富士山 世界文化遺産 構成資産 と 浅間神社について〈Fuji World Heritage Sites and Sengen Shrine〉

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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目次

富士山 世界文化遺産 構成資産〈25項目〉

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ふじさん―しんこうのたいしょうとげいじゅつのげんせん―」について 富士山 世界文化遺産 構成資産順に 富士山信仰に大きく関わる 各登山口にある 浅間神社(せんげんじんじゃ・あさまじんじゃ)の関わりについて 見つめていきます

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1 富士山域

1-1 山頂の信仰遺跡群

富士山の山頂部には 富士山本宮浅間大社奥宮や鳥居など 富士山信仰に関連する複数の場所や施設が分布しています
富士山が「信仰の対象」であり 修験の場であったことを今に伝えています

・〈富士山頂上 奥宮〉富士山頂上 浅間大社 奥宮 & 富士山頂上 久須志神社

 

1-2 大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)

大宮・村山口登山道は 富士山本宮浅間大社を起点とし 村山浅間神社を経て山頂の南側に至る古い登山道です
そのうち資産範囲は 六合目以上の現在の富士宮口登山道に該当します

富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)駿河国一之宮 

 

村山浅間神社(富士宮市村山) 

 

1-3 須山口登山道(現御殿場口登山道)

須山口登山道は 須山浅間神社を起点とし 山頂の南東部へと至る登山道です そのうち資産範囲は 現在の御殿場口登山道となっている標高2,050m以上と 古くから安産の神として信仰の対象であった「須山御胎内(すやまおたいない)」周辺

須山浅間神社裾野市須山 

 

1-4 須走口登山道

須走口登山道は 冨士浅間神社(須走浅間神社)を起点とし 八合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至る登山道です
そのうち資産範囲は 五合目以上です

須走浅間神社東口本宮冨士浅間神社〉(駿東郡小山町須走 

 

1-5 吉田口登山道

吉田口登山道は 北口本宮冨士浅間神社を起点とし 山頂の東部へ至る登山道です
そのうち資産範囲は 登山道の全区間となっています

北口本宮冨士浅間神社富士吉田市上吉田 

 

1-6 北口本宮冨士浅間神社

北口本宮冨士浅間神社 浅間大神(あさまのおおかみ)つる遥拝(ようはいじょ)を起源とする富士吉田市にある神社です
古代日本の伝説的英雄 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 祠を建てて富士山の神霊を遥拝したのが始まりです〈遥拝とは聖地を遠くから参拝する方法

北口本宮冨士浅間神社富士吉田市上吉田 

 

1-7 西湖(さいこ)

西湖は 富士河口湖町にある湖で 富士五湖のひとつです
9世紀半ばまでは 剗の海(せのうみ)と呼ばれる巨大な湖でした 貞観6年(864)に起こった富士山の大噴火により溶岩流が湖の大半を埋め 現在の西湖が形成されました

1-8 精進湖(しょうじこ)

精進湖は 富士五湖のうち最も小さい湖として知られています
精進湖も西湖と同じように富士山周辺の八つの湖沼を巡「内八海巡り」が多くの富士講信者によって行われた富士山信仰と縁の深い湖で

1-9 本栖湖(もとすこ)

本栖湖は 富士五湖のうち最大の水深がある湖です
本栖湖も西湖 精進湖と共に富士山周辺の八つの湖沼を巡「内八海巡り」が多くの富士講信者によって行われた富士山信仰と縁の深い湖で

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2 富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社は 富士山を神体山として浅間大神(あさまのおおかみ)を祀る「浅間神社」の総本宮で 富士信仰の中心地です
境内には富士山の湧水「湧玉池(わくたまいけ)」があり かつて登山者はここで登山前の水垢離(みずごり)を行いました

・富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)駿河国一之宮 

 

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3 山宮浅間神社

山宮浅間神社 富士山本宮浅間大社元宮
日本武尊(やまとたけるのみこと)創建とされ 1900年以上の歴史を誇全国にある浅間神社の中で最も古い神社と考えられています
富士山をご神体として祀遙拝所遥拝とは聖地を遠くから参拝する方法〉で 社殿が存在せず 古の富士山信仰を今に伝えています

