隼神社〈角振明神〉(奈良市角振新屋町)

隼神社(はやぶさじんじゃ) 平安京への遷都によって京都に遷座された式内社の隼神社の本社伝わります 御祭神 角振隼総別命(つのふりはやぶさわけのみこと) 鎮座地 角振新屋町の地名の由来ともなっています 角振明神(つのふりみょうじん)とも呼ばれます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

隼神社(Hayabusa shrine)

 [通称名(Common name)]

・角振明神(つのふりみょうじん
椿本神社(つばきもとじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市角振新屋町44

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》角振隼総別命(つのふりはやぶさわけのみこと)

《配》市寸島姫命いちきしまひめのみこと

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の元社

【創  (Beginning of history)】

社伝に 人皇三十四代 舒明天皇御世(皇紀一三一五年 西暦六五五)茅努王勅を奉して 春日の邑 率川坂上(現在 角振 及同新屋一門)に祭り給ふ

その後 平安京への遷都によって京都に遷座された隼神社の本社云う

平安京への遷都の後も 奈良の地で祀られていたが 治承4年1180平重盛の兵火に罹り炎上 以来 柿の老木を神木と仰ぎ神事は継続されている
何時の頃からか 柿の老木の傍らに小祠〈宗像神〉が祀られるようになった

【由  (History)】

奈良市角振町四十四番地鎮座

隼神社 由緒書

一、御祭神
  角振隼総別命 神武天皇ノ大和平定ニ寄与シ給フタ大神デ 昔カラ柿ヲ神木トシテ神殿ヲ設ケズ

配祀 市寸島姫命 モト社頭ハ神宮寺邸内デ何レノ頃ニカ神木ノ傍ニ社殿ヲ設ケテ奉遷ス

一、御鎮座大要
人皇三十四代 舒明天皇御世僧安(此 元号年代記ニ見エズ)五年二月(皇紀一三一五年 西暦六五五)茅努王勅ヲ奉シテ 春日ノ邑 率川坂上(現在 角振 及同新屋一門)二祭リ給フ
由来朝家ノ崇敬厚ク平安遷都卜共二特ニ 京師ニ遷シ給フタ隼神社ノ 本社ハ 此方デ 神階モ 天暦五年ニ 無位カラ従三位卜封戸五烟トヲ奉リ 寛弘三年ニハ 一躍正二位ニ進メ給フタ 又 年中ノ祭資ハ 別当ノ神宮寺 大慈院 久福寺ノ三ヶ寺ガ毅然トシテ承ハリシニ 惜イカ 治承四年 平中将重衡ノ兵火ニ罹リ別当寺卜共ニ炎上ス 爾来 柿ノ老樹ヲ神木卜仰キ 恒例ノ神事ヲ行フ

何レノ頃カ神木ノ傍ニ小祠ヲ設ケテ 宗像神ヲ遷ス之ハ モト神宮寺ノ庭内社卜称ス降ツテ 建治四年 興福寺ノ大火後 再度ノ火難ニ類焼シテ終ニ現状ノ小祠トナリシハ嘆イテモ余リアリ  以上

御子守縁起同書ニ引ク 大政官符 成身院英俊記録
日本紀畧 元要記 大和志 防目考 保元物語等要約ス

一、年中祭祀
大祭 四回
 祈年祭 毎 二月一日
 例 祭 毎 七月七日ト八月一日両度
 新嘗祭 毎 十一月二十一日

中祭 四回
 元三祭(歳旦祭) 正月元旦
 紀元節(建国記念日の日)毎 二月十一日
 天長節(天皇誕生日)聖上降誕日
 明治節(文化の日)毎 十一月三日

小祭 十二回
 月次旬祭 毎月一日

以上

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

延命地蔵尊

奈良市指定文化
木造地蔵菩薩半珈像 一

昭和六十三年三月三指定
像髙 七三センチメート
檜材 寄木造 玉

 平安時代後(十二世紀以降)に流行した片脚を踏み下げて座る姿の地蔵菩薩 像である
 市内にある同様の地蔵菩薩像は少なくその中でも古いものである 檜材の寄木造(よせぎづくり)で 目には玉眼(ぎょくがん)がはめ込まれており 着衣の表面には細かな文様が施されている 光背 台座は後に作られたものである 平安後期の穏やかな表現を残すものの 厚みを増した体つきや着衣形式 文様などから 鎌倉時代の特色が窺われる 小像ながら13世紀 前半の美作として貴重なものである
昭和六十三 奈良市教育委員会

