月間神社(南伊豆町手石)

月間神社(つきまじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の式内社「竹麻神社 三座」の一座されています 村人の伝えでは 竹麻神社三座三嶋大神・后神・御子神が神津島から上陸された場所で 更に この地から田方の三島大社に遷座された伝承されています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

月間神社(Tsukim Shrine)
(つきまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡南伊豆町手石336

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》三島大明神(Mishima Daimyojin)事代主(ゑびす様)
《配》天照皇大神(Amaterasu sume okami)
〈明治8年合祀 神明社「日野神社」

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

商売繁盛 豊穣 厄除け 招福

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創 建 嘉祥年間(848~850年)

【由  (History)】

月間神社 縁起

祭 神 三島大明神事代主(ゑびす様)
合 祀 神明社

境内社 水神社(罔象女神=水速女神

社 格 延喜式内社 旧郷社

創 建 嘉祥年間(848~850年)

三座が 神津島から伝来し 竹麻神社となる
三島大明神 手石 月間神社に遷宮
阿波神(本后)吉佐美の八幡神社に分祀
物忌奈神(第一皇子)湊の若宮神社に分祀

ご利益 商売繁盛 豊穣 厄除け 招福
(水神社)五穀豊穣 安産 子宝 

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

水神社《主》罔象女神(すずはめのかみ)

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 竹麻神社 三座
[ふ り が な ]たかま かみのやしろ みくら
[Old Shrine name]Takama no kamino yashiro Mikura

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
の式内社〈  竹麻神社 三座 〉の論社について

竹麻神社

・月間神社(南伊豆町手石)

・八幡神社(下田市吉佐美)〈合祀 三島神社〉

・若宮神社(南伊豆町湊)

・竹麻神社(下田市高馬)

・本郷富士浅間神社(下田市)

・三島神社(南伊豆町青市)

・三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急下田駅から R136号を南西へ約10.5km 車16分程度

R136号から地区を流れる青野川河口方向(南)へ向う西岸の山の麓に鎮座
古代には この辺りまで湾が迫り 海辺に鎮座していたと伝わります

参道の杉木立があり 「式内 大明神 月間神社」との社号標と鳥居が建ちます
月間神社(Tsukim Shrine)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり 砂利の敷き詰められた参道を進みます

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参道左手に 幹が二手に分かれて真ん中空洞 更にその先で又一体となっている不思議なケヤキ大木があり その先の池の中に境内社水神社《主》罔象女神(すずはめのかみ)が鎮座し お詣りをします

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銅板の屋根が 緑青色となった拝殿が背後の杜の前に建てられています

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拝殿前に座す狛犬は 苔生して只ならぬ雰囲気が漂います

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拝殿にすすみます 拝殿の前面扁額には「奉納 竹麻神社」 拝殿内の扁額は「奉納 月間神社」と記されています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の横に廻ると 奥に通じている長い参道がありました

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こちらの参道は どうやら本殿に通ずる参道らしく 杜の中を分け入るような感を与えられる 神聖な空間に近づいていることが肌で感じられる

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やはり本殿の覆い屋の手前まで来ると いかにも御神威を感じます 余程 ここからお詣りをして 下がろうかと想いましたが 意を決っして階段を上がります

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覆い屋の中には かなり古い年代の本殿が鎮座していました
本殿前で

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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振り返ると 拝殿迄の奥参道が杜の中を続いています

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拝殿前の境内迄戻り 振り返り社殿に一礼をしてから 参道を鳥居に向かいます

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 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

月間明神と称していて 手石湊村の月間と所在を記し 三島大明神祀り 村人は三島大社の旧鎮座地と伝えていると 記しています

【意訳】

月間明神  手石湊 青市旧村なり

なお 三村鎮守なり 湊村に月間の地名存す 古額にともに正一位 参島大明神と刻す
又 康永の上梁文などあれど文字多く滅す
先年 祠域 土中より古仏式具等を得たり 
村人云う この社は三島大社の旧地なりと 鑰取 小田氏

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

式内社 竹麻神社 三座創建について 

三島大明神の本后「阿波」は 神津島に鎮座しているが 三宅島に鎮座する後后の「伊古奈比咩命」が 先に叙位を受けたことに嫉妬 怒り狂い 神津島を噴火させたと『続日本後紀』承和七年九月記述があり
伊豆国の報告を受け 大和朝廷は 伊豆半島から対馬〈神津島を遥拝するように創建されたのが竹麻神社三座れています

