高橋神社(三島市)

高橋神社は 第40代 天武天皇(テンムテンノウ)〈即位AD673~686〉から 膳臣(カシワデノオミの姓(カバネ)を改めて 高橋朝臣(タカハシノアソミ)を賜った その高橋氏の子孫が この地に住み 祖神を祀ったのが その起源とされています

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高橋神社Takahashi Shrine)
(たかはしじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県三島市松本298

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

【由  (history)】

高橋(たかはし)神社

鎮座地 三島市松本二九八番地
御祭神 磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)
例祭日 十月十六日

由 緒

御祭神の磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)は、第十二代 景行天皇の叔父に当たり、その子孫は 代々大膳職(だいぜんしき)(宮中の食事を司る職)の長官として宮中に仕えた。天武天皇の御代に高橋の姓(かばね)を賜り、以後 高橋姓を名乗ってきた その一族がこの地に住み、祖神を祀(まつ)ったのがその起源である。

その後の由緒については、ほとんど伝わらないが、現在の社殿は 寛永元年(1624)の再建と伝えられる。

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

社殿の向かって右手前に鎮座・熊野神社・山神社

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙椅神社
[ふ り が な ](たかよりの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takayori no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

髙橋(タカハシ)氏の発祥 高橋朝臣(タカハシアソン)について

当神社は 高橋氏の子孫が この地に住み 祖神を祀ったのが その起源とされています
髙橋(タカハシ)氏の発祥 高橋朝臣(タカハシアソン)について 詳しくは
高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

 

御祭神として「磐鹿六雁命(Iwakamutsukari no mikoto)」(料理人の神様)を祀る『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)関連の神社

山城國 愛宕郡 高橋神社
  北野天満宮京都市)境内末社 神明 

・【伊豆國 田方郡 高椅神社
  高橋神社(タカハシジンジャ)〈三島市〉

・【下總國結城郡 高椅神社
  高椅神社(タカハシジンジャ)〈小山市〉

・【安房國朝夷郡 高家神社
  高家神社(タカベジンジャ)〈南房総市〉

 

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆箱根鉄道駿豆線 大場駅から 県道141号経由西へ 約3km 車10分程度

式内社(伊豆國田方郡 倭文神社)論社の鍬戸神社と同じ鎮守の杜(チンジュノモリ)に建ちます
しかし 境内の敷地は別のようで境界線もあって 隣接して鎮座します
境内への入口参道は 別々にあり 社号標「延喜式内 髙橋神社」とあります
高橋神社Takahashi Shrine)に参着

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公民館の裏手に参道が在ります

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一礼をして 注連縄のかかる鳥居をくぐります

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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の左手は 隣接する鍬戸神社の本殿の裏側になります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』康永2年(1343年)に記される内容

神階と神名が記されていて 「髙橋の明神(タカハシノミョウジン)」と呼ばれていたことがわかります

従四位上 髙橋明神

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『伊豆国神階帳』康永2年(1343年)「群書類従」刊本(跋刊)[旧蔵者]昌平坂学問所

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『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

現在と同じように 鍬戸神社と同じ鎮守の杜(チンジュノモリ)に鎮座していると記されています

髙橋明神

松本村 鍬手明神 と 林(モリ)を同じくす

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省

現在と同じように 鍬戸神社と同じ鎮守の杜(チンジュノモリ)に鎮座していると記されています

 

平安時代からの伝統儀式 庖丁式(ホウチョウシキ)

庖丁式(ホウチョウシキ)は 平安時代の貞観1年(859年)から始まったと伝わる 庖丁師により執り行われる儀式です
庖丁師が 烏帽子・直垂・狩衣を身にまとって 大まな板の前に座り 右手に庖丁 左手にまな箸を持って 食材に素手を触れることなく切り分け並べていきます

日本料理の原点は、『日本書紀』によると第十二代景行天皇が東国巡幸のおり、安房(現・千葉県南部)で磐鹿六雁命がカツオとハマグリを膾にして天皇に差し出したことに始まるといわれます。磐鹿六雁命は膳大伴部に任じられ、子孫の高橋氏は大膳職として天皇家の食膳を守っていきました。磐鹿六雁命は、市内松本の高橋神社の祭神となっています。
平安時代の仁和年間(885年~888年)、光孝天皇は疫病の防止に心を配り、側近の四條山陰中納言藤原政朝に、故事に基づく食物調理の基本として、俎板庖丁捌きの掟を定めるよう命じ、「庖丁式」の作法を完成させました。
「庖丁式」とは、右手に庖丁刀、左手に俎箸を持ち俎板に置かれた調理の材料に、素手を触れることなく自身の六根清浄を念じ、天下泰平、五穀豊穣を祈り、すべての料理材料の生命に対して捧げる感謝の気持ちを、一刀一礼の作法に則って料理するものです。調理の材料は五魚(鯛・鯉・鱒・鱸・章魚)三鳥(鶴・雉・鴨)が基本で、儀式のテーマによりさまざまな切り方や盛り方があります。
平安時代の貴族の中から生み出された雅な庖丁式も、武家時代には豪壮な手振りに変わり、また時代の中でいくつかの諸流が興され、今日まで伝承されてきました。
庖丁式は単に古い儀式であるから尊いとか、あるいは庖丁技術が至難であるために価値があるというものではなく、また見世物や座興的なものではありません。両手に庖丁刀と俎箸を持ち、決して材料に素手をふれることなく取り計らう姿は「食衛生思想」と、無駄な手数を許されない俎板捌きは「食経済合理化」の実践を基にしています。食材に対して、礼に始まり礼に終わる庖丁式は、日本の世界に誇る食礼の儀式です。

広報みしま 平成16年11月1日号「歴史の小箱」掲載記事より

広報みしま 平成16年11月1日号

 

高橋神社Takahashi Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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高橋神社(奈良市八条町)記事をご覧ください

 

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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