天津石門別神社(高取町越智)〈『三代實録』天石戸別神『延喜式』天津石門別神社〉

天津石門別神社(あまついわとわけじんじゃ)は 越智氏居館跡の西にあり元暦二年(1185)越智家の祖 親家が戦場守護神として創祀『越智氏系図』 古来 九頭神社と称し 明治八年(1875)奈良県示達により延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)に治定され社名も改称されたが根拠は不明

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天津石門別神社(Amatsu iwatowake shrine

通称名(Common name)

九頭龍明神(くづりゅうみょうじん)
・九頭明神(くづみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

奈良県高市郡高取町越智字大西85-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天手力男命(あめのたじからをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

天津石門別神社(あまつ いわとわけじんじゃ

所在
 奈良県高市郡高取町越智字大西八五

御祭神
 天手力男命(あめのたじからおのみこと)

由緒

 越智氏居館跡の西に鎮座。旧村社。

古来 九頭神社と称し、「越智氏系図」に元暦二年(一一八五)越智家の祖、親家が戦場守護神として祀ったと記し、越智党団結の契機及び城館鎮護の神とされた。
明治八年(一八七五)奈良県示達により「延喜式」神名帳高市郡「天津石門別神社」に治定され、社名も改称されたが根拠は不明。
式内 天津石門別神社は天石戸別神とも書き、貞観十七年(八七五)三月二十九日、正五位下より従四位下に昇叙(三代実録)。式内社は近世まで所在不明で(大和志)、「五郡神社記」のみ忌部村(現 奈良県橿原市)の忌部神社(式内 天太玉命神社)に併祀と記す。なお「三代実録」貞観五年二月十四日条に大和国の天津石門別稚姫神を従五位下より従五位上に昇叙したとあるが、天津石門別神社との関係は不明。
当社には社殿がなく、板石を楯状にめぐらした玉垣中央に神体の榊が植えられている。里俗に九頭竜明神と称し、水神として祭祀されているが、自然崇拝の古い信仰形態を残しており、もともと九頭神(国津神・牛頭天王)を祀っていたものが語の類似により九頭竜となり、社名改変に伴って天岩戸を開いた天手力男命を祭祀するに至ったと考えられる。
なお「越智氏系図」には越智親家が胄の八幡座の九頭銀竜を安置。九頭上大明神といって奉祀したとの説話がみえる。

-寺院神社大辞典より-

現地案内板より

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【由  (History)】

『大日本史』に記される内容

【抜粋意訳】

天津石門別神社、

〇天津石門 又 作天石戸、今在 阿智村大西之地、

【原文参照】

源光圀 編 ほか『大日本史』第107,108 巻252・253 志,徳川総子,明39-40. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/769970

『奈良県史』に記される内容

【抜粋意訳】

一四、高市郡 1、高取町

天津石門別神社(越智字大西)

 近鉄橿原神宮駅西出口からバスで観音寺か越智に下車、越智氏居館跡の西に鎮座する。

 祭神は天手力男命で、九頭竜明神とも称す。

 『三代実録』の貞観十七年(八七五)三月二十九日の条に「奉レ授大和国正五位下天石戸別神従四位下」とあり、『延喜式』神明帳に「天津石門別神社」として式内社に登載されているが『大和志』に「在所未詳」とあるところから、近世期には在所不明の神社とされたが、明治八年(一八七五)当社を天手力男命をまつる天津石門別神社と称すべき旨県より示達があった(『高市郡神社誌』)。ために明治十三年の標石にもこの神社名が刻まれている。しかしこの地を本貫としていた越智氏の『越智系図』と伝えるものに、当社を九頭明神としてその祖親家が戦場の守護神として元暦二年(1185)三月九頭神をここにまつったと伝えている。

 当社には本殿なく、祝詞舎の奥に高さ二メートル余の石垣壇上の板石を横状にめぐらした玉垣内に、神の依代として柿の木が植えられている。古代の庶民信仰としての祭祀形態の名残である。例祭は十月十八日。

【原文参照】

『奈良県史』奈良県史編集委員会 編集 名著出版

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿は無く 石組みの上に石板の囲い

『奈良県史』「当社には本殿なく 祝詞舎の奥に高さ二メートル余の石垣壇上の板石を横状にめぐらした玉垣内に 神の依代として柿の木が植えられている」

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・幣殿

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・拝殿

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・〈境内社〉大物主神と宇賀御魂神を合祀した祠

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・境内

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・社号標「天津石門別神社

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

天石戸別神に神階が授けられます

【抜粋意訳】

卷二十七 貞觀十七年(八七五)三月廿九日壬子晦

○廿九日壬子晦


伊豫國 從二位 大山積神正二位 正四位上 礒野神
近江國 正四位下 三上神に 從三位

大和國 正五位下 天石戸別神從四位下

美作國 從五位上 高野神正五位下 從五位下 御鴨神 從五位上

因幡國 正六位上 神前神
伊豫國 正六位上 風伯神に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天津石門別神社
[ふ り が な ](あまつ いはとわけの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amatsu ihatowake no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「(いはとわけのかみ)」の呼称を持つ神社について

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にいはとわけのかみ」の呼称を持つ延喜式内社は 12ヶ所あります

延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社
延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社
延喜式内社 近江國 伊香郡 天岩門別命神社
延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社
延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社
延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社
延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社
⑩延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕
延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社

