八幡神社(下田市河内)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928著者の足立鍬太郎によれば 大正6(1917)の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭ったと記しています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡神社(Hachiman Shrine)
(はちまんじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県下田市河内240

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(Homutawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社〈参考〉

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『南豆神祇誌 1928著者の足立鍬太郎によれば 大正6(1917)の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭ったと記しています

Please do not reproduce without prior permission.

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多祁美加々命神社
[ふ り が な ]たけみかかのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Takemikakano mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
の式内社多祁美加々命神社の論社について

・大三王子神社(新島村大三山)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈境内 若宮〉

・八幡神社(下田市河内)

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急行 蓮台寺駅から北西へ約550m 徒歩10分程度
414号の旧道から 山へ上がる畑道ような細い道があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

途中 猪除けの柵があり これを開くと 右手に鳥居が建ち 新しい覆い屋が見えてきます

Please do not reproduce without prior permission.

除けの金網向こうに鳥居が建ち 真新しい石灯篭と社殿 調べていた時は山の中の廃屋寸前の社殿であったので この時は 今 目の前の神社が八幡神社(下田市河内)なのか 別の神社か もしくはこちらに遷座したのか わかりませんでしたが ここに遷座されていました

八幡神社(Hachiman Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

鎮座地は この竹藪を更に登っていくのであろうと思います

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 鳥居をくぐり 本殿の覆い屋にすすみます 

Please do not reproduce without prior permission.

覆い屋の扉を開くと本殿が鎮座しています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

屋覆い屋の中には 写真が飾られていて 全て 旧社地写真のようです
旧社地に鎮座する本殿の写真と目の前の本殿が同じであることから 本殿が遷座されたようです

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

廃絶社にならずに 里に近いこちらでお祀りをされていて 良かったと心から感じました 新社殿のすぐ下は里ですので・・

Please do not reproduce without prior permission.

安心して お詣りを済ませて 社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『南豆神祇誌 1928 復刻版 (2002/2/25)足立鍬太郎/著 に記される伝承

『三宅記』には 三島神が新島の后とした「ミトノクチノ大后」の御腹には二人御子がいて 兄の「大宮の王子〈第三王子〉=多祁美加々命」と弟の「テイサンノ王子〈第三王子〉」です どちらも第三王子と云い 区別がしにくい
著者の足立鍬太郎によれば 大正六年の棟札には「八幡神社 旧称王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭ったと記しています

【意訳】

初、王子社と称し、第三王子 則ち 多祁美加々命を祭ったのである。
当社所蔵の石剣は、スレート製アイヌ系精製石棒の中央部で、長さ六寸一分扁平にして横断面はほぼ菱形をなし、最広部 長径一寸三分・短径八部ある。
その両面に、同式のシムメトリカルに配置されたる文様を陰刻せるは、注意すべきものである。なお一個完全な無頭石棒と三面の和鏡がある。

Please do not reproduce without prior permission.

式内社 多祁美加々命神社たけみかかのみことの かみのやしろ の伝承について

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

多都美加賀ヒ神」として 神階の奉授が記されています

【意訳】

仁和2年(886)1125日 庚子 の条

授くに
伊豆
 
正5位下 楊原神に 正5位上

正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮の事であると記しています

【意訳】

多祁美加々命(タケミカカノミコト)神社

三代実録 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

旧事 天忍男命子建額赤命
志  吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その客曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫と云い この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか
又 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なること 三嶋と称せしならむ 伊豆峯記

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています

【意訳】

多祁美加命神社

多祁美加々は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

考証に 旧事紀 天忍男命子建額赤命
〇伊豆志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々
この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり」
伊豆峯記云う 三嶋明神とするは 昔 祠域に若宮祠あり これ三嶋神に従いし若宮なるゆえ 三嶋と称せしならむ

神位 三代実録 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➂

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

所在は 吉佐美村であり 三嶋神社と 三嶋神に従いし若宮祠があると記しています 

【意訳】

多祁美加(タケミカカノミコトノ)神社

祭神 多祁美加
今按〈今考えるに〉
三宅記に三島神の御子神のことを新島に置きたまう后を云々 この御腹に たいさむの王子とあるは 古伝によりて云えるものとみゆれば この神は三島神の御子なることを知るべし

神位 光孝天皇 仁和2年(886)1125日 庚子 の条 正6位上 多都美加賀ヒ神に 正5位下

祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
豆州志に 吉佐美村に 三嶋明神坐す 白鬚を配祀す 源三位頼政の記あり 
その略曰く
豆州17番の御神 神尾山 御蔵山の麓 多田美河の河上に坐ますは 当郷 朝日の里 月吉村のうぶすな大明神 人皇6代に当ら興津彦 興津姫 云々
この神 必ず式社なるへけれ 氏祠典 何れの命なるか 或いは曰これ 多祁美加々命神社 多田美河と語 相類しを訛誤あるか と云えり

而るに
攷證に 新島鎮座 大三明神なるべし 三宅記に 新島に置きたまう后を はみちのくちのみとの大后と申しける この御腹に王子二人おはします 1人をたいさむの王子とみえ 古老遺説に たいさむ王子は この島の地主神にして 島を開きたる神なりと云いて 尊信するを思うべし
今称の だいさむは多祁美の転訛にて タケタキ訛りたるを 音便タイ唱えしを三度転じてタイサム申しならむも 知るべからず云えるありて聞こえれば 今 これに従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➂

八幡神社(Hachiman Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.