若宮神社(三宅島 伊豆)(后神社の境外 末社)

若宮神社は 后神社の境外社です 三宅一周道路から 伊豆岬灯台へと下る道路の左側 道路と海の間にある藪の中に に小さな祠が鎮座しています

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

若宮神社Wakamiya Shrine)
(わかみやじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

東京都三宅島 三宅村 伊豆

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》片菅命(katasuge no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社〈論社〉
 后神社Kisaki Shrine)の境外社

【創  (Beginning of history)】

不詳

【由  (history)】

不詳


以前は 后神社に祀られていた「阿波命の御子神」で「随神 若宮」の本社であるともされています

富賀神社(三宅島 阿古)の境内社「若宮Wakamiya Shrine)」の記事もご覧ください

一緒に読む
富賀神社(三宅島 阿古)

富賀神社は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座していたと云われ 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜に鎮座の荒島神社)へ遷座し その後 現在地〈三宅島の南西 阿古にある富賀山(海抜60.4m)の中腹〉に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 静岡県伊豆の三島神社の祭神の発祥地だとする説もあります

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この若宮神社の御祭神は「阿波命の御子神」で「随神 若宮」であったとも云われ
「片菅命(katasuge no mikoto)」とされるのは 明治18年(1885)頃からか

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 片菅命神社
[ふ り が な  ](かたすげのみことの かみのやしろ)
      or(かたすかのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Katasuge no mikoto no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)
伊豆国 賀茂郡 片菅命神社Katasuge no mikoto no kamino yashiro)の5つの論社について

①・片菅神社(三宅島 神着美茂井
  片菅神社の記事をご覧ください

一緒に読む
片菅神社(三宅島 神着 美茂井)

片菅神社は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)にも所載されて 由緒(格式ある歴史)を持っています 『三宅記(miyakeki)』(鎌倉時代末期の作)によれば 三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉のお産みになられた 7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれています この御子神が 当社の御祭神「片菅命(katasuge no mikoto)」であるとされています 

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➁・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
  御笏神社の記事をご覧ください

一緒に読む
御笏神社(三宅島 神着)

御笏神社は 現社地(三宅島 神着(かみつき)に鎮座)には ご神託に基づき 1516年(永正13年)にご遷座になりました 元々は「神着(かみつき)の東郷(ひがしごう)」三宅島の北東に鎮座していましたが 旧社地は 1874年(明治7年)の火山噴火で溶岩流の下になってしまいました 格式は高く『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される「佐伎多麻比咩命神社(Sakitamahime no mikoto no kamino yashiro)」に比定されていて その他に4つの式内社の論社を合祀している由緒ある古社です 

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➂・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
  后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください

一緒に読む
后神社(三宅島 伊ヶ谷)

后神社は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される由緒(格式ある歴史)を持っています 御祭神について『三宅記(miyakeki)』には 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命(Ikamuhime no mikoto)」は 幼い子を抱いて 入水し石になって海中に鎮まっていると記されています そうした訳でしょうか 三宅島の伊ヶ谷港の高台から太平洋を眺めるように鎮座します  江戸時代に 三宅島に流された「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります

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④・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社〈当社〉

➄・片菅神社東伊豆町片瀬
  片菅神社の記事をご覧ください

一緒に読む
片菅神社(片瀬白田)

片菅神社は 往昔 八幡神社とも称せられていました 鎌倉時代 徳治2年(1307)創始と伝えられていますが これについては 若宮八幡神を合祀勧請した時のものです 当社「片菅神社(Katasuge Shrine)」の創祀は さらに以前であって 三宅島に鎮座する片菅神社を分霊したとする説があります 本来 伊豆地方では 多くの場合「若宮」とは「三嶋大明神の御子神」を意味します そうしたことから「三島神」に関係する神社として『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)の論社となっているのだと思います

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

阿古港から 都道212号を北上約7.1km 車15分程度
三宅一周道路から 伊豆岬灯台を目指し坂道を下ります 正面には 新島が見えています

その100m程の手前の竹林(藪)の中に 小さな祠が鎮座している 筈です

私が参着した時には 藪が深く下り坂で 鎌で藪漕ぎをしなければ進めない状態でした 場所も特定できません
仕方なく 藪の手前から お祈りです

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

この位置は 后神社のある伊ヶ谷浜の対岸にもなっています

少し下側から廻り込めるかと進んでみます

但し 海岸は断崖でやはり進むのは無理です

夕方に再度訪れて場所の確認を試みましたが判りませんでした
但し この場所は 「三本嶽」に沈む夕日の絶景スポットにもなっています 美しいです
「三本嶽」と呼ばれ 阿古港の西南西約 9 km に浮かぶ大小10 あまりの岩礁の総称

