村山神社(亀岡市篠町森山先)〈『延喜式』村山神社〉

村山神社(むらやまじんじゃ)は 延喜式内社 丹波國桑田郡 村山神社(むらやまの かみのやしろ)と伝わります 社伝によれば「往古 社頭廣かりしも 兵燹にかかりて 焼失し 應永二十七年(1420)領主 渡邊六郎頼方 社殿を再興したることありと云ふ」と伝わり その頃八幡宮を勧請して 兩本殿が並立して祀られたとのこと

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name)】

村山神社(Murayama shrine

【通称名(Common name)】

明神さま(みょうじんさま)

【鎮座地 (Location) 】

京都府亀岡市篠町森山先34

【地 図 (Google Map)】

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神〔本殿〕
 大山祇命(おほやまつみのみこと)
 木花開耶毘(このはなさくやひめのみこと)

《配祀神〔八幡宮〕
 應神天皇(おうじんてんのう)
 天皇(にんとくてんのう)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創 建 (Beginning of history)】

由緒

 祭神は、大山祇命・木花開耶姫の二神で、社殿の右方に主神、左方に八幡宮をまつる。
主神は、桑田神社の祭神と同じく、泥湖を干拓された神であるという伝説がある。

社伝によるともとの社域は広かったが、兵火により焼失、応永27年、領主渡辺頼方が社殿を再興したとある。社殿背後の洪積台地は宮山といい、古代陶器の窯跡があり、このあたりから王子にかけての山麓に登窯が作られ、須恵器や瓦が焼かれていたという。又、裏山には、神霊の天降る聖地として重んじられた禁足地が残されている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由 緒 (History)】

『南桑田郡誌』(大正13年)に記される内容

社伝には 古くは広大な社地を有していたが兵乱で焼失し 應永27年(1420)に国恩寺の雑掌として当地を治めた渡辺六郎頼方が 社殿を再興 その頃八幡宮を勧請して 兩本殿が並立して祀られたと云う

【抜粋意訳】

第四章 神社

第二節 篠村

村山神社

 字森に鎭座し大山祗命を祀る。延喜式 既に本社名を載録す。
社傳によれば 往古 社頭廣かりしも、兵燹にかかりて、焼失し、應永二十七年 領主 渡邊六郎頼方 社殿を再興したることありと云ふ。

社殿は宮山と稱する高地にありて、其西側は境外 社有の遊園地にして森公園と稱し、鬱欝たる老樹の間に、四季の花樹多く栽えられ、山色紫明、形勝の位置を占む。

【原文参照】

京都府教育会南桑田郡部会 編『南桑田郡誌』,京都府教育会南桑田郡部会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978749

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】

〈境内社〉

・〈禁足地 境内社〉稲荷社

・〈社殿向かって右 境内社〉天皇社《主》仲哀天皇

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・〈境内社〉五社大明神

 向って右側から〔稲荷神社・天満宮・大国主命社・野々神社・愛宕神社〕

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・〈社殿向かって左 境内社〉広田社

 江戸時代に医王谷〔篠町広田〕から遷座と書かれています

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村山神社 拝殿・〈池の中 境内社〉弁財天社〈厳島社〉

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・社務所・〈社頭狛犬の脇 境内社〉百太夫社

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・〈社頭狛犬の脇 境内社〉百太夫社

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・太古の鎮座地 明神ヶ岳の山頂

 村山神社〈明神さま〉は 太古 明神ヶ岳山頂(523m)に鎮座していたと云う

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 村山神社
[ふ り が な ](むらやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Murayama no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「村山神社(むらやまの かみのやしろ)」は 二ヶ所あります

①延喜式内社 丹波國桑田郡 村山神社
②延喜式内社 伊豫國宇摩郡 村山神社〔名神大〕

各々論社について

①延喜式内社 丹波國桑田郡 村山神社(むらやまの かみのやしろ)

・村山神社(亀岡市篠町)

②延喜式内社 伊豫國宇摩郡 村山神社(貞)〔名神大〕(むらやまの かみのやしろ)

・村山神社(四国中央市土居町津根)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 馬堀駅から南へ約1.9km 車での所要時間は7~8分程度

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社頭は 東を向いています
「延喜式内 村山神社」の社号標があり
「正一位 村山大明神」の扁額が掛かる鳥居が建っています

村山神社(亀岡市篠町森山先に参着

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鳥居をくぐり抜けると 狛犬が構え 石畳の参道が続いています

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石畳の参道の突き当りに石柱があり ここから参道は左右に分かれています
参拝順路には 向かって右からと書かれています

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左右に別れた参道の中央には 池があり〈境内社〉弁財天社が祀られています

その上には 拝殿があります

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拝殿を過ぎると本殿へと続く石段が やはり左右に分かれています

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石段を上がり切ると 透塀に神門があり拝所となっています
その奥に本殿があります

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にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の向かって左側が更地になっていました
最初は 伊勢神宮の「式年遷宮」のために用意された神聖な敷地「古殿地(こでんち)」かと思いましたが 張り紙があって 台風による被害があり 八幡宮の本殿が倒壊した址である事が判りました

写真によれば
倒壊前は 村山神社の本殿と 八幡宮の本殿が並んで建っていた

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倒壊した本殿の屋根の一部

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社殿に一礼をして 参道石段を戻ります

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帰りは 向かって左側の石段 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 村山神社について 類社として゛伊豫國宇摩郡 村山神社゛を挙げています

【抜粋意訳】

村山神社

村山は牟良夜麻と訓べし

○祭神 大山祇命〔注〕

○山國內也〔同上〕

類社
 伊豫國宇摩郡 村山神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 村山神社について 所在は゛今 森村にあり、村山大明神と云、゛(現 村山神社(亀岡市篠町森山先)と記しています

【抜粋意訳】

村山(ムラヤマノ)神社、

 森村にあり、村山大明神と云、〔鹽魚、丹波式社考證ね〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 村山神社について 所在は゛森村南桑田郡篠村大字森)゛(現 村山神社(亀岡市篠町森山先)と記しています

【抜粋意訳】

村山(ムラヤマノ)神社

祭神 大山祇オホヤマヅミノ

祭日 十月二十八日
社格 村社

所在 森村南桑田郡篠村大字森)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

村山神社(亀岡市篠町森山先 (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る

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