごと)があって お祈(いの)りをしますと、何でも叶(かな)へて下さいます。
その事が遠近に聞こえまして多くの人々が信仰(しんこう)するやうになりました。

 大具志川王子(おほぐしかはおうじ)朝通(とうつう)といふ方が病気に罹(かか)りました。大阿母志良禮ハ之を聞いて 早速 王子の御邸(おやしき)へ参り、彼の賓頭盧が、非常に霊験(れいけん)がある由(よし)を言上致しました。王子はこれをお聞きになって大そうお喜びになり、恭(うやうや)しく賓頭盧(びずろ)へ御祈願(ごきぐわん)なさいますと、日一日と快(よ)くなって、不思議や、しばらくのお祈りで病気全快、元(もと)の丈夫なお體になられました。それで王子は惜しみなく大金を出して宮(みや)及び寺を此處(ここ)にお建てになり、亦(また)立派な住居(すまい)をその傍(かたわら)に建てて、大阿母志良禮を住まはせ、看守(かんしゅ)をせしめられました。それから大阿母志良礼ハ毎月 朔日(ついたち)と十五日はとりわけ斎戒沐浴(さいかいもくよく)して尊信して行きました。

 其の後、朝議があって王様のお耳に達し、遂に、官寺となり、その側の空地に、更に1軒を新築して、それを大阿母志良禮(おほしられ)に賜はりました。
 大阿母志良礼は一人の孫娘(まごむすめ)がありました。それが體中(からだぢゅう)眞白で髪も眉も雪のやうでした。その人物と申しますと、言葉を謹(つつし)み、神佛を尊(たつと)び、菜食(さいしょく)をして、非常に間食を嫌(きら)ひました。或る日のこと、その娘が宅(うち)の近くにある榕樹(ガジュマル)の下に徃きますと、見る見る姿が消えてしまひました。家族の者は全くあっ気にとられたのでしたが、これハ神様だったに違ひないと、それから神として祟(あが)めるやうになりました。そして御供物(そなへもの)は必ず疎菜類(そなるい)を上げました。また大阿母志良礼は、家の者は
『あの榕樹(ガジュマル)は、決して伐(き)つてハならぬ、折(を)ってはならぬ、それハ神霊(しんれい)の宿(やど)る所だから、』と堅く言ひ いましめました。そのことが 亦(また)遠近の人に聞えまして これを尊信(そんしん)する者が多くなつて、遂に神社として崇(あが)めるやうになりました。

 むかしハ識名村は一軒の人家もなく、唯だ大阿母志良礼の一家があるばかりでしたが中古(なかむかし)から後 次第次第に人々が集って来て 遂に創めて村を建てたのである。名づけて識名村い曰(い)ひますが、俗に寺識名と呼んでいます。

(原文)・・・・・

(考証)
琉球王代の神職にハ、その最上位を聞得大君(きこえおほぎみ)といひ、次が 大あむしられ、次に祝女根(ノロエー)神、おくで、などなど呼ばれる者がある。
・・・・

【原文参照】

琉球王代文献頒布会 編『琉球王代文献集』第8輯,琉球王代文献頒布会,昭和17-18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143324

琉球王代文献頒布会 編『琉球王代文献集』第8輯,琉球王代文献頒布会,昭和17-18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143324

琉球王代文献頒布会 編『琉球王代文献集』第8輯,琉球王代文献頒布会,昭和17-18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143324

琉球王代文献頒布会 編『琉球王代文献集』第8輯,琉球王代文献頒布会,昭和17-18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143324

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

識名宮(那覇市繁多川)  琉球八社の一つです

琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

ゆいレール 首里駅から県道241号・県道82号経由で約3.2km 車12分程度

神社の西側が駐車場になっています

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(駐車場所の指定があります)

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駐車場からは 二の鳥居の手前に出ます

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識名宮(那覇市繁多川)に参着

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一度 一の鳥居迄戻ります

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一礼をして 鳥居をくぐります
鳥居には゛識名宮゛と刻字されています

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参道を進み 二の鳥居をくぐり 拝殿にすすみます

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拝殿前にシーサーの狛犬

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥 本殿の横には 識名宮洞窟(シキナグゥヌガマ)があります

識名村に夜々光輝することがあり 大阿母志良礼(おほしられ)といふ神職を努めてゐる女が検分をして 賓頭盧の霊光を確認した゛と創建の伝承にある洞窟の入り口です

扉は閉まっていて この時は゛洞窟は毎月新暦の一日、十五日に開扉致します゛と記されていました

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社殿の一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『琉球神道記』〈万暦33年(1605年、和暦では慶長10年)〉に記される伝承

識名宮(那覇市繁多川)ついて 「尸棄那権現」と記され 緣起は明らかではないが 祭神については「熊野卜見へタリ。石窟惟霊地也」と記しています

【抜粋意訳】

琉球神道記 巻第五 尸棄那権現神應寺

尸棄那権現事

緣起亦明ナラズ。熊野卜見へタリ。石窟惟霊地也。上ヨリ垂ル、石禮ハ下化衆生ノ相ヲ顯シ。下ヨリ昂ル嵓(ケワシイ)根ハ上求菩提卜覚(オボフ)也。云ナラク熊野ノ本體ハ水精石也。爾ニ今石窟ニ住シ給フハ。依正不二ノ粗也。見ルニ佛殿安置ノ本尊ハ阿弥陀如来也 爾ニ比本地トテ祟ニハ非レ共。自然符合シテ唯是本宮證誠権現ナルベシ。

【原文参照】

良定 著 ほか『琉球神道記』,明世堂書店,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1040100

識名宮(那覇市繁多川) (hai)」(90度のお辞儀)

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琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

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