水若酢神社(隠岐の島後 隠岐の島)

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水若酢神社は 隠岐国(oki no kuni)の一之宮で 隠岐の島町(島後)の五箇地区にあります 創建は 第10代崇神天皇の時代といわれていて 老いた黒松の生える境内が美しい古社です 御祭神の水若酢命(mizuwakasu no mikoto)は 隠岐国の国土開発と日本海鎮護の神であったと伝承されています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 水若酢神社(Mizuwakasu Shrine)
(みずわかすじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

 明神さん(myojin san

【鎮座地 (location) 】

島根県隠岐郡隠岐の島町郡723

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》
本 殿 水若酢命(mizuwakasu no mikoto)

《配》
左相殿 中言神(nakagoto no kami)
右相殿 鈴御前(suzu no gozen

神社名は 主祭神の水若酢命(mizuwakasu no mikoto)からきていますが この神は『記紀神話』には 神名の見えない神で その系統・事跡について 詳しいことはわかっていません

解釈も諸説あり 水は「水」の意or美称としての「瑞」とも言われ 若酢も「湧す」or「若・ス」かは判りません
同じ「若酢」を持つ 隠岐の玉若酢命神社との関連とする説もあります

 配祀神の 中言神(nakagoto no kami)鈴御前(suzu no gozen)についてもその系統・事跡は詳しいことはわかっていません

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・五穀豊穣 Pray for good harvest
・海島守護 Guardian deity of the sea and the island
・航海安全 Voyage safety
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社(名神大)
・ 隠岐国一之宮(oki no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

第10代 崇神天皇の御代

【由 緒 (history)】

水若酢神社

主祭神 水若酢命 配神 鈴御前・中言神
神 紋 菊
例祭日 5月3日
特殊神事 水若酢神社祭礼風流(県指定無形文化財 隔年毎偶数年斎行)

由 緒 御祭神 水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ国土開発・北方防備の任に就かれた神と伝えられている。

当社は昔 火災・水害の難にあい、古文書・社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが、延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神・隠岐一宮」と記されている古社である。

鎮座年代は僅かに残っている古文書には、仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって古来 五穀豊穣、海島守護・航海安全の神として朝野の崇敬篤く、明治4年国幣中社に列せられた神社である。

国指定重要文化財 水若酢神社本殿 平成4年1月21日

現在の本殿は寛政7年(1795)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに 向拝は春日造りに似ている点もあるが「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ16mあり、鬼板についている菊の御神紋は直径33cm、平面形は前面3間、奥行2間、正面は引違太蓮格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。内部は外陣と内陣に分けられている。
屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。向拝は片流れの杉皮葺で面取りの角材を用いている。屋根の葺替えは通常20年毎に行われ、五尺で縛った茅、約2700束を必要とする。  水若酢神社

境内案内板より

2

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

 元宮 捧羽山神社(hoba san shrine )
 《主》水若酢命(mizuwakasu no mikoto)

水若酢神社神社の由緒によれば

「御祭神 水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ・・」とあり

ここに記載の山(田畑の中の小丘)を捧羽山(hoba san)と呼び 捧羽山神社(hoba san shrine )が鎮座します

伊後神社と捧羽山神社の記事をご覧ください

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)穏地郡 3座(大2座・小1座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社名 ] 水若酢命神社(貞・名神大)
[ふ り が な  ](みなわかすのみことの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[How to read ](minawakasu no mikoto no kaminoyashiro)(myojindai) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

水若酢神社の例祭について

祭礼風流(sairei furyu)

かつては旧暦3月3日に斎行された。現在では特に隔年(西暦偶数年)に催されます

水若酢神社の「祭礼風流(sairei furyu)」は
「隠岐三大祭」の1つに数えられ 島根県指定無形民俗文化財に指定されています

「隠岐三大祭」
(水若酢神社の「祭礼風流(sairei furyu)」
 一之森神社・八王子神社の「隠岐武良祭風流(oki muramatsuri furyu)」
 玉若酢命神社の『御霊会風流(goree furyu)』)

水若酢神社祭礼風流(sairei furyu)

