Profile(プロフィール)

1958年1月生まれの私は

1980年代後半 日本はバブル景気の真っ最中でした
その時 私は 20代で 総合建設会社で会計予算業務を遂行していました

突然 重役から 建築祭事の式典の司会を任されます
「君 古式に従って式典を進行しなさい まずは地鎮祭の司会をしなさい」

「え~ 式典ですか??? 司会ですか・・」
通常業務を遂行しながらの兼務で びっくりしていましたが命令に従います

皆さんがご存知 建築には切り離せない 祝い事です
建物用地を整地して これから建築に取り掛かる「地鎮祭」
鉄骨や建屋が立ち上がった時におこなう「上棟式」
建物が完成するとお祝いする「竣工式」などです

この式典テントの中で 何十人~何百人の方々に司会をする訳です

建築ラッシュだったので 担当案件だけで 一か月に軽く15〜20回は越えたが
これらの式典は 古来からの日本の神々を建築現場に迎えて お祀りするものでした 

その仕事は
担当の建築現場の近くにある神社を探し 次にその神社のご神職とアポイントを取り 現場にお迎えして ご祈祷をして頂き 参列者の方々には 起立やご着席 ご低頭など式典の内容にあわせて ご案内します
直会では ご挨拶者の紹介などの司会を執り行った訳です

そうして 数か月も経ち 我が身に異変が生じたことに気が付き始めました

例えば 地鎮祭で「降神の儀(こうじんのぎ)」 ご神職が警蹕(けいひつ)と呼びますが「オー」と声を出して 神様を この地にお呼びします 「昇神の儀(しょうじんのぎ)」で再び警蹕を「オー」と唱え  神様に元の世界にお戻りしていただく儀式があるのですが

これを週に何度も 立ち会っていたところ 感じ易くなってしまいました
何かと言えば 神様がこの地に降りて来られる時 戻られる時を感じてしまったのです

信じられないと思いますが 神がお越しになったことと お戻りになられたことが 判るようになってしまったのです

信仰心も無かった自分でも不思議な訳でして そんなこともあるものなのかなと感じつつ 嫌なわけでもなく
町を歩いていて 神社を見かけたりすると ご参拝をするようになっていきました

私が 神社のご参拝を始めるきっかけになります
それからは 週末や地方出張があれば 朝早起きして 近くの神社や有名な神社にお詣りをするようになりました
かれこれ 30年以上前の話になります

古来 日本は 至る所に数多くの神社があり
神々が宿る岩〈磐座(いわくら)〉・神籬(ひもろぎ)などの創祀の歴史の 古いものだと 日本の縄文時代(1万年近く前)には存在が確定しています

紀元前1000年頃 弥生時代になると 神の宿る御神体を本殿に祀り 人がお詣りをする拝殿などを持つ現在の神社に近い形態の社が創建されていきます

今では 日本全国に 宗教法人単位での母数ですが 約80,000万社が 現役として存在しています

但し  (神事のような重要な事柄は 口述伝授で文字を使わなかった為)文献として残るには
ずっと歴史をすごしてしまうのですが
最古の神社一覧帳は 西暦713年の風土記編纂の官命で書かれた出雲國風土記の神名帳や平安時代(927年編纂)で当時の官社(国営)の一覧表「延喜式神名帳」が有名です

出雲國風土記には「399社」が所載され
延喜式神名帳には「式内社」と呼び 2861の神社(天神地祇3132座)〈これらの記録された神社は〈官社〉国営の神社〉が記載されています

当時
それ以外の神社〈官社でない神社〉で存在が判っていたもの を 式内社〈官社〉に対し 「式外社」と呼びます
おもに 地域に信仰地盤を持つ 御神威の優れた神社です

平安時代には 神社の数は約3万社程度は あったと言われています
少なくとも1000年以上の時間が経過した これらの神社は 現在でも未だに現役です

私は 30年間を掛けてこうした古い神社の内 6000社以上をご参拝しています
地図にも掲載されていない古い神社もあったり 神秘との出会いの連続です
幸いなことに デジカメが一般普及し 2004年以降はご参拝の度  撮影をしていましたので 他の人が 私と同じように参拝道に迷わずに神社に到着できるように GoogleMapに写真を掲載したり 地図情報を掲載したりするようになりました

More than 210 million Google map views
Awarded at "Google Connect Live Tokyo 2019"​

 At the moment (Photos of shrines posted on Google Map: more than 200,000,000 views viewed)

それから 神社の歴史や成立の背景なども学び 今では「神社の専門家」として活動をしています

多くの人々が 「八百万の神々(やおよろずのかみがみ)」にお祈りする環境 皆さんの豊かな愛を 子孫や末代まで繋げるそんな基盤が造りたい
八百万の神々が 私たちに明るく元気に生きる希望をわけて頂いていることを 後世に伝えたいこれが一番

日本での あなた方に最適な神社をご案内したく このページをつくりました

Starts from January 2020

Japan Shine Heritager​

We have a mission to respect and love the shrine, and to pass it on to future generations without making it a heritage site.

