伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊豆国 92座(大5座・小87座)の神社です

伊豆國(いつのくに)について

伊豆国(Itsunokuni)は  令制国の一つ東海道に属する
現在の静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島

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伊豆国(いつのくに)について  記紀や六国史に記載はない

『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)第10巻「国造本紀」によれば

神功皇后の時 服部氏族の伊豆国造(いつのくにのみやつこ)を定めた
孝徳天皇の時 駿河国に合併
天武天皇の時 再び元のように分けた

724年 遠流(おんる)の地とされた
配流された源頼朝 の地で挙兵し 鎌倉幕府開いた
中世には 小田原北条氏の支配
江戸時代は幕府領となり 三島に代官所かれた

明治1年(1868)に韮山(にらやま)県となる
明治4年1871)7月 廃藩置県 足柄(あしがら)県に編入
明治9年(1876)足柄県の旧伊豆国地域は 静岡県に編入
明治11年(1878)伊豆諸島は 東京府〈現 東京都〉に編入

伊豆國(いつのくに) 92座(大5座・小87座)

大社5座は 5社大社5社は 全て名神大
小社87座は 83社
 計92座は 88社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 3郡〈延喜式の当時〉
賀茂郡(かもの こおり)田方郡(たかたの こおり)那賀郡(なかの こおり)

目次

賀茂郡(かもの こおり) 46座(大4座・小44座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊豆三嶋神社(名神大 月次 新嘗)(いつみしまの かみのやしろ)

・三嶋大社(三島市)

・伊古奈比咩命神社(白浜神社)
〈三嶋大社の元宮〉

富賀神社(三宅島 阿古)
〈三島神の発祥地ともされます〉

波布比賣命神社(はふひめのみことの かみのやしろ)

・波布比咩命神社(大島町波浮港)

・波布比咩命神社(下田市東本郷)

伊賀牟比賣命神社(いかむひめのみことの かみのやしろ)

后神社(三宅島 伊ヶ谷

・物見処遺跡【后神社 旧鎮座地】

浅間神社(伊豆国二之宮)〈論社〉

伊古奈比咩命神社(名神大)(いこなひめのみことの かみのやしろ)

・伊古奈比咩命神社(白浜神社)

佐伎多麻比咩命神社(さきたまひめのみことの かみのやしろ)

御笏神社Oshaku Shrine)〈比定社〉

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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祖師堂Soshido)御笏神社の旧鎮座地

旧鎮座地
祖師堂(三宅島 神着)【御笏神社(Oshaku Shrine)旧鎮座地】

祖師堂(そしどう)は  一説には 御笏神社(Oshaku Shrine)の旧鎮座地で 現在の祖師堂(観音堂)の場所であったとされています 御笏神社(Oshaku Shrine)の東北100m程のところ 三宅一周道路に面しています

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・椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉 

両神社下田市須崎)〈論社〉

論社
両神社(下田市須崎)

両神社(りょうじんじゃ)は 伊豆半島 下田の須崎港に鎮座します 須崎には 古代祭祀遺蹟の残る恵比寿島があり 伊豆半島の三島信仰の聖地ともされいて 当社も 江戸期には「両社明神」と呼ばれ「薬師堂」が祀られ「三島明神」であるとされていました こうしたことから『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社となっています

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波夜多麻和氣神社下田市相玉)〈論社〉

論社
波夜多麻和氣命神社(下田市 相玉)

波夜多麻和気命神社(はやたまわけのみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の論社で 由緒(格式ある歴史)があります しかし 御祭神「波夜多麻和気命(Hayatamawake no mikoto)」は謎の神とされます 鎮座地の相玉は 辺りは山深い郷ですが 古くは「大井 (おほゐ) 」と呼ばれ豊かな水があって栄えていたであろうことは 稲生沢川(inozawa gawa)を挟むような相玉の郷の田園風景を一望すれば 推測はできます 稲生沢川は 下田の港に流れ込みますので これを遡れば この辺りの交通の便は良かったのであろうと想像は出来ます 下田から 海上ルートで容易に その先の伊豆諸島と繋がります「三島(御島)の神々」なのかも知れません

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伊大氐和氣命神社(いたてわけのみことの かみのやしろ)

・稲根神社本殿(御蔵島村)

・稲根神社(御蔵島村)

阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)

・阿豆佐和気命神社本宮(利島村)

・阿豆佐和気命神社(利島村)

・熱海 來宮神社(熱海市西山町)

多祁美加加命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)

・大三王子神社(新島村大三山)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉

・八幡神社(下田市河内)

物忌奈命神社(名神大)(ものいみなのみことの かみのやしろ)

・物忌奈命神社(神津島村)