水若酢神社は、五箇地区の各集落で造営している神社で、平安時代の延喜式神名帳に名神大社として記載されるほか、隠岐国の一宮とされていました。
かつての社地は、現在より北の方に位置しており、川の氾濫による流失のため何度か変遷を繰り返してきました。
 水若酢神社の例祭であるこの祭りでは、御旅所まで「蓬莱山」とよばれる山車を曳く「山曳き神事」が行われますが、この流失した社殿やご神体、再建のための用材を曳いたことによるものだともいわれています。
 山車には、亀の頭が付き、松の木には白い鳥が乗り、紅白の花などで華やかに飾られ、各地区から持ち寄られた綱が結ばれ、木遣り歌の合図で氏子によりにぎやかに御旅所まで曳かれていきます。子どもたちも2、3歳頃から参加し、初めて山を曳くことを「初山曳き」と呼んでいます。
 御旅所横には、舞台が設けられ、神楽の「巫女舞」、「一番立」、「獅子舞」、「大楽」が行われます。その横の馬場では、流鏑馬が行われます

境内案内板より

隠岐古典相撲

水若酢神社の屋根の葺替えは通常20年毎に行われます この時20年に一度の古典相撲が隠岐の島の伝統行事とされていて 映画「渾身KON-SHIN」の舞台・ロケ地となっています

隠岐では 神社の屋根の葺き替え 町の記念事業 大型公共事業の竣工などがあると「古典相撲」と呼ばれる相撲大会が夜を徹して行われます
古典相撲という呼び名は新しく元々は神への奉納相撲「宮相撲」として行われていたとのこと

隠岐の古典相撲の特徴

・二番勝負で行われ(1番目の勝者は 2番目に勝ちを譲る)

・神社の遷宮や大型公共事業の完成記念として開催する

・夜を徹して行われ(夕方に開始して 終わるのは翌日の午後)

・大きな大会は 力士として200人以上が参加

・取り組み数は 五人抜きなど300番近い

・最高位は大関(横綱はなく 古い相撲の形式を残している)

・役力士の大関 関脇には 栄誉の品として土俵の柱が贈呈
 小結には 柱を繋ぐ貫が贈呈

20年に一度の古典相撲は 鳥居の左側に屋根付きの土俵で行われます

隠岐の式内社〈16座〉について

隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

西郷港から R485号経由 約13.8km 車25分程度
島後の北西 郡に鎮座します

水若酢神社(mizuwakasu shrine)に到着

一の鳥居が建ちます 社号標には「隠岐一宮 水若酢神社」とあります

一礼して鳥居をくぐると 「私塾膺懲館跡」の碑が建ちます

江戸の幕末期 国学者の中西毅男が境内に私塾を設立して 尊王攘夷を唱えます

膺懲館は、幕末の頃京都で学舎を開いていた中村出身の儒者中沼了三から崎門学の教えを受け、尊王攘夷に燃えて帰国した中西穀男(山田、前田屋)が養父中西淡斉を講師として協力を得、島の若者らを集め隠岐国を外夷から護るため文武の道を教授した私塾である

ここで学んだ若者らは、その情熱を慶応四年(明治元年)の隠岐騒動に傾注したのである

そして、この建物は明治維新から郡学校として使われ明治三十年頃まで存在していた

境内石碑より

二の鳥居辺りまで来ると 境内は開けて
黒松の参道の左横には 20年に一度の古典相撲が模様される土俵があります

鳥居をくぐると 老いた黒松の中を 参道が抜けていて 風情があります

隋神門の手前左手に 亀の手水舎があり 清めます

注連縄の掛かる 隋神門が建ち くぐり抜けます

正面に拝殿社殿が建ちます

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の奥には 隠岐独特の神社建築様式の「隠岐造り」と呼ばれる本殿が建ちます
平成4年(1992年)に玉若酢命神社本殿とともに重要文化財の指定を受けています

本殿 社殿を左右から拝します

国指定重要文化財 水若酢神社本殿 Mizuwakasu Main Shrine
平成4年(1992)1月21日指定

水若酢神社本殿 水若酢神社本殿は隠岐特有の神社建築である「隠岐造り」の代表例の1つです。

隠岐造りは、本殿が奥に長く妻入りとなり、屋根は切妻屋根ですが、正面に向拝と呼ばれる庇をつけます。水若酢神社本殿は玉若酢命神社と同様に大規模な神社建築として、この隠岐造りを今に