各々の論社について

①延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)の論社について

・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

②延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天津石門別神社(高市郡高取町越智)

・天太玉命神社(橿原市忌部町)
〈境内社〉杵築神社 又は天太玉命神社に合祀

③延喜式内社 攝津國 嶋下郡 天石門別神社(あまの いはとはけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(茨木市元町)

④延喜式内社 近江國 伊香郡 天石門別命神社(あめ いはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社について

・森本神社(長浜市高月町森本)

⑤延喜式内社 陸奥国 白河郡 伊波止和氣神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

・伊波止和氣神社(古殿町田口戸神)

・白河神社(白河市旗宿関ノ森)

・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)
〈旧鎮座地とも云う〉

・都都古和氣神社(馬場)の奥宮 都々古別神社(表郷三森 都々古山)
《三鎮座の鼎(かなえ)〈三本足の青銅器・土器〉のように・白河神社(白河市旗宿関ノ森)・磐戸別神社(白河市関辺丸沢)・都々古和氣神社(白河市表郷三森都々古山)〉の三社を以て 伊波止和氣神社とも云う》

《参考》・石都々古和気神社(石川町) 

⑥延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめいはかとひこの かみのやしろ)の論社について

・大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈石見國三之宮〉

⑦延喜式内社 美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)の論社について

・天石門別神社(美作市滝宮)〈美作國三之宮〉

延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社について

備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あるが いつれの式内社 どちらの論社に当るのか確定判別はできていません

・石門別神社(岡山市北区大供表町)

・石門別神社(岡山市北区奥田南町)

延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別八倉比賣神社〔大 月次 新嘗〕(あまの いはとわけ やくらひめの かみのやしろ)の論社について

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

・上一宮大粟神社(神山町)
〈一宮神社(徳島市)の元宮とされる〉

・一宮神社(徳島市)

延喜式内社 阿波國 名方郡 天石門別豊玉比賣神社(あまの いはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社について

雨降神社(徳島市不動西町)

・龍王祠〈廃社〉

徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀

・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)

・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)

※式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ

①境内社゛龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている〉
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた

②竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉

竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮)〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり〉
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

⑫延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまの いはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について

・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)

・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR和歌山線 掖上駅から 県道133号経由で北上して約2km 車での所要時間は5~6分程度

高市郡高取町越智の住宅街の中に鎮座していて 見つけにくいです

社頭は西向きです

天津石門別神社(高市郡高取町越智)に参着

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鳥居をくぐり抜けるとすぐに社号標「天津石門別神社」があります

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拝殿は西向きです

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の後ろ ブロック塀に囲まれて建てられているのは 本殿ではなく幣殿です

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本殿は無く 石組みの上に石板の囲い

『奈良県史』・・「当社には本殿なく、祝詞舎の奥に高さ二メートル余の石垣壇上の板石を横状にめぐらした玉垣内に、神の依代として柿の木が植えられている」

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社殿に一礼をして 境内を戻ります 

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 天津石門別神社について 所在は゛在所詳ならず゛よく分からないと記しています

【抜粋意訳】

天津石門別神社

天津石門別は阿麻都伊波止和氣と訓べし

〇祭神明か也

〇在所詳ならず

〇古事記、神代段常世思金神、手力男神、天石門別神、云々、次天石戸別神、亦名謂 櫛石窓神、亦名謂 豊石窓神、此神者御門之神也、
〇姓氏録、河内國神別多米連、神魂命 天石都倭居命之後也、

類社
 摂津島下郡、美作國英多郡 天石門別神社、〔各一座

 近江国伊香郡 天石門別命神社、
 陸奥國白川郡 伊波止和氣神社、
 備前國御野郡 石門別神社二座、

神位
 三代實録、貞観十七二十九日壬子、授 大和正五位下 天石戸別神 從四位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 天津石門別神社について 所在は゛ 越智村の大西にあり、゛〈現 天津石門別神社(高市郡高取町越智)〉と記しています

【抜粋意訳】

天津石門別神社、

 越智村の大西にあり、〔奈良縣神社取調書〕

神魂命の子 天石都倭居命を祀る、〔姓氏錄、延喜式〕

清和天皇 貞観十七年月壬子、正五位下 天石戸別神に從四位下を授く、〔三代実録〕

 毎年十一月六日祭を行ふ〔奈良縣神社取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 天津石門別神社について 所在は゛越智村〔字大西〕(高市郡越智岡村大字越智)゛〈現 天津石門別神社(高市郡高取町越智)〉と記しています

【抜粋意訳】

天津石門別(アマツイハトワケノ)神社

祭神 手力雄(タチカラヲノ)

 今按 古事記 常世 思兼神 手力男神 天石門別神と三神の名を擧たるたる 次に天石別神 亦名謂 櫛石窓神 此神者 御門之神也 次 手力男神者 坐佐那縣也とあり 又 古語拾遺に令 天手力雄神 引啓其扉遷新殿云々 豊磐間戸命 櫛磐間戸命 二神守衛殿門〔是並 太玉命之子也〕とあれば 天石戸別神と手力雄神は別神なるを社説に手力雄神と云るは誤れるならむ

神位 清和天皇 貞観十七年三月二十九日壬子 授二 大和國正五位下 天石戸別ノ神二 從四位下

祭日 一月六日
社格 村社

所在 越智村〔字大西〕(高市郡越智岡村大字越智)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天津石門別神社(高市郡高取町越智) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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