・〈元宮〉山宮浅間神社(富士宮市山宮) 

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4 村山浅間神社

村山浅間神社 かつての村山登山道の起点となった神社で
かつては 富士山興法寺(ふじさんこうほうじ)と呼ばれ 富士山を信仰する修験者の修行の場であり 現在も境内には神仏習合の習わしとして浅間神社とともに大日堂が祀られている 富士修験道の信仰の歴史を伝承しています

・村山浅間神社(富士宮市村山) 

 

5 須山浅間神社

須山浅間神社 須山口登山道の起点起点となった神社で
社伝では 日本武尊(やまとたけるのみこと)創建とされ 須山口登山道から山頂を目指す者が みそぎを行い 登山の安全を祈願していました

須山浅間神社裾野市須山 

 

6 冨士浅間神社(須走浅間神社)

冨士浅間神社 須走口登山道の起点となる神社です
延暦21年(802)に富士山の噴火が起り 鎮火祭を行った跡地に社殿を造営大同2年(807)したのが始まりとされ 江戸時代 富士講が盛んな時期には多くの信者たちが足を運んでいました

須走浅間神社東口本宮冨士浅間神社〉(駿東郡小山町須走 

 

7 河口浅間神社

河口浅間神社 富士山の北麓に位置する神社です
864年〈巨大な剗の海(せのうみ)溶岩が埋めて「西湖」と「精進湖」を形成し「青木ヶ原樹海」生んだ〉貞観大噴火を契機に 北麓側に初めて浅間大神を祀ったのが創祀〈貞観7年(865)です
参道境内は 古老があり 訪れる人の心に畏怖の念抱かせ迫力を持っています

・河口浅間神社(富士河口湖町)  

 

8 冨士御室浅間神社

冨士御室浅間神社 吉田口登山道沿いにおける富士山信仰の重要な拠点として 二合目の本宮(もとみや)と 土地の産土神としての里宮が 一体となって機能してきた特徴的な神社です
本宮は朱鳥14年(699)富士山二合目に奉斉されたと云われ その後807年までに社殿建てられ 958年 村上天皇により河口湖の南岸に里宮が創建されています

冨士御室浅間神社 本宮 里宮富士河口湖町勝山 

 

9 .10御師住宅(旧外川家住宅小佐野家住宅)

旧外川家住宅小佐野家住宅は 御師と呼ばれる人が住んでいた家で
御師富士講信者が登拝を行う際 宿の提供や食事の世話をしたり 富士山信仰の布教活動祈祷を行うことを業としていた

11 山中湖(やまなかこ)

山中湖は 富士山麓の東北にある湖で 富士五湖の中では最大の大きさを誇り 富士山から最も近い距離にあります
かつて 富士山周辺の八つの湖沼を巡「内八海巡り」が多くの富士講信者によって行われた富士山信仰と縁の深い湖で

12 河口湖

河口湖は富士山麓の東北にある湖で 富士五湖のひとつです 河口湖も山中湖と同じく 富士山周辺の八つの湖沼を巡「内八海巡り」が多くの富士講信者によって行われた富士山信仰と縁の深い湖で

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13~20 忍野八海(おしのはっかい)
〈・出口池お釜池底抜池銚子池湧池濁池鏡池菖蒲池

忍野八海は 富士山の伏流水による八つの湧水池で
長谷川角行はせがわかくぎょう)が行った修行富士八海修行になぞらえ「富士山根元八湖ふじさんねもとはっこ」と唱えられた古跡の霊場と伝えられます 富士講信者によって再興1843年された 八海それぞれに八大竜王を祀り 富士山信仰に関わる巡拝地として 富士登拝を行う道者たちは この水で祓いした

21 船津胎内樹型

船津胎内樹型は 富士講の開祖 長谷川角行が富士登拝時17世紀初頭に船津胎内樹型を発見し その内部に浅間大神(あさまのおおかみ)を祀ったとされています
胎内樹型とは 溶岩樹型の内部が 人間の胎内に似ているのでそのように呼ばれ 信仰の対象とな歩いて通る「胎内巡り」と呼ばれる信仰行為が行われるようになりました
中でも 船津胎内樹型と吉田胎内樹型の2つは 特に多くの富士講信者によって重視され 霊地として位置付けら場所です