波夜多麻和氣命神社(はやたまわけのみことの かみのやしろ)

波夜多麻和氣命神社(下田市)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

伊波例命神社(いはれみことの かみのやしろ)

・石室神社(南伊豆町石廊崎)

・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

伊豆奈比咩命神社(いつなひめのみことの かみのやしろ)

・走湯神社(下田市大賀茂)

阿米都和氣命神社〈阿米都氣命神社〉(あめつけのみことの かみのやしろ)

峯富賀平(雄山の八合目あたり)の地〈発祥地〉 

 ※噴火の為 具体的な鎮座の地は全く不詳 (現在はカルデラの底?)(笠地の上あたりとも? 
 参考まで 雄山の山頂を取り囲むように雄山林道があり 笠地観音があります

荒島神社(三宅島 阿古)〈旧鎮座地〉 

富賀神社(三宅島 阿古)

波夜志命神社(はやしのみことの かみのやしろ)

峯指神社Hoshi no kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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峯指神社Hoshi no kamino yashiro) 旧鎮座地

旧鎮座地
峯指神社〔 旧鎮座地 〕(三宅島 神着)

峯指神社(ほうしじんじゃ)〔 旧鎮座地 〕は 風速山を祀っていたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載された格式高い由緒を持ちますが 明治7年(1874)の噴火で 旧鎮座地は 溶岩流の台地の中にあります 現在は御笏神社(おしゃくじんじゃ)に合祀されています

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走湯神社(下田市大賀茂)〈論社〉

論社
走湯神社(下田市大賀茂)

走湯神社は 「(そうとうじんじゃ)or(すとうじんじゃ)」と呼ばれます 『南国伊豆の昔話』によれば 蓮台寺の神様と お湯の取り合いをして 走り戦いましたので「走湯」というと云われています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の由緒(格式ある歴史)を持っています

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優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)

・優婆夷宝明神社八丈島

一緒に読む
優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は 八丈島・八丈小島・青ヶ島の総鎮守として 御島神(みしまのかみ)の后「いなはゑ后=(優婆夷命)」と その子「五郎の王子(許志伎命=宝明神)」が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈・優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)・許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)〉に該当する格式の高い由緒ある神社です

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片菅命神社(かたすかのみことの かみのやしろ)

・片菅神社(三宅島 神着美茂井)

・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社

・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀

・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社

・片菅神社(東伊豆町片瀬)

久良恵命神社(くらえのみことの かみのやしろ)

・【当初】久良神社三宅島 坪田
 ※未参拝

  島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない

・【遥拝所】久良神社【出張(でばり)】

・【合祀】二宮神社三宅島 坪田 

夜須命神社(やすのみことの かみのやしろ)

・【当初?】嶽比良神社三宅島 伊豆
 ※掟により入山禁止の為 未参拝

・【嶽比良神社の遥拝所?】子安宮(三宅島 神着)

・【当初?】御嶽神社(三宅島 坪田)

・【合祀】二宮神社三宅島 坪田

奈疑知命神社(なきちみことの かみのやしろ)

・子安神社〈奈疑知命神社〉(河津町縄地)

加彌命神社(かみのみことの かみのやしろ)

・【当初】カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山
  ※原生林の奥の為 未参拝

・【次に】二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)

・【合祀】カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀

・【論社】二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)

・八幡神社(下田市吉佐美)

氐良命神社(てらのみことの かみのやしろ)

神澤神社(三宅島 伊豆)

湯船神社三宅島 神着〈論社〉 

八王子社下田市中 〈論社〉 

許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)

・優婆夷宝明神社八丈島

・富戸三島神社 (元御島神社)〈論社〉

多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)

・竹麻神社(下田市高馬)

・見高神社(河津町見高)

・三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)〈参考〉

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)〈合祀 三島神社〉

・三島神社(南伊豆町青野)

・瀧山神社(河津町川津筏場)

久爾都比咩命神社(くにつひめのみことの かみのやしろ)

・泊神社(式根島)

伊波乃比咩命神社(いはのひめのみことの かみのやしろ)

・【当初】坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】

・【次に】二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)

・【合祀】二宮神社(三宅島 坪田)

・【論社】雲見浅間神社(松崎町雲見)

杉桙別命神社(すきほこわけのみことの かみのやしろ)

・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)

・来宮神社(伊豆市八幡)

多祁富許都久和気命神社(たきふこつくわけのみことの かみのやしろ)

・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)

・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

・八幡神社(南伊豆町子浦)

意波與命神社(いはよのみことの かみのやしろ)

・本郷富士浅間神社(下田市)

阿米都加多比咩命神社(あめつかたひめのみことの かみのやしろ)

・三島神社(南伊豆町下小野)

