片菅神社(片瀬白田)

片菅神社(かたすげじんじゃ) 往昔 八幡神社と称し 鎌倉時代 徳治2年(1307)創始と伝えます この説は 若宮八幡神を合祀勧請した時のものとされ 別の説では 片菅神社創祀は さらに以前であって 三宅島に鎮座する片菅神社を分霊したする説です 本来 伊豆地方では 多くの場合「若宮」とは「三嶋大明神の御子神」を意味します そうしたことから「三島神」の7番目の御子の名が「かたすけ」として『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社とされます

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

片菅神社Katasuge Shrine)
(かたすげじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬704

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》片菅命(katasuge no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社〈論社〉

【創  (Beginning of history)】

案内板にある「片管」の「管」は竹冠
本来の社名の「菅」は 草冠です
旧字体の草冠「艸」が 扁額刻まれているので見誤り もしくは誤表記か?

神社

祭神 

社殿 入母屋造(略祇園造)

由緒 徳治2年(1307)創始と伝えられている。
片管命は事代主命の属神であり

志理太乎宜命とは 同属同格である。
特色 白田川の守護神として祀られている。
社内に寛文、正保の棟札や祈祷納札などが残されている
60年毎に辛酉式年祭更衣祭の神事あり。

境内案内板より

【由  (history)】

創立 徳治2年(1307)1月。
往昔 八幡神社とも称せられたという。60年毎の辛酉に式年祭更衣祭の神事あり。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・拝殿の向かって 左奥に一棟 左側に祠が数社祀られ 右は神輿殿

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 片菅命神社
[ふ り が な  ](かたすげのみことの かみのやしろ)
      or(かたすかのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Katasuge no mikoto no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)
伊豆国 賀茂郡 片菅命神社Katasuge no mikoto no kamino yashiro)の5つの論社について

①・片菅神社(三宅島 神着美茂井
  片菅神社の記事をご覧ください

一緒に読む
片菅神社(三宅島 神着 美茂井)

片菅神社(かたすげじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にも所載されて 由緒(格式ある歴史)を持っています 『三宅記(みやけき)』(鎌倉時代末期の作)によれば 三女〈三島大明神の后神(佐岐多麻比咩命(さきたまひめのみこと〉のお産みになられた 7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれ この御子神が 当社の御祭神「片菅命(かたすげのみこと)」であるとされています

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➁・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
  御笏神社の記事をご覧ください

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社(おしゃくじんじゃ)は ご神託に基づき永正13年(1516)現社地(三宅島 神着(かみつき)に ご遷座になりました 元々は「神着の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していました 旧社地は明治7年(1874)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定され その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です

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➂・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
  后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください

一緒に読む
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神について 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(いかむひめのみこと)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記されます そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される格式ある由緒を持ちます 江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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④・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください

一緒に読む
若宮神社(三宅島 伊豆)(后神社の境外 末社)

若宮神社は 后神社の境外社です 三宅一周道路から 伊豆岬灯台へと下る道路の左側 道路と海の間にある藪の中に に小さな祠が鎮座しています

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➄・片菅神社東伊豆町片瀬〈当社〉

一緒に読む
片菅神社(片瀬白田)

片菅神社(かたすげじんじゃ)は 往昔 八幡神社と称し 鎌倉時代 徳治2年(1307)創始と伝えます この説は 若宮八幡神を合祀勧請した時のものとされ 別の説では 片菅神社の創祀は さらに以前であって 三宅島に鎮座する片菅神社を分霊したとする説です 本来 伊豆地方では 多くの場合「若宮」とは「三嶋大明神の御子神」を意味します そうしたことから「三島神」の7番目の御子の名が「かたすけ」として『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社とされます

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鎮座地「片瀬白田」の地名由来について

「片瀬白田」に鎮座する 2つの『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)の所載社(式内社)による地名由来であるとの説があります

〈片瀬〉⇒ 片菅神社Katasuge Shrine)
     《主》片菅命(katasuge no mikoto)

〈白田〉⇒志理太乎宜神社Shiritaogi Shrine)
     《主》志理太乎宜命(shiritaogi no mikoto)

三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉のお産みになられた
5番目の御子の名が「いたひorしりたき」と呼ばれています
この御子神が 志理太乎宜神社Shiritaogi Shrine)の御祭神「志理太乎宜命(shiritaogi no mikoto)」であるとされています

7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれています
この御子神が 当社 片菅神社Katasuge Shrine)の御祭神「片菅命(katasuge no mikoto)」であるとされています

この片菅(かたすげ)から 〈片瀬(かたせ)〉
この志理太(しりた)から 〈白田(しらた)〉の地名由来なったと云われています

早い時期から この2つの三宅島の神社の分霊を祀った所が 鎮座地「片瀬白田」だと考えられて
三宅島との繋がりを示唆されています

志理太乎宜神社Shiritaogi Shrine)の記事もご覧ください

一緒に読む
志理太乎宜神社(片瀬白田)