無戸室浅間神社〈船津胎内神社〉(富士河口湖町胎内) 

 

22 吉田胎内樹型

吉田胎内樹型は 船津胎内樹型と並び 多くの富士講信者によって重視され 霊地として位置付けら場所です
富士山が噴火した際承平7年(937)流出た溶岩によ形成され 周辺には約60の樹型が分布します

吉田胎内樹型の内部は 非公開で見ることができません 年に1度4月29日に行われる「吉田胎内祭」の時〉には見ることが可能

23 人穴富士講遺跡

人穴富士講遺跡は 人穴浅間神社の境内にある遺跡です
富士講の開祖 長谷川角行の修行の場であり 苦行の末に入滅したとされる人穴風穴をはじめ 信者による約230基もの碑塔群が残存しています
この風穴(溶岩洞穴)の人穴は 「浅間大菩薩せんげんだいぼさつの御在所」と伝えられた約7000年前の富士山の噴火によって流れ出た溶岩で誕生したとされる全長83mの溶岩洞穴です

人穴浅間神社富士宮市人穴

 

24 白糸ノ滝

白糸ノ滝は 富士山の伏流水が幾筋も絹糸のように落ち 美しさとやさしい景観を見せ富士山が作り出す雄大造形高さ20m・幅150mにもおよを伝える滝です
富士講の開祖 長谷川角行が修行を行った地で 富士講を中心とした人々の巡礼・修行の場となりました

25 三保松原

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三保松原は 海岸線には約3万本の松が生い茂り その景色の美しさから 古くから富士山を望む聖地として 天女の伝説によって美しく語られ 昔から人々に親しまれ全国的に有名でした 富士山頂から南西約45kmの場所 構成遺産のなかで最も遠くにあります

〈参考〉・御穗神社(静岡市清水区三保)

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」概要

 出典:農林水産省Webサイト 森林整備部森林利用課より

名称 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」  Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
所在地 山梨県・静岡県
面積 構成資産面積:20,702.1ha、緩衝地帯面積:49,627.7ha
構成資産面積の約9割が森林であり、そのうち約4割が国有林野。
構成資産の
保護措置
文化財保護法、自然公園法及び国有林野の管理経営に関する法律
登録基準への適合 クライテリア(iii)独立成層火山としての荘厳な富士山の形姿は、間欠的に繰り返す火山活動により形成されたものであり、古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた。頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて、巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った。これらの宗教的関連性は、その完全な形姿としての展望を描いた無数の芸術作品を生み出すきっかけとなった富士山への深い憧憬、その美しさへの感謝、自然環境との共生を重視する伝統と結び付いた。一群の構成資産は、富士山とそのほとんど完全な形姿に対する崇敬を基軸とする生きた文化的伝統の類い希なる証拠である。

クライテリア(vi)湖沼及び海から立ち上がる独立成層火山としての富士山の図像は、古来、詩・散文その他の芸術作品にとって、創造的感性の源泉であり続けた。とりわけ19世紀初期の葛飾北斎及び歌川広重により浮世絵に描かれた富士山の図像は、西洋の芸術の発展に顕著な影響をもたらし、今なお高く評価されている富士山の荘厳な形姿を世界中に知らしめた。
構成資産 1 富士山域

  1-1 山頂の信仰遺跡群

  1-2 大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)

  1-3 須山口登山道(現御殿場口登山道)

  1-4 須走口登山道

  1-5 吉田口登山道

  1-6 北口本宮冨士浅間神社

  1-7 西湖

  1-8 精進湖

  1-9 本栖湖

2 富士山本宮浅間大社

3 山宮浅間神社

4 村山浅間神社

5 須山浅間神社

6 冨士浅間神社

7 河口浅間神社

8 冨士御室浅間神社

9 御師住宅(旧外川家住宅)

10 御師住宅(小佐野家住宅)

11 山中湖

12 河口湖

13~20 忍野八海

21 船津胎内樹型

22 吉田胎内樹型

23 人穴富士講遺跡

24 白糸ノ滝

25 三保松原

 

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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