大根川神社(矢立宮)

大根川神社(矢立宮)は 昔 八幡大神が 大根を食したので「大根河(one gawa)」と呼ぶと伝わります 養老4年(720)大隅・日向の隼人反乱の征伐のために 朝廷から任命された大友旅人が この地で矢を立てて必勝祈願をしたことから 矢立宮とも呼ばれています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 大根川神社(onegawa shrine)
 (おおねがわじんじゃ) 

 [通称名(Common name)]

 矢立宮(yatate miya)

【鎮座地 (location) 】

大分県宇佐市佐野1344

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(homutawake no mikoto)(第15代 應神天皇)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・宇佐神宮行幸会 境外8摂社

【創 建 (Beginning of history)】

・不詳

【由 緒 (history)】

矢立宮(大根川神社)

1.鎮座地 大分県宇佐市佐野1344

2.旧社格 郷社(明治5年

3.祭 神 誉田別命(ほむたわけのみこと・応神天皇)

4.由 緒 養老四年(西暦720年)に鹿児島県大隅半島の隼人一族を征討するために、大和朝廷から征隼人時節大将軍に任命された大伴旅人が この地で、弓矢の矢を立て必勝を祈願したことから、矢立宮と呼ばれていると伝承されている。

神亀二年(西暦725年)に、宇佐八幡宮がかの地に鎮座した後、勢力を広め矢立宮を行幸会8ヵ社の一つにし、大根川神社と名乗るようになった。

宇佐宮記に「[古老傅]に伝う、大根川神社は大神御霊行の昔、この川辺に於いて社女 大根の供養を奉る。故に爾云うとあり、大根は於保禰(おおね)と訓むべし』と記されている。

5.行幸会 中津市に鎮座する薦神社(大貞八幡宮)の神体である三角(御澄)池に生える真薦で造った新薦枕(御験・みしるし・神を表すもの)を、支配地の神の勝地(地勢のすぐれた土地)8ヶ所に鎮座した外宮を巡行し、宇佐八幡宮に収める儀礼、神護元年(西暦765年)に始まったとされている。

6.境 内 1475.28坪(4811㎡)

7.建造物 本殿(流造)・申殿・拝殿・回廊

8.川祭り カッパ祭りとして、下佐野・上佐野地区の住民が2年毎に交互に、水利・水難を守る河童の次郎衛門に感謝し、五穀豊穣を祈る特殊神事が行われている。
     境内の五十石川沿いに、自然石で造られた「河童の次郎衛門」の碑が建てられている。

9.その他 当神社に祈念すれば、失せ物が出てくると云われている。

平成27年(西暦2015年)11月 下佐野自治区 長峰地域づくり協議会

境内案内板より

 【境内社 (Other deities within the precincts)】

 ・本殿 横 左右に鎮座 祭神不明

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります


宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡

かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました

詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

天津駅から 県道656号経由 約3.2km 車8分程度
R10号線沿いに「一の鳥居」が建ちます 一礼して鳥居をくぐり抜けます

一の鳥居の 扁額には「大根川神社」とあり 立て看板には「矢立宮(大根川神社)」とあります

大根川神社(onegawa shrine)(矢立宮)に到着

二の鳥居が建ち 木の社号標には「大根川神社(矢立宮)」とあります
一礼して鳥居をくぐり抜けます

アスファルト舗装の参道が 拝殿まで続いています

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の奥には「申殿」(祝詞を奏上する殿)があり その奥が「本殿」となってる3層構造です

この「申殿」(祝詞を奏上する殿)の左右に玉掛けの狛犬が構えます

本殿の左右には それぞれ祠が鎮座しています それぞれにお詣りをします

本殿の左側に自然石で造られた「河童の次郎衛門」の碑が建てられています

境内を後にして 振り返り一礼します

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される
「大禰河(one gawa)」の伝承

八幡大神が 大根を食したので「大根河(one gawa)」と呼ぶとあります

【原文】
自利其至流大禰河 云々 古老傳云 大禰河也 大御神御修行之昔 於此河邊被召大根 故云尓也 有社 有祭矣

「意訳」
「 八幡大神が昔 「それより 大禰河(おほねがわ)に至りました」うんぬん

 古老が 傳(つた)へて 云うには 大禰河(おほねがわ)なり 
八幡大神が 御修行の昔 この河辺で 大根(だいこん)を召し上がりました それで 大禰河(おほねがわ)と云う
社(やしろ)有り 祭(まつり)有るなり 」

この地で矢を立てて必勝祈願をした

大根川神社(onegawa shrine)(矢立宮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

宇佐神宮の記事もご覧ください

「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について に戻る

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