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

・三島神社(南伊豆町妻良)

阿治古神社(あちこの かみのやしろ)

・大宮神社(大島町)

・阿治古神社(熱海市網代)

伊波比咩命神社(いはひめのみことの かみのやしろ)

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

阿波神社(名神大)(あはの かみのやしろ)

・阿波命神社(神津島村)

志理太宜神社〈志理太乎宜神社〉(しりたをきの かみのやしろ)

・椎取神社(三宅島神着)

 

・志理太乎宜神社(片瀬白田) 

南子神社(みなみこの かみのやしろ)

南子神社Minamiko no kamino yashiro)三宅村 神着

一緒に読む
南子神社(三宅島 神着)

南子神社(なごじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の格式の高い由緒のある神社です 御笏神社の祭神「佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)」の一番目の王子とされる「南子命(Nago no mikoto)」を御祭神として祀ります 神着の南方にある 南子山の原生林の中に鎮座しています 

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三ノ朔幣神社(san no sakuheino kamino yashiro)〈南子宮 遥拝所〉御笏神社の本殿に合祀

遥拝所
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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三ノ朔幣神社〈南子宮 遥拝所〉 旧鎮座地

旧鎮座地
三ノ朔幣神社 旧鎮座地(三宅島 神着)

三ノ朔幣神社 旧鎮座地は 御笏神社(Oshaku Shrine)の東北100m程に鎮座します 三宅島 神着の南方にある南子山に鎮座する「南子神社(Nago Shrine)」の遥拝所であったとも 三宅島 阿古に鎮座する「富賀神社(Toga Shrine)」の遥拝所であったとも伝わります 現在は 御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀されています

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后神社Kisaki Shrine)境内社の南子神社〈論社〉

論社
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります

伊波氐別命神社(いはてわけのみことの かみのやしろ)

・諏訪神社(南伊豆町岩殿)

・右内神社(三島市梅名)

・夷子神社(伊東市川奈)

穂都佐和氣命神社(ほつさわけのみことの かみのやしろ)

・両神社(下田市須崎)

・王子神社(南伊豆町 

・三島神社(南伊豆町入間

大津往命神社(おほつのゆきのみことの かみのやしろ)

・三島神社(南伊豆町妻良)

・波布比咩命神社(下田市東本郷)

波治神社(はちの かみのやしろ)

・波知加麻神社(大島町)

布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)

・三嶋神社(河津町逆川)

・三島神社(河津町川津筏場)

佐佐原比咩命神社(ささはらひめのみことの かみのやしろ)

・姫宮神社〈笹原明神〉(河津町笹原)

・川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(河津町田中)〈合祀先〉

竹麻神社三座(たかまの かみのやしろ みくら)

・月間神社(南伊豆町手石)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈合祀 三島神社〉

・若宮神社(南伊豆町湊)

・竹麻神社(下田市高馬)

・本郷富士浅間神社(下田市)

・三島神社(南伊豆町青市)

・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

加毛神社二座(かもの かみのやしろ ふたくら)

・加畑賀茂神社(南伊豆町町下賀茂)

・三島神社(南伊豆町二條)

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田方郡(たかたの こおり) 24座(大1座・小23座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

荒木神社(あらきの かみのやしろ)

・荒木神社(伊豆の国市原木)

文梨神社(ふむなしの かみのやしろ)

・左内神社(三島市

満宮神社函南町

神明神社(西浦江梨)

輕野神社(かろのの かみのやしろ)

軽野神社(伊豆市)

・子神社(伊豆市)

廣瀬神社(伊豆の国市)

倭文神社(しとりの かみのやしろ)

倭文神社(伊豆市大野) 

 

鍬戸神社(三島市長伏) 

 

小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀 の葛城山に鎮座した葛城神社」

 

聖神社(伊豆市月ヶ瀬) 

高椅神社(たかよりの かみのやしろ)

・高橋神社(三島市)

長濱神社(なかはまの かみのやしろ)

・長濱神社(沼津市内浦長浜)

久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)

・葛見神社(伊東市馬場町)

・湯前神社(熱海市上宿町)

石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)

・守山八幡宮(伊豆の国市寺家)

・豆塚神社(伊豆の国市北江間)

・多賀神社(三島市谷田)

・岩徳高神社(伊豆市徳永)

伊加麻志神社(いかましの かみのやしろ)

・伊加麻志神社(伊豆市堀切)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

廣瀬神社(ひろせの かみのやしろ)

廣瀬神社(伊豆の国市)

廣瀬神社(伊豆国四之宮)〈楽寿園 内〉

満宮神社函南町

小河泉水神社(をかはいつみの かみのやしろ)

・小河泉水神社(清水町湯川宮脇)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

大朝神社(をほあさの かみのやしろ)