【意訳】

承和7年(840)9月23日(乙未)

伊豆国(役人が使いを遣わし)申上するには
『(伊豆国)賀茂郡に造作の島がある 本の名を「上津嶋」という この島に鎮座する「阿波神」 は「三嶋大社」の本后である また同様に鎮座する「物忌奈乃命」は 即ち前の社(三嶋大社)の御子神である 云々〈中略〉
「上津嶋」の島全体は 草木が繁茂し 東・南・北方は山や崖が険しく高く 人や船がはいることはできない ただわずかに島の西だけ(船が)停泊することができる浜があ(草木が)焼れ(険しく高かった山崖が)崩された(からで)海に陸地をなす砂浜は およそ二千町ばかり 島の東北の角には新しく造られた神院がある(島の東北には)丘があり(その丘の)高さは五百丈ばかり 周囲は八百丈ほど 丘の形は鉢を伏せたかのようである 云々〈中略〉

さる承和五年七月五日の夜に噴火し 上津嶋の左右の海中を焼く 炎は野火のごとく 十二の童子(分裂した炎)が互いに接してするどく光り 海に入って火をつけ 諸童子(炎)が海を席巻する姿は 地面のように広がり 陸地にいたって地上に進入する姿は水のよう(変幻自在)である
大きな石は 雲にまで達するがごとく持ちあがり 火は辺りを焼きくだく 炎は盛んで天にまで達し その形はおぼろげで定まらない ところどころに炎が飛びかう こうしている間にも十日がたち 灰の混じった雨は部内に降り覆った

 そこで諸々の祝(はふり)刀祢(村の主者)を召集し その祟りの原因を占って求めた
『「阿波神」は「三嶋大社」の本后であり 三嶋との間に五子をもうけた後后「伊古奈比命」には冠位(神階)を授けたのに  本后にはいまだに(神階が与えられる)兆しに預からない そこで私はことのほか怪異を示して冠位(神階)に預かろうと思う もし祢宜や祝等で この祟りについて申上しない者がいたならば 麁火(あらあらしい火)を起こして祢宜等を亡ぼすだろう 国司や郡司で(神階授与に)労を尽くさない者がいたならば, その国司郡司を亡ぼすだろう もし私が望むことを成就するならば 天下(全国)の国・郡は平安し 産業は栄え豊かになるであろう』と

今年(承和七年(840))の七月十二日 遠めにかの島(上津嶋)を望むと
もやが四而(四面)を覆って 全く状態が窺えなかったが 漸して元の状態に近いほどに戻って 雲霧がはれ明るくひらけた 神作院・岳等の類がはっきりとそのすがたをみることができた これも我々の努力に神(阿波神)が感じるところであろう』と

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています

【意訳】

竹麻(ツクマ)神社 三座

和鈔 月間

一坐は 当郡 本郷村高馬に坐す 今は八幡と申す
一坐は 本郷土濱の一岩山の上に坐す 元禄6年の文に御年漏竹彦明神と この山 富士に似たり因て 又 富士山とよび遂に その具神し浅間とす
一坐は 柿崎村 武峯山の半腹に坐す 今 武峯権現とす古き棟札に伊豆国賀茂郡武山大権現 当初 役行者勧請 熊野山三所大権現
永正18年の札に 稲沢本郷 崩之山 爰(ここ)第1に社檀号 熊野権現云々 再興

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

竹麻神社 三座は 各々に座していて・本郷村高馬〈現 竹麻神社(下田市高馬)〉・本郷土濱〈現 本郷富士浅間神社(下田市)〉・柿崎村 武峯山の半腹〈現 三島神社〈柿崎神社〉(下田市柿崎)〈合祀 武峰神社〉〉と記しています

【意訳】

竹麻神社 三座

竹麻は 都久末と訓ずべし 和名鈔 郡名部 月間
〇祭神 詳らかならず
〇三座各々に在す
一座は 月間郷 本郷村 高馬に在す 今 八幡と称す
一座は 本郷土濱一岩山上に在す 今 浅間と称す
一座は 柿崎村 武峰山半腹に在す 今 武峰権現と称す 志

