国史記載社

天津石門別神社(高取町越智)〈『三代實録』天石戸別神『延喜式』天津石門別神社〉

天津石門別神社(あまついわとわけじんじゃ)は 越智氏居館跡の西にあり元暦二年(1185)越智家の祖 親家が戦場守護神として創祀『越智氏系図』 古来 九頭神社と称した 明治八年(1875)奈良県示達により延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)に治定され社名も改称されたが根拠は不明

水尾神社(高島市拝戸)〈『続日本紀』『三代実録』三尾神・『延喜式』水尾神社〉

水尾神社(みおじんじゃ)は 元々は(河南社 河北社)二座がありましたが 現在は河南社に統合されています 河北社の祭神 振姫〔第26代 継体天皇の生母〕は 当社拝殿を産所として生まれたと伝わります 継体天皇 延喜式内社 近江國 高嶋郡 水尾神社〔並 名神大 月次 新嘗〕(みをの かみのやしろ ふたくら)です

天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉

天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です

高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 美作國二之宮 社伝に吉井川の河原 碫馭盧岩(おのころいわ)を磐境として祀ったのが始まりと伝え のち第27代安閑天皇二年(536)十一月社殿創建と云う 祭神一座 彦波限建鵜葺草葺不合尊で 『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社です

高野神社(津山市高野本郷)〈『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉

高野神社(たかのじんじゃ)は 古くは祭神は鵜葺草葺不合命一柱でしたが 中世に武家の勃興とともに 相殿に応神天皇 神功皇后をお祀りして 明治維新頃までは八幡宮と称していました 鎮座地が苫東郡高野郷に所在することから『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社とされています

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