三宅島からは「子安根(標高 114m)」「エビ根(標高 61m)」「大根(標高  33m)」の3つの岩礁が見えているので三本嶽と呼ばれます

三宅島の北西にあたり 神津島 式根島 新島 利島 大島が見渡せて 暫し 美しい眺めに身を投じます

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される伝承

三宅島の三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉のお産みになられた7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれています
この御子神が 当社の御祭神「片菅命(katasuge no mikoto)」であるとされています

意訳

三女〈三島大明神の第三の后神(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)〉は 三宅島の丑寅(うしとら)〈北東〉の方に置かれました
かまつけ(神着)という所です
その腹から8人の王子が 一度にお産まれになりました

1番は「ナコ」
(南子命)〈南子神社or后神社境内社〉
2番は「カネ」
(加彌命)〈カミイノ宮〉
3番は「ヤス」
(夜須命)〈御嶽神社〉
4番は「テイ」
(氐良命)〈神澤神社or湯船神社〉
5番は「イタヒ」
(志理太宜命)〈椎取神社or志理太乎宜神社(片瀬白田)〉
6番は「クライ」
(久良惠命)〈久良浜神社【出張(でばり)】〉
7番は「カタスケ」
(片菅命)〈片菅神社or若宮神社or片菅神社(片瀬白田)〉
8番は「ヒンスケ」
(波夜志命)〈峯指神社or走湯神社(下田市大賀茂)〉
と申します

又「ななはしら」と言うところでお育てになられました
ところどころに宮々を置かれました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省

片菅神社Katasuge Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

各々の神社の記事をご覧ください 

母神 三島大明神の第三の后神
(佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)祀る神社 

・御笏神社(Oshaku Shrine)

 

・祖師堂(Soshido)御笏神社の旧鎮座地 

 

椎取神社(三宅島神着)〈古社地〉 

 

・両神社(下田市須崎) 

 

・波夜多麻和氣神社(下田市相玉) 

 

 

1番「ナコ」(南子命)祀る神社

・南子神社(三宅島 神着) 

 

・御笏神社(Oshaku Shrine)に合祀 三ノ朔幣神社(南子神社の遥拝所)
 御笏神社の記事をご覧ください 

 

・三ノ朔幣神社(san no sakuheino Shrine)旧鎮座地(三宅島 神着)
 三ノ朔幣神社 旧鎮座地の記事をご覧ください 

 

・后神社(Kisaki Shrine)境内社の南子神社
 后神社(境内社の南子神社)の記事をご覧ください 

 

・南子神社(下田市 神子元島)

 ※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E5%85%83%E5%B3%B6/@34.5745212,138.9420112,18z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x237eb1d45e96afc7!2z5Lih56We56S-!8m2!3d34.6576!4d138.966645!3m4!1s0x60175b74a0a70383:0x2858da0c91ac6c3e!8m2!3d34.5745212!4d138.9420112 

 

2番「カネ」(加彌命)祀る神社 

・カミイノ宮 御笏神社の本殿に合祀 

 

・カミイノ宮 旧鎮座地(三宅島 神着 首山)※原生林の奥の為 未参拝です 

・二宮神社【旧地】山ノ神(三宅島 神着 東郷)〈当社〉 

 

二宮神社(三宅島 坪田)(合祀先)〈論社〉 

 

 

3番「ヤス」(夜須命)祀る神社 

・御嶽神社跡(三宅島 坪田)〈当社〉 

 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

・嶽比良神社(三宅島 伊豆) ※掟により入山禁止の為 未参拝 

・子安宮(三宅島 神着) 

 

 

4番「テイ」(氐良命)祀る神社 

・神澤神社(三宅島 伊豆) 

 

・湯船神社(三宅島 神着)〈論社〉
 湯船神社の記事をご覧ください 

 

・八王子社(下田市中
 八王子社の記事をご覧ください 

 

 

5番「イタヒ」(志理太宜命)祀る神社 

・椎取神社(三宅島神着) 

 

  ・志理太乎宜神社(片瀬白田) 

 

 

6番「クライ」(久良惠命)祀る神社 

・久良濱神社【出張(でばり)】 

 

・久良濱神社(三宅島 坪田)
 ※未参拝 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ足を踏み入れない 

・二宮神社(三宅島 坪田)〈合祀〉 

 

 

7番「カタスケ」(片菅命)祀る神社 

・片菅神社(三宅島 神着美茂井
  片菅神社の記事をご覧ください

 

 

・御笏神社 に合祀された境内神社の勝祖神社
  御笏神社の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊ヶ谷)后神社の境内社 もしくは 后神社の本殿に合祀
  后神社(三宅島 伊ヶ谷)の記事をご覧ください 

 

・若宮神社(三宅島 伊豆)后神社の境外社
若宮神社(三宅島 伊豆)の記事をご覧ください 

 

・片菅神社(東伊豆町片瀬) 

 

 

8番「ヒンスケ」(波夜志命)祀る神社 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)御笏神社の本殿に合祀 

 

・峯指神社(Hoshino kamino yashiro)旧鎮座地 

 

・走湯神社(下田市大賀茂)

 

 

 

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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