神位 国内神名帳云 従4位上 月まの明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』①

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

古くは海湾であったところに鎮座したが この海口が ことごとく陸地と成り 人々が異動し 村里が分かれて 竹麻神社 三座分祀されていった
式内社として有力なのは

一座は 手石村鎮座 月間明神〈現 月間神社(南伊豆町手石)
一座は 吉佐美村鎮座 三島明神〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)
一座は 湊村鎮座 若宮八幡〈現 三島神社(南伊豆町青市)

と記しています

【意訳】

竹麻神社 三座

祭神
三島大神 称 月間明神(明細帳に手石 月間神社あり)
阿波命 称 三島神社
物忌奈命 称 若宮八幡

祭日 9月17日 11月中酉日
社格 郷社 手石村 雑社 吉佐美村 湊村(郷社)

所在(賀茂郡 竹麻村 大字 手石)手石村 吉佐美村 湊村

今按〈今考えるに〉
式社攷證 湊村 月間の地鎮座 今は各所に分祀す
竹間は 和名抄に所載 賀茂郡 月間郷 神階帳に所謂 月間 同じ地の称なるが 湊 手石2村の北20許町 吉佐美 青市田牛王村の境界に接したる所に有りて 古くは海湾 この辺り迄至り 湾内甚だ広く船舶 輻輳(ふくそう)の所と聞こえたるを 後にこの海口ことごとく陸地と成り 人居を東南の岸に遷し 村里の区分起こりしより総鎮守とある竹麻神社三座を各所に遷祀ることと成りて今の如く髣髴(ホウフツ)しく成りたるなれば 社地の沿革とに留意せずば有可らず

その一座 手石村鎮座 月間明神と称す 神階帳に所載 月間の明神これなり 豆志 未定の部に云 月間明神 手石湊青市 旧一村なり 今の三村の鎮守なり 湊村に月間の地名存す 古額に正一位 参島大明神と刻す 社伝に往古 神津島より遷座と伝へたるは既く 竹麻神社三座は 三島大神と阿波物忌奈命なるべく思想せるに符合ひ 当社は古額に参島大明神とみえ打任せて月間明神と云う称あるを思うに三座の第一の神にして三島大神なる事論ひ無し 

その一座は 吉佐美村鎮座 三島明神と称す この村 月間の地に接して同郷中なりしが 村里の分かれたる時 遷祀たるなり 村称の吉佐美は后宮の省略にて 竹麻神社三座の内 第二座に当り給う后神を遷祀たるより起きた

呼称なること云うまでもあらず 旧記に豆州17番の御神云々と有るも 神階帳に所載 賀茂郡内地21座の内 月間明神と有を三座と数えるに この神 則17番目に当れるは彼在庁の奉幣の第17に当る神なりと云伝のありしを その儘記されたると聞こえて所縁あるを思うべし

第三座は 諸説あれど湊村にある若宮八幡と云 社ここにて若宮は 三島神の后神 阿波命の御子とます 物忌奈命ならんい云るによ因りて

県の注進にも 月間明神
三島大神は 手石村三島神
后神 阿波命は 吉佐美村
若宮八幡 物忌奈命は 湊村と定めたるに従えり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』①1 『特選神名牒』①2

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社 竹麻(つくまの)神社 三座として有力なのは

一座は 手石村鎮座 月間神社〈現 月間神社(南伊豆町手石)
二座は 吉佐美村鎮座 三島神社〈現 八幡神社 合祀 三島神社(下田市吉佐美)
三座は 湊村鎮座 若宮神社〈現 三島神社(南伊豆町青市)

と記しています

【意訳】

竹麻(つくまの)神社 三座

月(つき)まの明神 神階帳

各所に分祀す
その一座は 同郡 手石(ていし)村鎮座 月間神社 これなり 式攷攷證注進特選

その二座は 吉佐美(きさみ)村 三島神社なりとす 攷證注進特選

その三座は 湊(みなと)村 若宮神社なるべし 攷證の一説注進特選

今云う この三座を豆志に 本郷村八幡神社 同村一岩山 竹彦(たけひこ)神社 柿崎村 武峯(たけぶ)山神社に当らせて適はず 攷續攷等に弁明をるを見て知るべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』 萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』

月間神社(Tsukim Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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