・大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)

・大朝神社(沼津市下香貫)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

・赤王神社(三島市大場)

・鷲頭神社 奥宮(沼津市大平)

・鷲頭神社(沼津市大平)

玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)

・玉作神社(沼津市黒瀬町)

・愛鷹神社(三島市三好町)

・神明宮(三島市平田)

楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)

・楊原神社(沼津市下香貫)

・楊原神社(伊豆国三之宮)

加理波夜須多祁比波預命神社(かりはやすたきひはよのみことの かみのやしろ)

・比波預天神社(伊東市宇佐美)

・三島神社(伊東市赤沢)

・山木 皇大神社(伊豆の国市韮山山木)

剱刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)

・劔刀神社(伊豆の国市戸沢)

・赤王神社(三島市大場)

・多賀神社(三島市谷田)

火牟須比命神社(ほむすひのみことの かみのやしろ)

・雷電社〈伊豆山神社 境内摂社〉

・本宮社(熱海市伊豆山)

・伊豆山神社(熱海市伊豆山)

・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

・竈神社〈荒神社〉(伊豆の国市南條)

・火牟須比神社(伊東市鎌田)

白浪之弥奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)

・多賀神社(熱海市上多賀)

・下多賀神社(熱海市下多賀)

・大瀬神社(沼津市西浦江梨)

・淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)

金村五百君和氣命神社(かなむらいほきみわけのみことの かみのやしろ)

・奈胡谷神社(伊豆の国市奈古谷)

・御嶽神社(伊豆の国市韮山金谷)

・熊野神社(伊豆市熊坂)

引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)

・引手力男神社(伊東市十足)

・大瀬神社(沼津市西浦江梨)

・肥田神社(函南町肥田)

金村五百村咩命神社(かなむらいほむらひめのみことの かみのやしろ)

・初姫神社(函南町仁田)

阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)

・右内神社(三島市梅名)

・左内神社(三島市中島)

・天地神社(函南町平井)

・気多神社(沼津市内浦三津)

剱刀石床別命神社(けむといはとこわけのみことの かみのやしろ)

・劒刀石床別命神社(三島市谷田)

・山木 皇大神社(伊豆の国市韮山山木)

鮑玉白珠比咩命神社(あはびたましらたまひめのみことの かみのやしろ)

・鮑玉白珠比咩命神社(沼津市西浦木負)

・佐野神社(伊豆市雲金佐野)

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那賀郡(なかの こおり) 22座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

箕勾神社(みのわの かみのやしろ)

・箕勾神社(松崎町峰輪)

・野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)

伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)

・伊志夫神社(松崎町石部)

・伊那下神社(松崎町松崎)

伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)

・伊那上神社(松崎町宮内)

・仲神社(松崎町那賀)

仲神社(なかの かみのやしろ)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

井田神社(ヰたの かみのやしろ)

・井田神社(沼津市井田)

・気多神社(沼津市内浦三津)

伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・舟寄神社(松崎町江奈)

仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町中)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

多尓夜神社(たにやの かみのやしろ)

・多爾夜神社(西伊豆町安良里)

・山神社(西伊豆町安良里)〈多爾夜神社の古社地〉

哆胡神社(たこの かみのやしろ)

・哆胡神社(西伊豆町田子)

宇久須神社(うくすの かみのやしろ)

・宇久須神社(西伊豆町宇久須)

・別所神社〈熊野大権現〉(西伊豆町宇久須)

部多神社(へたの かみのやしろ)

・部田神社(沼津市戸田)

佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)

・佐波神社(西伊豆町仁科)

・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

布刀主若玉命神社(ふとぬしのわかたまのみことの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町仁科)

國柱命神社(くにはしらのみことの かみのやしろ)

・國柱命神社(松崎町岩科南側)

稲宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)

・稲宮神社(伊豆市土肥)

・神明神社(伊豆市八木沢)

石倉命神社(いはくらのみことの かみのやしろ)

・浅間神社(伊豆市小下田)

國玉命神社(くにたまのみことの かみのやしろ)

・諸口神社(沼津市戸田)

・国玉神社(伊豆市小土肥)

玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)

・神明神社(伊豆市八木沢)

・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

・山神社(西伊豆町大沢里宜ノ畑

國玉命神社(くにたまのみことの かみのやしろ)

・諸口神社(沼津市戸田)

・国玉神社(伊豆市小土肥)

・浦守神社(西伊豆町安良里)

豊御玉命神社(とよみたまのみことの かみのやしろ)

・土肥神社(伊豆市土肥)

青玉比賣命神社(あをたまひめのみことの かみのやしろ)

・八幡神社(伊豆市小土肥)

・淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)

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東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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