現在の本殿は寛政7年(1795年)に以前の社殿が大破したために、大工棟梁森寄与八(喜代八)など地域の大工の手によって建て直したとされるものです。この時の建設にあたっては、神社からの再三の願いにより、海を越えた島前も合わせた隠岐国中に、寄附の協力を求める御触が役所から出ました。この神社から役所への願いの中では、それ以前の神社の建設についても隠岐国中から寄附を集めて建立したことなどが記されています。

延長5年(927)の延喜式神名帳にも記載された古代から続く神社であり、隠岐国一宮として周辺地域だけではない、多くの地域に支えられていたことが窺えます。

隠岐の島町教育委員会

境内には 鬼瓦ならぬ「鬼板(oni ita)」菊の御神紋は直径33cm、平面形は前面3間、奥行2間、正面は引違太蓮格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている

「御假屋(okariya)」一般には 神輿渡御の際 お神輿が神社を出て 一時的に休まれて 神事を行う「仮の宮」です

由緒書きがある建物は「神饌所」でしょうか?

水若酢神社古墳群があります

現存しているのは2基

水若酢神社古墳群

水若酢神社には、水若酢神社古墳群と呼ばれる2基の古墳があります。この1号墳には、6世紀中頃~7世紀頃の土器をはじめ、太刀や鍬などの鉄製品、勾玉などの装飾品が埋葬されており、古墳が造られた時代もこの頃と考えられます。現在露出している横穴式石室は、その長さ11mと隠岐地域では最大のもので、玄室内には遺体を納めたと思われる石棺が2基見つかりました。

本殿の裏側にある2号墳については、本殿によってその封土を削られていますが、円墳とみられる墳丘を残しています。

1号墳の石室の大きさ、造りなどから判断すると、当時のこの地域の有力者との関係が考えられる古墳であり、隠岐地域の古墳の中でも重要なものと考えられます。

案内板より

神社の東には 隠岐郷土館があります
建物は 明治時代の隠岐郡役場を移築・修復したもの 県指定有形文化財です民俗文化財や竹島の資料等の展示しています

島根県指定有形文化財 旧周吉外三郡役所庁舎
(昭和四十五年十月二十七日建第十八号)

この建物は、明治十八年(一八八五年)西郷町の中心部に隠岐四郡(周吉・穏地・知夫・海士)連合会によって周吉外三郡役所庁舎として建てられたものである。その後、島根県に移譲され隠岐島庁庁舎・島根県隠岐支庁庁舎等として使われたが昭和四十三年廃棄される事になったので五箇村がこれを譲り受け、昭和四十五年五月この地に移築復元し管理・公開しているものである。

桁行き(横幅)が十二間(二二.九一メートル)梁間(奥行き)が五間(九.五五メートル)あり平面立面とも左右対象型、窓が上げ下げ式縦長窓であり典型的な明治時代初期の官衛建築の特色を有するが、蛇腹が漆喰ではなくて木であることや屋根が寄棟ではなくて入母屋であることなど異例の特徴も有する。

島根県下における洋風木造建築物としては最も古く創建以来百余年の命脈を保っている。

平成5年3月 島根県教育委員会

案内板より

境内を戻り 隋神門を抜けます

参道横に社務所と授与所があり お受けして 参道を戻ります

鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼します

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』仁明天皇承和9年(842)9月の条 に記される伝承

隠岐の国の3つの神社が同時に 官社に預かる旨が記されています
由良比売命神(西ノ島の由良比女神社)・宇受加命神(中ノ島の宇受賀命神社)・水若酢命神(島後の水若酢神社)

「 隠岐国 智夫郡 由良比賣命神(yurahime no mikoto no kami)
      海部郡 宇受加命神(ukeka no mikoto no kami)

      穏地郡 水若酢命神(minawakasu no mikoto no kami)
      並預官社 」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

水若酢神社(mizuwakasu shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

隠岐には もうひとつ一之宮があります
島前の一之宮「由良比女神社」の記事もご覧ください

隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

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