廣瀬神社(伊豆の国市)

広瀬神社は 古来より 田中郷5ヶ村の総鎮守で『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社です 社伝によれば 往古 社殿は 金銀をちりばめ壮大にして 禰宜36 供僧6坊を置き 神領88反大50歩永80貫文を充てられ 隆盛を極めたとされ 三島大社はその昔 下田の白浜から この地に移り 後に三島に遷祀したと伝わります 

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

廣瀬神社Hirose Shrine)
(ひろせじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

深沢明神(fukasawa myojin)

【鎮座地 (Location) 

静岡県伊豆の国市田京1-1

 [  (Google Map)]

 

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》三島溝杙姫命Mishima mizokuihime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

不詳

広瀬神社の杜(森)

延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神という。祭神は、溝樴姫命外二神。見目神社・龍爪神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方一の大社である。

社伝によれば、三島大社はその昔 下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したという。

天正18年(1591)豊臣秀吉による韮山城 (北条氏)攻めの際 兵火に遭い社殿ことごとく焼失している。慶長元年(1596)に再建、江戸時代には深沢明神として崇敬された。明治28 年(1895)より広瀬と称える。

例大祭は、毎年11月3日に行われ、大仁町指定無形文化財の式三番が奉納される。

境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。また、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラなど注目すべきものがある。

教育委員会

境内案内板より

【由  (history)】

当社は延喜式神名帳に従一位広瀬明神と有る式内社である。
その創建年月詳らかならずといえども、天平5年(733)と伝う。

古来より田中郷5ヶ村の総鎮守で 社伝によれば 往古 社殿は金銀をちりばめ壮大にして禰宜36人、供僧6坊を置き、神領8町8反大50歩永80貫文を充てられ、隆盛を極めたが
天正18年(1589)豊臣秀吉の小田原征伐の際、兵火により社殿、宝物源頼朝、北条時政等の社領寄進状も焼失したと慶長元年(1596)及び寛永10年(1633)の棟札に記されている。

所領を失いその後、伊豆国全州の勧進を以って再興され、次いで寛文、亨保、明和年間に修営がおこなわれた。慶長元年の上梁文に「福沢大明神」と有り、寛永以降は「深沢明神」と記されている。

明治6年8月郷社に列し「深沢神社」と称したが明治28年5月18日、現社号「広瀬神社」に復称し 明治32年6月県社に列した。
例祭は、旧5ヶ村 現田京、御門、白山堂、守木、宗光寺の5区により斎行され 神輿渡御、稚児行列、式三番叟等行われ6台の山車引き回しにより勇壮な「深沢ばやし」が奏でられる。

広瀬とは、狩野川、深沢川の合流点にて瀬の広き所と伝う。
境内社 祖霊社(見目社、大楠社、若宮社、厳島社等数多く有ったが全て本殿に合祀)
特殊神事 御田植祭(7月15日)御神木「大楠」に早苗を投げ上げ枝に留まる苗の多い年は五穀豊穣とされる。
氏子1600戸 境内2708坪
昭和59年「神社振興対策指定神社」神社本庁
昭和60年「ふるさとの自然百選」静岡県
平成元年「天然記念物」杜 大仁町

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

祖霊社Soreisha)
《主》氏子の祖霊

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

2つの式内社の論社となっています

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社


[旧 神社 ] 廣瀬神社
[ふ り が な  ](ひろせの かみのやしろ)
[How to read ]Hirose no kamino yashiro)


[旧 神社 ] 輕野神社
[ふ り が な  ](かろのの かみのやしろ)
[How to read ]Karono no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

三嶋大社(mishima taisha)の遷座について

三宅島「富賀神社(Toga Shrine)」に伝わる「三島大明神」の遷座

噴火による「三宅島」島内での遷座の後

伝承には
三島大社は 本来この地に鎮座し そのあと 「三宅島 富賀神社」→
➁「白浜海岸 白浜神社」→
③「大仁町 広瀬神社」→
④「三島市 三島大社」と遷したとする説があります

廣瀬神社Hirose Shrine)」の社伝にも 三島大社はその昔 下田の白浜からこの地に移り 後に三島に遷祀したとされています

各々の神社の記事をご覧ください

富賀神社(三宅島 阿古)〈当社〉
伊古奈比咩命神社(白浜神社)
廣瀬神社(伊豆の国市(元 大仁町))
三嶋大社(三島市)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)所載社の論社について

伊豆国(izu no kuni) 田方郡(tagata no kori)
廣瀬神社Hirose no kamino yashiro)

廣瀬神社(伊豆の国市)〈当社〉
廣瀬神社(伊豆国四之宮)〈楽寿園 内〉
満宮神社函南町

伊豆国(izu no kuni) 田方郡(tagata no kori)
野神社Karono no kamino yashiro)

軽野神社(伊豆市)
・子神社(伊豆市)
廣瀬神社(伊豆の国市)〈当社〉

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆箱根鉄道 駿豆線 田京駅から南下 約500m 徒歩6分程度
廣瀬神社Hirose Shrine)参着
一礼をして鳥居をくぐります

参道が真っ直ぐに伸びて 小さな神橋を渡ると 二の鳥居が建ち 左手に「手水舎」があり 清めます

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拝殿にすすみます 扁額には「廣瀬神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の向かって左手には 蘇鉄の木