神社を敬愛し 遺産化させずに後世へ

継承するミッション

〈Respect the shrines and pass them on to future generations without turning them into heritage

Mission〉

『 Shrine Heritager 』商標登録 第6154661号

For all people in the world
I want to convey "yaoyorozu no kami(八百万の神)" (the gods of Japan) to me as a cornerstone of my life

世界中 全ての人たちの為に
生活の礎として 八百万の神(日本の神々)を私なりに伝えていきたい

More than 6000 shrine visits
Guide to the shrine

​Shine Heritager 三好 俊幸

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1958年1月生まれの私は

1980年代後半 日本はバブル景気の真っ最中でした
その時 私は 20代で 総合建設会社で会計予算業務を遂行していました

突然 重役から 建築祭事の式典の司会を任されます
「君 古式に従って式典を進行しなさい まずは地鎮祭の司会をしなさい」

「え~ 式典ですか??? 司会ですか・・」
通常業務を遂行しながらの兼務で びっくりしていましたが命令に従います

皆さんがご存知 建築には切り離せない 祝い事です
建物用地を整地して これから建築に取り掛かる「地鎮祭」
鉄骨や建屋が立ち上がった時におこなう「上棟式」
建物が完成するとお祝いする「竣工式」などです

この式典テントの中で 何十人~何百人の方々に司会をする訳です

建築ラッシュだったので 担当案件だけで 一か月に軽く15〜20回は越えたが
これらの式典は 古来からの日本の神々を建築現場に迎えて お祀りするものでした 

その仕事は
担当の建築現場の近くにある神社を探し 次にその神社のご神職とアポイントを取り 現場にお迎えして ご祈祷をして頂き 参列者の方々には 起立やご着席 ご低頭など式典の内容にあわせて ご案内します
直会では ご挨拶者の紹介などの司会を執り行った訳です

そうして 数か月も経ち 我が身に異変が生じたことに気が付き始めました

例えば 地鎮祭で「降神の儀(こうじんのぎ)」 ご神職が警蹕(けいひつ)と呼びますが「オー」と声を出して 神様を この地にお呼びします 「昇神の儀(しょうじんのぎ)」で再び警蹕を「オー」と唱え  神様に元の世界にお戻りしていただく儀式があるのですが

これを週に何度も 立ち会っていたところ 感じ易くなってしまいました
何かと言えば 神様がこの地に降りて来られる時 戻られる時を感じてしまったのです

信じられないと思いますが 神がお越しになったことと お戻りになられたことが 判るようになってしまったのです

信仰心も無かった自分でも不思議な訳でして そんなこともあるものなのかなと感じつつ 嫌なわけでもなく
町を歩いていて 神社を見かけたりすると ご参拝をするようになっていきました

私が 神社のご参拝を始めるきっかけになります
それからは 週末や地方出張があれば 朝早起きして 近くの神社や有名な神社にお詣りをするようになりました
かれこれ 30年以上前の話になります

古来 日本は 至る所に数多くの神社があり
神々が宿る岩〈磐座(いわくら)〉・神籬(ひもろぎ)などの創祀の歴史の 古いものだと 日本の縄文時代(1万年近く前)には存在が確定しています

紀元前1000年頃 弥生時代になると 神の宿る御神体を本殿に祀り 人がお詣りをする拝殿などを持つ現在の神社に近い形態の社が創建されていきます

今では 日本全国に 宗教法人単位での母数ですが 約80,000万社が 現役として存在しています

但し  (神事のような重要な事柄は 口述伝授で文字を使わなかった為)文献として残るには
ずっと歴史をすごしてしまうのですが
最古の神社一覧帳は 西暦713年の風土記編纂の官命で書かれた出雲國風土記の神名帳や平安時代(927年編纂)で当時の官社(国営)の一覧表「延喜式神名帳」が有名です

出雲國風土記には「399社」が所載され
延喜式神名帳には「式内社」と呼び 2861の神社(天神地祇3132座)〈これらの記録された神社は〈官社〉国営の神社〉が記載されています

当時
それ以外の神社〈官社でない神社〉で存在が判っていたもの を 式内社〈官社〉に対し 「式外社」と呼びます
おもに 地域に信仰地盤を持つ 御神威の優れた神社です

平安時代には 神社の数は約3万社程度は あったと言われています
少なくとも1000年以上の時間が経過した これらの神社は 現在でも未だに現役です

私は 30年間を掛けてこうした古い神社の内 6000社以上をご参拝しています
地図にも掲載されていない古い神社もあったり 神秘との出会いの連続です
幸いなことに デジカメが一般普及し 2004年以降はご参拝の度  撮影をしていましたので 他の人が 私と同じように参拝道に迷わずに神社に到着できるように GoogleMapに写真を掲載したり 地図情報を掲載したりするようになりました

More than 210 million Google map views
Awarded at "Google Connect Live Tokyo 2019"​

 At the moment (Photos of shrines posted on Google Map: more than 200,000,000 views viewed)

それから 神社の歴史や成立の背景なども学び 今では「神社の専門家」として活動をしています

多くの人々が 「八百万の神々(やおよろずのかみがみ)」にお祈りする環境 皆さんの豊かな愛を 子孫や末代まで繋げるそんな基盤が造りたい
八百万の神々が 私たちに明るく元気に生きる希望をわけて頂いていることを 後世に伝えたいこれが一番

日本での あなた方に最適な神社をご案内したく このページをつくりました

Starts from January 2020

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