石川県

能登部神社(中能登町)

能登部神社は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社です 第10代 崇神天皇の皇子 大入杵命(オホイリキノミコト)を祭神として祀ります 妹の皇女 沼名木入比咩命(ヌナキイリヒメノミコト)は 同じく能登部に鎮座する能登比咩神社で祀られていて 往古は この地は能登部兄村妹村と称されました 両村の神社を兄宮 妹宮とも 上宮 下宮とも称していて ここ上宮は 加賀藩の初代藩主 前田利家公が深く崇拝し「兄宮の神域を侵すべからず」との掟書を記した高札を与えたと伝わります

石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉

石部神社は 加賀国の誕生にかかわる古社です 弘仁14年(823)3月 越前国から分割して加賀国ができた際 その国府庁の南に 当社が 府南社と称して すでに祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社です

能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)羽咋の氣多大社の本宮

能登生国玉比古神社は 上古 第8代 孝元天皇の治世〈BC 214~BC 15年頃〉に創祀されたと伝えられます 第10代 崇神天皇の御代〈BC 97~BC 30年頃〉には 羽咋の竹津浦に祭神を分霊したと伝わり これが現在の羽咋の氣多大社の創祀とされています 故にその頃から 当神社は 氣多本宮と称したと伝えます 現在でも 羽咋の氣多大社から当神社まで 平国祭「おいで祭」の神幸祭が 毎年3月18日~3月23日に5泊6日かけて50余名で巡行する神事が執り行われています 

気多御子神社(小松市)

気多御子神社(けたみこじんじゃ)は 従前は「神明宮」と称していて 相殿には「白山宮」が祀られていました 明治以降に『延喜式神名帳(927年編纂)』に所載の論社として「気多御子神社」と改称しました そして現在に至っています 草かり亀の民話を持つ神社です

宿那彦神像石神社(中能登町金丸)少彦名神が神霊を石に留めたと云う

宿那彦神像石神社は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の古社です 社伝によれば 神代の昔 御祭神の少彦名命が 大名持命とともに能登国を巡行し 国土平定の後 大己貴命は氣多崎に 少彦名神は此地に 神霊を石に留めたと伝わります 氣多大社の例大祭 平国祭は この神代の2柱神に因んでいて 氣多大社の神輿が 3月20日夕刻に本社〈宿那彦神像石神社〉の拝殿で一泊 翌朝 本社の祭神〈少彦名命〉が 右神輿に遷座せられ 七尾の気多本宮に神幸し 23日午前に右神輿が 本社に還御あって祭典を奉仕します

鎌宮諏訪神社(中能登町金丸)鎌打ち神事

鎌宮諏訪神社は 社頭には 一般の神社の様に鳥居があります しかし 境内には 社殿や本殿はありません 玉垣が巡らされたご神域があり その中には 御神木「タブの木」が御神体として祀られています この御神木には 特殊な「鎌打ち神事」という神事があり その祭典は「日足鎌」とも「左鎌」とも呼ぶ 2丁の鎌を タブの神木に打ち込む神事です 由来は 神代の昔 大巳貴命〈大国主命の別名〉と少彦名命の2柱神と力を合わせて 御祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)〈大巳貴命の御子神〉が この鎌で道を開いて 村人を苦しめていた毒蛇や化鳥を退治したことにちなむとされます 

能登生國玉比古神社(中能登町金丸)能登の国魂の神「多気倉長命」を祀ります

能登生國玉比古神社は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社です 祭神「多気倉長命(タケクラナガノミコト)」は 神代の昔 能登国に巡行された・大己貴命・ 少彦名命の2柱の神と協力して 国土を平定されたので「能登の国魂の神」と仰がれています 又 その姫神〈娘〉の伊豆目比売命(イズメヒメノミコト)は 少彦名命の妃(ヒ)となって 金丸村 村主の遠祖である菅根彦命を生み給わった伝えられていて 現在の神主家 梶井氏は その裔(エイ)とされます

天神神社(羽咋郡志賀町穴口)

天神神社は 口碑によると鎮座する穴口村は 穴持村といわれ 本神社は 大穴持像石神社とも伝えられています 故に『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社でもあります

八千鉾神社(羽咋郡志賀町)

八千鉾神社は 「町八千鉾神社古墳」〈円墳 径6m、横穴式石室の天井石露出〉の上に鎮座しています 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社でもあり 大穴持像石神社とも称せられたといいますが 明治の初期に至り 八千鉾神社と改称された伝わります

身代神社(羽咋郡志賀町)〈大穴持美代神社〉

身代神社は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の 能登国 羽咋郡「大穴持像石神社」と「久麻加夫都阿良加志比古神社」の2つの式内社の論社となっています 社伝では「出雲国より舟に乗りて当村に着かれた大真石が 御神体として仰がれている」として かつては大穴持身代社を称していました

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