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立派な土俵

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御神木の大楠があります 案内板には

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御神木 大楠と御田植神事
推定樹齢 2500年
神事   7月15日
広瀬神社では、古くから御田植の神事(御田植祭り)が行われる。
かつては、氏子一同が太鼓を打ち鳴らしながら、神田尻(かんだじり)にある神饌田から早苗を採って来たが現在では当番町の人々により用意される。
この早苗を一の枝に打ち上げて、より多く枝に掛かった年は豊穣であるといわれている。

拝殿の奥には 幣殿 本殿が続いています
更に境内の奥には「祖霊社(Soreisha)」が鎮座しています お祈りをします

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参道を戻ります

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

深澤明神(fukasawa myojin)として記されています

意訳

明神(fukasawa myojin)
田京村

三島溝杙姫命Mishima mizokuihime no mikoto)
瓊瓊杵尊Ninigi no mikoto)の2柱を祀る

田中5ヶ村の総鎮守にして祠はすこぶる大なる

慶長元年(1596)の上梁文に云う
伊豆国 田方郡 田中郷 福澤大明神は 人民養育の誓願を現す大明神をもって しかる後 伊予国 福田荘より世に出る

聖武天皇の御代 天平年中(729~749年)に 此の所に鎮座し給う

柳(楊原)とも云われる
天長年中(824~834年)三島大明神 しかるに金銀をちりばめ造営 なりと


一枚の板には 伊予国 福田荘より 天平(729~749年)中に鎮座 36人の社人 6坊の社僧を置き 今日の影山丈雲院の額有り一寺なりしく

天長(824~834年)の中頃に「三島大明神」を鎮座とす
これは慶長7年(1602)駿河国の住人「妙弥紹仙人」と記する所なり
祠域に「薬師堂」見目本社ともにあり
故に当社の云うにあれば 三島と同神にして式内社なるべし

毎年 正月15日に 年穀物の占いをなす為 粥を竹筒に投じて煮る その筒の中の虚宝を視て 五穀の豊凶を占う・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

末社の6神主は西島氏 山の神

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省

 

『明治神社誌料(meiji jinjashiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

意訳

縣社 廣瀬(ヒロセノ)神社

祭神 三島溝樴姫命ミシマミゾクイヒメノミコト
   不詳 2座

古くは 深澤明神と称し 一に福澤明神とも称しせしが如し 創立年代はわからずとも

当社 慶長元年の棟札は天平年中の創立とす 云う

「伊豆国 田方郡 田中郷 福澤大明神社 伊予国 福田荘出世 而以 人民養育誓願 現 大明神 聖武天皇 御宇 天平年中 鎮座此所給 云々 」

と古来 田中5ケ村の総鎮守にして 社殿宏大 寛永年中の文書に当国56社の一に数えられたり 神領は 北条時政以来 神田8町8段50歩 田中郷内・・・・・・

これより先 源頼朝 神領若干寄進せりと 然るに天正18年 兵火に罹り 頼朝 時政等の寄進状 社殿と共に焼失せりと
慶長元年の棟札 及び 寛永10年の棟札に見えたり

以来 所領を失い 伊豆全州の勧請をもって 修繕の費用に充てる すなわち慶長元年 全州の勧請によって社殿再興 次いで 寛文 貞享 享保 明和年間勧進によって修営あり・・・・・・・・・

明治の初年 郷社 兼 村社に列せられ 深澤神社と称しが 28年中 現社号に改め 同31年中 縣社に昇格

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

延喜式所載の廣瀬神社は その当時 小社に列せられ 当国神階帳には 従一位 廣瀬明神と見え 国内有数の神社にして 古い説は皆 三島神社の摂社なね小濱の廣瀬明神(これを弁天と称す)を以って これに充てたり
当国式社考証之を否定して 当社を以って 式の廣瀬神社とて 小濱の廣瀬を以って当社の分祀なりとする 豆州志稿(zushu shiko)及び特選神名帳を賛成す
豆州志稿(zushu shiko)に云う

「式内 廣瀬神社なる可し 往昔 狩野川 祠傍に流れ 古川の称存す この地に至り 深沢川 大沢川と相会うして 流域 始めて大を成す 故に廣瀬と称せし
大和国 廣瀬神社も 初瀬佐保の2川 社辺にて合流するより その称あるが如し 現今 社西 神島村の内に廣瀬の地名 在する」

しかるに 近世 川村某 その著 式社考証に 間宮村八幡を以って廣瀬神社とする説を却けて云う

「或いは 廣せは 深澤神社ならんと云えども その説受け難し 何んとなれば 区域 相近き深澤より 三島へ遷し奉るべき謂れあるべからず もし遷し奉りしとする時は 昔の地には 只其しる しばかりを残す為に 小祠こそ立て置くべけれ 今に其御神社の かえって諸社に卓越せる大社なるべき謂れあるべからず とにかく深澤たるの説には随いたくなん」

境内神社 見目(ミメ)神社
・・・・・・・・

『明治神社誌料』1
『明治神社誌料』2
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編

 

廣瀬神社Hirose Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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廣瀬神社Hirose Shrine)」の社伝にも 三島大社はその昔 下田の白浜からこの地に移り 後に三島に遷祀したとされています

 

各々の神社の記事をご覧ください

富賀神社(三宅島 阿古)〈当社〉
伊古奈比咩命神社(白浜神社)
廣瀬神社(伊豆の国市(元 大仁町))
三嶋大社(三島市

 

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対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

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