現地立札より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

隼神社〈角振明神〉(奈良市角振新屋町)は 『大和志』に 昔は春日山にあり 椿本の神祠という 記されています

春日神社 境内社 椿本神社があり 祭神は 角振神祭神は別名「隼の明神」

椿本(つばきもと)神社

御祭神 角振神(つのふりのかみ)
御例祭 五月二日
御神徳 魔物をいくださる神様

御由緒 鎌倉時代に成立した「春日権現験記」に関白藤原忠実公の御殿に忍び込んだ天狗法師(魔物)を御祭神の霊威によって追い払う話が見える。

古来魔物(天狗)退散除災の神様として信仰されている。
現地立札より

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・春日大社(奈良市春日野町)の・摂社・末社

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

隼神社〈角振明神〉(奈良市角振新屋町)は 平安京への遷都によって京都に遷座された隼神社の本社云う

その後も奈良の地で祀られていたが 治承4年1180平重盛の兵火に罹り炎上し 以来 柿の老木を神木と仰ぎ神事は継続されている

この由緒によれば 京都の式内社 隼神社の 元宮 となります

式内社 隼神社(延・大月次新嘗)(はやふさの かみのやしろ)〈元宮〉

・隼神社・梛神社(京都市)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神 角振隼総別命は 鎮座地の角振新屋町の地名の由来となる

御祭神の神名は 角振隼総別命(つのふりはやぶさわけのみこと)です 鎮座地の角振新屋(つのふりしんやちょう)の語源となっています

古代の大和〈奈良〉は 平城京と藤原京 を南北に繋ぐ街道〈上ツ道 中ツ道 下ツ道〉が幹線道路でした

この大和〈奈良〉を南北に平行に走る 幹線道路は 中世 近世には 上街道 中街道 下街道と呼ばれていたようで

隼神社〈角振明神〉の鎮座地 角振新屋(つのふりしんやちょう)は 奈良市の目抜通りである 三条通り と中街道の交差地点にあり 往時は大変栄えていたと云われます

中街道

角振町から椿井、東城戸、南城戸・・・京終町につづく道路を中街道と呼ばれている。
上街道、下街道とともに大和盆地を南北に通ずる重要産業道路として県道に指定された江戸時代から明治、大正、昭和の初期まで豪商が軒をならべていたところである。

現地案内札より

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄奈良駅から 小西さくら通り〈旧 中街道〉を北へ240m 徒歩3分
JR奈良駅から春日大社へと東西に通じる 三条通りが交差する地点辺りに 小さいながら 朱色の透塀と門扉 朱色の鳥居があります

向かって左手が 隼神社 右手が延命地蔵尊
隼神社〈角振明神〉(奈良市角振新屋町)に参着

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門扉にはがかかりますので 道路から 境内に近づきます
鳥居越しに境内を眺めると 正面は隼神社の提灯が掲げられていて 開放的ですので拝殿でしょうか?

左手には 玉垣に囲まれた神木があります この木が社伝にある

兵火に罹り炎上 以来 柿の老木を神木と仰ぎ神事は継続されている 何時の頃からか 柿の老木の傍らに小祠〈宗像神〉が祀られるようになった」とする柿の老木の何代目かなのでしょうか

その神木の奥に 朱色の鳥居が建ち 小祠が祀られています

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社伝の通りなら 御神木が隼神社で 祠が〈宗像神〉となるのですが

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〈賽銭箱はありませんので 隣の延命地蔵尊に

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『五畿内志(Gokinaishi)』〈享保14年(1729~1734)編纂〉に記される伝承

江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』
※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました

隼神祠は 昔は春日山にあり 椿本の神祠という 記されています

【抜粋意訳】

五畿内志 中巻 大和志
大和國之二 添上郡 【神廟】 隼神祠

在に 南都角振町
在に 春日山 号曰に 椿本神祠 事見ゆに 成身院僧英俊大文十二年日録

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『五畿内志』著 並河永 著 編纂 享保14年(1729)[他] 出版 昭和4(1929年)日本古典全集刊行会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179429

隼神社〈角振明神〉(奈良市角振新屋町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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京中に鎮座する 3座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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