志理太乎宜神社(しりたおぎじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社とされ 早い時期から 三宅島の御祭神の分霊を祀っていたとも云われます 一方で八幡神を配祀して「来宮」とも「木の宮」ともされています 地元では 親しみを込めて「白田のキノミヤさん」と呼ばれています

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急行 片瀬白田駅から白田川を遡るように北西へ 約1km 徒歩13分程度

片菅神社Katasuge Shrine)に参着

白いコンクリート製の鳥居の扁額には「片菅神社」とあり」の草冠が「となっています

鳥居の左後方 一段高い石積みの境内社頭には 巫女のような 祈りの姿勢を持つ道祖神が 祀られています 一礼をして 鳥居をくぐります

境内の正面には 根元が補強されているような根太の形をした 二の鳥居が建ち その先に社殿が見えています

暗渠になっていますが 小さな神橋があり せせらぎが流れていると思われます 渡ると 拝殿の手前の境内右手には 楠木(クスノキ)の古木がたっています

特に注連縄もなく 御神木では無い様ですが かなりの大木です

社殿は石積の高段に建てられています
拝殿にすすみます 

拝殿の屋根 大棟には「棟紋」と「漆喰の龍」があります

拝殿の扁額には片菅神社」と掲げられています

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿には武人像が安置されていて 60年ごとに衣装 装具などをすべて手造りで新調されるそうです「60年毎の辛酉に式年祭更衣祭の神事」

拝殿の前には 左右に二本ずつ四本の石塔があります
縄文の男根かなとも思いましたが これが何を意味するものなのかは不明です

境内社は 拝殿の向かって 左奥に一棟 左側に祠が数社祀られ 右は神輿殿があります

境内を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される伝承

片菅神社(東伊豆町片瀬)は 三宅島に鎮座する「片菅神社(神着)」を分霊したとする説があります

三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉のお産みになられた7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれています
この御子神が 当社の御祭神「片菅命(katasuge no mikoto)」であるとされています

意訳

三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました

1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します

又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

『豆州志稿(zushu shiko)』には 

片菅神社Katasuge no mikoto no kamino yashiro) 片瀬

「瀬(せ)」は 「菅(すげ)」の反音なり

今は「八幡」と称す

徳治2年(1307)の梁の文には 大旦那は 康簾(ひろかど) 地頭勝世と云う
又 寛文中( 16611673年)の札に云う
(もと)藤原康簾(ふじわらのひろかど)遷宮す
後の代 徳治2年(1307)に若宮八幡合祀する

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

片菅神社Katasuge Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

各々の神社の記事をご覧ください 

母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)祀る神社 

・御笏神社(Oshaku Shrine)

 

・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地 

 

椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉 

 

・両神社(下田市須崎) 

 

・波夜多麻和氣神社(下田市相玉) 

 

 

1番「ナコ」(南子命)祀る神社

・南子神社(三宅島 神着) 

 

・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
 御笏神社の記事をご覧ください 

 

・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
 三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください 

 

・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
 后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください 

 

・南子神社(下田市 神子元島)

 ※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E5%85%83%E5%B3%B6/@34.5745212,138.9420112,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x237eb1d45e96afc7!2z5Lih56We56S-!8m2!3d34.6576!4d138.966645!3m4!1s0x60175b74a0a70383:0x2858da0c91ac6c3e!8m2!3d34.5745212!4d138.9420112 

 

2番「カネ」(加彌命)祀る神社 

・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀 

 

・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です 

・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉 

 

二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉 

 

 

3番「ヤス」(夜須命)祀る神社 

・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉 

 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝 

・子安宮(三宅島 神着) 

 

 

4番「テイ」(氐良命)祀る神社 

・神澤神社(三宅島 伊豆) 

 

・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
 湯船神社の記事をご覧ください 

 

・八王子社(下田市中
 八王子社の記事をご覧ください 

 

 

5番「イタヒ」(志理太宜命)祀る神社 

・椎取神社(三宅島神着) 

 

  ・志理太乎宜神社(片瀬白田) 

 

 

6番「クライ」(久良惠命)祀る神社 

・久良濱神社【出張(でばり)】 

 

・久良濱神社(三宅島 坪田)
 ※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

 

7番「カタスケ」(片菅命)祀る神社 

・片菅神社(三宅島 神着美茂井
  片菅神社の記事をご覧ください

 

 

・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
  御笏神社の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
  后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください 

 

・片菅神社(東伊豆町片瀬) 

 

 

8番「ヒンスケ」(波夜志命)祀る神社 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀 

 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地 

 

・走湯神社(下田市大賀茂)

 

 

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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